過去に運航していた船舶
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「津軽海峡フェリー」の記事における「過去に運航していた船舶」の解説
※航路継承前に東日本フェリーで運航され引退した船舶については、東日本フェリー#船舶を参照。 恵山丸 - 699総トン。1972年から1985年に就航。「第五恵山丸」就航に伴い引退。 第三恵山丸 - 999総トン、全長97.6m、航海速力18ノット、旅客12名、車両積載数:大型車34台。1979年から1988年に就航。「えさん」就航に伴い引退。 第五恵山丸 1,734総トン。全長98.5m。車両積載数:トラック42台、ドライバー定員20名。1985年から2000年に就航。「えさん2000」就航に伴い引退。 ばにあ(VANIR、函館 - 青森航路に就航。船籍港:函館) 5,193総トン。全長126.2m、航海速力20.9ノット。1984年7月から2008年12月5日に就航。 旅客定員520名。車両積載数:トラック98台、乗用車15台。内海造船瀬戸田工場建造。 船名の由来は、北欧神話のヴァン神族(豊穣と平和をつかさどる神)より。 2008年12月までは東日本フェリーで運航されていた。同年12月5日朝便をもって引退。しばらくは函館市の港町埠頭に係船されていたが、「PT. Jemla Ferry」(インドネシア)に売却され、「JAGANTARA」として就航。 えさん(Esan、函館 - 青森航路に就航、船籍港:函館) 1,998総トン。全長104m、航海速力19ノット。1988年10月1日から2010年7月11日に就航。 旅客定員78名。車両積載数:トラック25台(または乗用車70台)内海造船瀬戸田工場建造。 船名の由来は、函館市にある活火山「恵山」より由来。 「ブルードルフィン」就航に伴い引退。フィリピンのセブフェリーに売却され大幅改造のうえ、「CEBU FERRY 3」として就航している。 ばあゆ(VAYU、函館 - 大間航路に就航、船籍港:函館) 1,529総トン。全長83.4m、航海速力16.3ノット。1988年6月から2013年4月5日まで就航。 旅客定員470名。車両積載数:トラック15台(または乗用車60台)内海造船瀬戸田工場建造。 船名の由来は、インド神話のヴァーユ(風の神)より。「大函丸」就航に伴い引退。しばらくは函館市の西埠頭に係船されていたが、インドネシアに売却され、「SMS MULAWARMAN」として就航。 びるご(2代目)(VIRGO、函館 - 青森航路に就航、船籍港:函館) 6,706総トン。全長134.6m、航海速力20ノット。1990年9月、東日本フェリーで就航。2008年12月より当社で運航。2014年4月15日に「ブルーマーメイド」と入れ替わる形で引退。その後は函館市の万代埠頭に係船されていたが、インドネシアに売却され、「VIRGO 18」として就航。 旅客定員580名。車両積載数:トラック65台(または乗用車200台)三菱重工業下関造船所建造。 船名の由来は、和名おとめ座にあたる名称。なお、新旧運航会社の公式サイトでは「王ゼウスと女神テミスの間に生まれた清純な女神の名前」とされている ナッチャンWorld(Natchan World、函館 - 青森航路に就航、船籍港:青森) 10,712総トン。全長112m、航海速力約36ノット(満載時)。2008年5月2日、東日本フェリーで就航。2009 - 12年夏季に臨時運行。 インキャット社(オーストラリア)ホバート造船所建造。 船名の由来は姉妹船のナッチャンReraから「ナッチャン」の呼称が引き継がれるとともに、世界中から集まった仲間たちがパレードするという船体イラストイメージから、「World」(ワールド)を合わせたもの。 2014年度に防衛省が輸送船として借り上げ、2016年に高速マリン・トランスポートに移管、2018年より有事以外にはイベントスペースやチャータークルーズに利用可能な観光船として使用。 えさん2000(Esan2000、函館 - 青森航路に就航、船籍港:函館) 2,367総トン。全長110.3m、航海速力17.5ノット。2000年10月就航。2017年2月2日引退。 旅客定員78名。車両積載数:トラック30台(または乗用車70台)三菱重工業下関造船所建造。 船名の由来は、「えさん」は函館市にある活火山「恵山(アイヌ語「イエサン」にちなんで付けられた)」より、「2000」は2000年に就航したことから命名された。 同社の在籍船舶で唯一「特定便(危険物積載車輌指定便)」対象船舶となっていた。引退後は函館港内を転々とした後インドネシアに売却され、「MUTIARA FERINDO 5」として就航。 びなす(2代目)(VENUS、函館 - 青森航路に就航、船籍港:室蘭) 7,198総トン。全長136.6m、航海速力20ノット。1995年、東日本フェリーで就航。2008年12月より当社で運航。 旅客定員800名。車両積載数:トラック65台(または乗用車200台)三菱重工業下関造船所建造。 船名の由来は、ギリシャ神話のアプロディーテー(美の女神、名称はローマ神話由来のウェヌス)より。 2016年度、2隻の新造船就航計画に伴いブルーハピネスが就航、その入れ替わりで引退。その後は函館市の万代埠頭に係船されていたが、インドネシアに売却され、「ATHAYA」として就航。 ブルードルフィン(初代)→ブルードルフィン2(Blue Dolphin/Blue Dolphin 2、函館 - 青森航路、船籍港:青森) 7,003総トン。全長136.6m、航海速力20ノット。1994年に建造され、「ほるす」として青森と室蘭を結ぶ航路などに就航。2008年、「パンスター・ハニー」として韓国の釜山と日本の大阪・金沢を結ぶ航路に就航。2010年7月17日「ブルードルフィン」として青函航路に復帰、2016年10月28日に一時引退し2017年2月2日より復帰。2020年5月22日引退。その後は函館どつくに係船されていたが、タイに売却され、「THE BLUE DOLPHIN」として就航。 旅客定員586名。車両積載数:トラック65台(または乗用車200台)。三菱重工業下関造船所建造。 ドッグルームおよび定期旅客船では日本初となるドッグバルコニーを備えるカジュアルクルーズフェリー。
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過去に運航していた船舶
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「四国中央フェリーボート」の記事における「過去に運航していた船舶」の解説
いしづち 950総トン、1970年3月8日就航。 せとうち 「いしづち」の同型船。1970年4月29日就航。1973年に火災事故により沈没。 かみのせき 旭洋造船建造。せとうち代船として長浜上関高速フェリーの航路休止後に傭船 にいはま 1973年4月10日竣工、1990年4月引退し泰東製鋼に売却。1992年加藤汽船に売却、1996年インドネシアに売却。 かわのえ 1973年10月竣工、引退後はインドネシアに売却。 かわのえ2 3,623総トン、全長115.61m、1984年就航。インドネシアに売却。 にいはま2 「かわのえ2」の同型船、1984年就航、1994年に韓国へ売却。 ロイヤルにいはま 「ロイヤルかわのえ」の同型船、船舶整備公団共有、1990年就航、航路廃止後、1999年にギリシャに売却。 ロイヤルかわのえ 3,981総トン、全長115.6m、幅21.0m、深さ6.0m、6,000馬力×2基、航海速力19.0ノット、旅客定員600名 サノヤス水島製造所建造、1990年6月就航。1999年5月にギリシャへ売却。
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「有明フェリー」の記事における「過去に運航していた船舶」の解説
有明丸 1958年(昭和33年)就航。1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは、聖火輸送の大役を担った。 第二有明丸 1959年(昭和34年)就航。 第三有明丸 1967年(昭和42年)就航。就航時は一層甲板だったが、1973年に輸送力増強のため二層甲板化改造を実施。 第五有明丸 1971年(昭和46年)就航。後に第三有明丸と同様に二層甲板化改造を実施。 第六有明丸 1977年(昭和52年)就航。就航当初より二層甲板を装備。 第七有明丸 1980年(昭和55年)就航。車両甲板を改良し、従来の船では不可能だった大型トレーラー等の輸送に対応。 第八有明丸 1985年(昭和60年)3月竣工。722総トン、全長57.3m、幅12.8m、2,600馬力、最大速力14.6ノット、林兼造船建造。 旅客定員470名。車両積載数:75台(乗用車換算) 第十有明丸 1988年(昭和63年)2月竣工。721総トン、全長57.0m、幅12.8m、2,600馬力、最大速力14.7ノット、林兼造船建造。 旅客定員470名。車両積載数:75台(乗用車換算) 第八有明丸 - 多比良港
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過去に運航していた船舶
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「羽幌沿海フェリー」の記事における「過去に運航していた船舶」の解説
さんらいなぁ(高速旅客船) 1991年竣工、2012年引退、横浜ヨット建造、149総トン、航海速力25ノット、旅客定員200名 4月のフェリー休航時および繁忙期のみの運航だった。 フェリーおろろん(フェリー) 1989年竣工、2001年引退、横浜ヨット建造、450総トン、全長49.5m、全幅10m、旅客定員420名、乗用車6台または8tトラック2台 天羽丸 (3代)(貨客船) 1969年竣工、1989年引退、中村造船鉄工所建造、306総トン、航海速力13.5ノット、旅客定員435名 天羽丸 (2代)(客船) 1963年4月竣工、1969年引退、下田船渠建造、116総トン、航海速力12ノット、旅客定員188名。
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過去に運航していた船舶
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こがね丸 1,859総トン、1936年5月竣工。1942年5月-1971年3月の間、別府航路に就航。 明石丸 1,081総トン、1947年9月竣工。1954年-1971年の間、大阪 - 高知航路に就航し、1980年に解体。 あかね丸 1,038総トン、1947年12月竣工。1948年9月-1975年9月の間、別府 - 松山航路に就航。 くれない丸 2,928総トン、1959年竣工。別府航路に就航。乾バウの試験に使用。(→レストランシップ「ロイヤルウイング」) あいぼり丸 3,155総トン、全長89.3m。1968年、別府航路に就航した関西汽船最後の純客船。1992年8月に引退後、日本国外に売却。 こばると丸 3,151総トン、全長89.3m。1968年、別府航路に就航した関西汽船最後の純客船。1992年8月に引退後、日本国外に売却。 六甲丸(初代) 2,822総トン、全長83.0m。国内初の長距離双胴大型フェリー。1990年6月、「六甲丸」(2代目)就航に伴い引退。 生駒丸(初代) 2,819総トン、全長83.0m。国内初の長距離双胴大型フェリー。1990年11月、「生駒丸」(2代目)就航に伴い引退。 ゆふ→ゆふ丸 3,360総トン、全長89.4m。別府航路初のカーフェリ-(但し乗用車のみの積載となり、トラック・シャーシ類は積載不可)。 1972年3月、「ゆふ丸」に改名。1983年11月に予備船となったあと、1988年にスエヒロマリンサービスに売却(→「スエヒロVII」)。 まや→まや丸 3,229総トン、全長89.4m。別府航路初のカーフェリ-(但し、乗用車のみの積載となり、トラック・シャーシ類は積載不可)。 1972年3月、「まや丸」に改名。 黒潮丸→くるしま7 (黒潮丸)5,216総トン、全長124.2m。 1978年3月に係船後、来島どっくに売却。その後カーフェリーに改装の上、用船し「くるしま7」に改名。1995年2月、日本国外に売却。 おとわ丸 2,945総トン、全長104.2m。阪神 - 徳島航路に就航ののち、1998年4月に引退とともに阪神-徳島航路は廃止。 にちなん丸 6,114総トン、全長118.0m。同社初設計の長距離旅客カーフェリー。1982年11月、神戸 - 日向航路の廃止に伴い室戸汽船に売却(→「フェリーむろと」(2代目))。 若潮丸→さんふらわあ7 (若潮丸)5,489総トン、全長115.0m。 (さんふらわあ7)7,494総トン、全長124.9m。 1978年3月に係船後、1979年6月にクルーズ客船に改装され、日本や世界各地へのクルーズ船として使用。関西汽船初の"さんふらわあ塗装"を施された。 はやとも丸 3,350総トン。土佐特急フェリー(後の大阪高知特急フェリー)の「とさ」を傭船し改名のうえ、小倉 - 松山航路に就航。1987年9月、「フェリーはやとも2」就航に伴い引退。 フェリーくろしお 7,060総トン、全長140.9m。 フジフェリー(現在の九州急行フェリー)の「しま丸」を用船の上、フェリー化および改名し就航。1998年3月に引退とともに阪神-奄美-沖縄航路は廃止。 フェリーこがね丸 7,189総トン、全長132.1m。 太平洋沿海フェリー(現在の太平洋フェリー)の「あるごう」を購入し改名のうえ就航。1984年12月、「さんふらわあ」「さんふらわあ2」と等価交換され名門大洋フェリーへ移籍(→「ぺがさす」)。 フェリーにしき丸 7,524総トン、全長143.8m。 大洋フェリー(現在の名門大洋フェリー)の「おりおん」を購入し改名のうえ就航。1984年12月、「さんふらわあ」「さんふらわあ2」と等価交換され名門大洋フェリーへ移籍(→「おりおん」)。 くるしま丸 2,889総トン、全長101.8m。 室戸汽船の「フェリーむろと」(初代)を用船し改名のうえ、小倉 - 松山航路に就航。1987年4月、「フェリーくるしま」就航に伴い引退。 くいーんふらわあ2 6,815総トン、全長140.1m。 照国郵船(現在のマリックスライン)より来島どっくに売却された「クイーンコーラル2」を用船し改名のうえ就航。1995年2月、日本国外に売却。 さんふらわあ (改装後のデータ)12,130総トン、全長185.7m、幅24.0m、連続最大出力26,080馬力、最高速力25.5ノット。 旅客定員1,122名。車両搭載数:8トントラック98台、乗用車201台。川崎重工業神戸工場建造。 1972年2月、日本高速フェリー(現在の商船三井フェリー)にて就航。1976年11月に大洋フェリーへ売却され、1979年6月に常石造船にて改装工事を実施。1984年11月に来島どっくへ売却、同年12月に「フェリーこがね丸」「フェリーにしき丸」と等価交換された後に来島どっぐに売却されチャーターバックの上、阪神 - 別府航路に就航。1998年4月、「さんふらわあこばると」就航に伴い引退し、日本国外に売却。 さんふらわあ2 (改装後のデータ)12,112総トン、全長185.7m、幅24.0m、連続最大出力26,080馬力、最高速力25.7ノット。 旅客定員1,148名。車両搭載数:8トントラック95台、乗用車201台。川崎重工業神戸工場建造。 1972年1月進水(進水時「さんらいず」)、同年5月より日本高速フェリー(現在の商船三井フェリー)にて就航。1976年11月大洋フェリーに売却され、1979年6月に来島どっくで改装工事を実施。1984年11月に来島どっくへ売却、同年12月に「フェリーこがね丸」「フェリーにしき丸」と等価交換された後に、来島どっくに売却されチャーターバックの上、阪神 - 別府航路に就航。1997年12月、「さんふらわああいぼり」就航に伴い引退し、日本国外に売却。 1994年から引退までの間、海水を広範囲にわたって継続的に汲み上げモニタリングを行う、国立環境研究所の定期航路船舶を用いた海洋調査が同船を使用して行われていた。 ジェット7 279総トン、全長27.4m、出力3,800馬力×2基、速力45ノット。米国ボーイング社建造のボーイング929(ジェットフォイル)。 1980年建造。1987年4月、阪神 - 小豆島 - 高松航路(ジェットライン)の開設とともに就航。日本国内では佐渡汽船に次いでのジェットフォイル就航であった。2000年10月11日の航路廃止後は五島産業汽船が同航路を継続運航したが、2006年4月に廃止され、東海汽船に売却(→「セブンアイランド愛」)。 ジェット8 279総トン、全長27.4m、出力3,800馬力×2基、速力45ノット。米国ボーイング社建造のボーイング929(ジェットフォイル)。 1980年建造。1987年4月、阪神 - 小豆島 - 高松航路(ジェットライン)の開設とともに就航。1991年3月、日韓高速船(下関市などが出資して設立した第三セクター)に用船。1992年11月の航路廃止後、1996年8月に佐渡汽船に売却し改名(→「ファルコン」)のうえ運航。2000年、九州郵船に売却(→「ヴィーナス2」)。 フェリーはやとも2 1987年9月就航。 六甲丸 (2代) 2,933総トン、全長116.5m。1998年4月、引退し係船。1999年、日本国外に売却。 生駒丸 (2代) 2,933総トン、全長116.5m。1998年4月、引退し係船。1999年、日本国外に売却。 フェリーコスモ 1992年8月の「さんふらわあこがね」就航後、同年12月の第2船就航までの間、尾道造船に係船されていた元・名門大洋フェリー「フェリーはこざき」を用船し改名のうえ就航。これにより、1日3便の阪神 - 別府航路はすべてフェリー化された。同年12月、引退。 さんふらわあ こがね 1991年12月竣工、1992年8月3日就航、2003年改造。9,710総トン、全長150.9m、幅25.0m、出力25,200馬力、航海速力22.1ノット(最大24.7ノット)。 旅客定員942名、乗組員36名。車両積載数:トラック100台・乗用車60台。カナサシ豊橋工場建造。 2007年11月21日よりダイヤモンドフェリー運航便に就航(「さんふらわあ にしき」と交互に就航)。関西汽船所有の船舶だったが、2008年2月1日にドック入りし、この日をもってダイヤモンドフェリー船籍となる。ファンネルマークを「Dマーク」に変更のうえ、同年2月7日より同社の運航船として寄港便に就航。 さんふらわあ にしき 1992年12月19日就航、2003年改造、2010年2月引退。9,800総トン、全長150.9m、幅25.0m、出力25,200馬力、航海速力22.1ノット(最大24.5ノット)。 旅客定員859名、乗組員36名。車両搭載数トラック100台・乗用車60台。カナサシ豊橋工場建造。鉄道建設・運輸施設整備支援機構と共有していた。 明石丸 あかね丸 あけぼの丸 あわじ丸 いそかぜ 沖之島丸 黒潮丸(初代) 浮島丸 さくら丸 しづき丸(泉北 - 淡路島航路) すみれ丸 せいろん丸(貨物船) 太平丸 に志き丸 にしき丸 はやかぜ はやて1 はやとも2 ひかり丸 ふたば丸 平和丸 山水丸 まるがめ丸、しもつい丸(下津井 - 丸亀航路、小豆島急行フェリーへ売却) むらさき丸(初代) むらさき丸(2代) むろと るり丸 他社就航後の状況 元・くれない丸(現・ロイヤルウイング) 元・ジェット7(現・セブンアイランド愛) 元・ジェット8(現・ヴィーナス2)
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過去に運航していた船舶
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客船・フェリー 吉野丸 元ドイツ船「クライスト」(kleist)1906年竣工、8,999総トン、全長146.3m、幅17.4m、深さ11.9m、四連成レシプロ×2機、最高速力17.0ノット、旅客定員631名(一等42名、二等49名、三等540名)。第一次世界大戦の賠償船として日本が取得、近海郵船が政府から運行を受託して1921年に台湾航路に就航した。1929年に払い下げられ近海郵船の所有となる。1944年7月31日、ルソン島の北方でパラオ級潜水艦パーチおよびガトー級潜水艦スチールヘッドの攻撃を受けて沈没した。 大和丸 元イタリア貨客船「ジュゼッペ・ベルディ」(SS Guuseppe Verdi)1915年竣工、9,656総トン、全長147.2m、幅18.0m、深さ11.3m、最高速力17.2ノット、旅客定員951 名(一等61名、二等217名、三等673名)。朝日丸と姉妹船で1928年に近海郵船が購入、台湾航路に就航した。1943年9月13日、東シナ海でガトー級潜水艦スヌーク(snook)の雷撃を受け、沈没した。 朝日丸 元イタリア貨客船「ダンテ・アリギエーリ」(SS Dante Alighieri)大和丸と姉妹船で1928年に近海郵船が購入、朝日丸と命名され、台湾航路に就航。1937年8月、日中戦争勃発のため海軍に徴用され病院船となる。1938年3月26日、三菱重工業神戸造船所で定期検査中のため係留中に傾斜して浸水するが修理される。太平洋戦争開戦後は、主に南方で活動した。1943年11月10日、特設運送船となるが、1944年2月5日、備讃瀬戸でタンカーと衝突、左舷中央部の破口から機関室に浸水、座礁着底する。船体に亀裂が入ったため放棄され、1949年に解体された。 富士丸 1937年竣工、9,138総トン、全島146.0m、幅18.4m、深さ11.0m蒸気タービン×2基、最高速力19.9ノット、旅客定員977名(一等31名、二等165名、三等781名)。神戸~基隆航路に投入された新造船で、同年に就航した大阪商船の高砂丸とライバル関係にあった。1943年10月27日、奄美大島西方でガトー級潜水艦シャードおよびタンバー級潜水艦グレイバックの攻撃を受け、沈没した。 芝園丸 元日本郵船「芝罘丸」 1913年竣工、1,934総トン、全長78.0m、幅18.0m、深さ11.1m、最高速力10.0ノット、旅客定員142名(一等18名、二等19名、三等105名)。三菱造船長崎造船所建造。1935年に改名し東京 - 小笠原航路を中心に就航。1945年1月3日、鳥島沖でガトー級潜水艦キングフィッシュの魚雷攻撃を受け沈没しこれに伴い小笠原航路の運航を休止。 まりも 1972年3月竣工。9,258総トン。全長166.5m、幅24.0m、航海速力20.7ノット。 定員833名。車両積載数:トラック90台、乗用車100台。瀬戸田造船製造。 東京 - 釧路航路に就航。1990年のサブリナ・ブルーゼファー就航後は予備船となり1992年にオーシャン東九フェリーへ用船、1996年フィリピンへ売却の後2005年火災で焼失。 ましう 1973年6月竣工。8,783総トン。全長166.5m、幅24.0m、航海速力20.7ノット。 定員452名。内海造船瀬戸田工場製造。 東京 - 釧路航路に就航。1977年売却。 さろま 1975年竣工。8,885総トン。全長166.5m。ましうと同型船。 定員563名。内海造船瀬戸田工場製造。 東京 - 釧路航路に就航。1990年カメリアラインへ売却。 サブリナ(SABRINA) 1990年4月竣工。12,521総トン。全長186.5m、幅24.8m、航海速力23.2ノット(最大25.4ノット)。 定員694人。車両積載数:トラック170台、乗用車140台。神田造船所川尻工場建造。1990年グッドデザイン賞受賞。 東京 - 釧路航路に就航。フェリー営業廃止後は中国・威東航運に売却され「NEW GOLDEN BRIDGE2」として就航。 ブルーゼファー(BLUE ZEPHYR) 1990年7月竣工。12,524総トン。全長186.5m、幅24.8m、航海速力23.2ノット(最大25.4ノット)。 定員694人。車両積載数:トラック170台、乗用車140台。神田造船所川尻工場建造。 東京 - 釧路航路に就航。フェリー営業廃止後は中国・津川国際客貨航運に売却され「天仁」として就航。 貨物船 王郵丸 2000年竣工。9,841総トン。全長167.7m、幅24.0m、航海速力21.2ノット。 車両積載数:12mシャーシ128台、乗用車103台。今治造船丸亀事業部建造。 王子製紙の巻取紙専用船として東京 - 苫小牧間に就航。2015年売却。 しゃとるえーす(自動車運搬船) 1993年竣工。8,280総トン。全長161.52m、幅26.0m、航海速力20.2ノット。 車両積載数:トレーラー120台、乗用車210台。新来島どっく大西工場建造。 名古屋 - 新門司間に就航。 第18新福丸(フィーダーコンテナ船) 1999年6月竣工。499総トン。全長77.08m、幅12.6m、航海速力13.0ノット。 コンテナ積載数:104TEU。本田造船建造。 仙台 - 東京・横浜航路に就航。 ほくと(初代) 1997年2月竣工。8,608総トン。全長162.3m、幅24.0m、航海速力23.3ノット。 車両積載数:12mトラック128台。今治造船建造。 敦賀 - 苫小牧航路に就航。2015年引退。
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過去に運航していた船舶
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「ダイヤモンドフェリー」の記事における「過去に運航していた船舶」の解説
フェリーゴールド3,988総トン、全長117.5m。 林兼造船下関造船所建造。 「フェリーダイヤモンド」就航(1986年11月)に伴い日本国外に売却。 フェリーパール4,084総トン、全長117.5m。 林兼造船下関造船所建造。 「クイーンダイヤモンド」就航(1986年10月)に伴い日本国外に売却。 フェリールビー4,619総トン、全長117.5m。 尾道造船尾道造船所建造。 「おくどうご2」就航(1976年2月)に伴い予備船となる。「おくどうご6」「おくどうご8」就航(1982年12月)に伴い日本国外に売却。 おくどうご4,440総トン、全長118.9m。 高知重工建造。1973年5月、愛媛阪神フェリーより用船し後に購入。「おくどうご6」「おくどうご8」就航(1982年12月)に伴い係船。 おくどうご24,851総トン、全長118.9m。 高知重工建造。1976年2月、愛媛阪神フェリーより用船し後に購入。「おくどうご6」「おくどうご8」就航(1982年12月)に伴い係船。 おくどうご66,379総トン、全長135.1m。 神田造船所建造。 1982年12月就航。元・広島グリーンフェリー「グリーンエース」。「ブルーダイヤモンド」就航(1990年7月)に伴い係船。 おくどうご86,135GT、全長137m。 神田造船所建造。 1982年12月就航。元・広島グリーンフェリー「グリーンアーチ」。「スターダイヤモンド」就航(1991年2月)に伴い係船。 クイーンダイヤモンド9,023総トン、全長150.8m、幅25.0m、出力25,200馬力、航海速力23ノット。 旅客定員942名。車両積載数:トラック105台・乗用車50台。 関西汽船との共同運航開始(2003年4月)に伴い、海外へ売船。Sea World Express Ferry(韓国)の「ニューシーワールド高速フェリー号」として、木浦 - 済州島間で就航中。塗装はダイヤモンドフェリー時代の印象が残っており、特徴的なイルカマークはそのまま残されている。。 さんふらわあ くろしお9,723総トン、全長160m、航海速力22.7ノット。 三菱重工下関造船所建造。 1997年7月、ブルーハイウェイライン(東京 - 高知航路)就航。2001年9月の航路廃止後、2001年10月から12月まで「スターダイヤモンド」の機関故障に伴う代替船として就航。後に日本国外へ売船され、2002年4月よりパンスターフェリー(韓国)の「パンスター ドリーム」(PANSTER DREAM・パナマ船籍)として就航中。 スピーダー(高速船)375総トン、全長43.4m、機関出力2,720馬力×4基、最高速力42.5ノット、航海速力39ノット。 旅客定員331名。オースタル社(オーストラリア)建造 1998年3月の航路廃止に伴い、日本国外(メキシコ)に売却。 フェリーダイヤモンド1986年4月竣工、同年11月30日就航、1987年改造。9,023総トン、全長150.9m、幅25.0m、出力25,200馬力、航海速力23.0ノット(最大24.9ノット)。 旅客定員942名。車両積載数:トラック105台・乗用車50台。来島どっく大西工場建造。 「さんふらわあ ごーるど」就航(2007年11月21日)に伴い引退。 スターダイヤモンド1990年2月竣工、1991年2月5日就航。9,463総トン、全長150.9m、幅25.0m、出力25,200馬力、航海速力23.0ノット(最大24.9ノット)。 旅客定員942名。車両積載数:トラック105台・乗用車50台。新来島どっく大西工場建造。 「さんふらわあ ぱーる」就航(2008年1月16日)に伴い引退。現 2GO Ferryの「ST.FRANCIS XAVIER」として、マニラ - バコロド(フィリピン) 間に就航中。 ブルーダイヤモンド1989年11月竣工、1990年7月23日就航。9,463総トン、全長150.9m、幅25.0m、出力25,200馬力、航海速力23ノット(最大24.7ノット)。 旅客定員942名。車両積載数:トラック105台・乗用車50台。新来島どっく大西工場建造。 中九州航路の減便および「さんふらわあ こがね」の関西汽船からの移籍に伴い引退。 さんふらわあ こがね1992年8月3日就航。9,684総トン、全長150.9m、幅25.0m、出力25,200馬力、最高速力24.7ノット、航海速力22.1ノット。 旅客定員942名、乗組員55名。車両積載数:トラック100台・乗用車60台。カナサシ豊橋工場建造。 2007年11月21日よりダイヤモンドフェリー運航便に就航(関西汽船のさんふらわあ にしきと交互に就航)。関西汽船所属の船舶だったが、2008年2月1日にドック入りし、この日をもってダイヤモンドフェリー船籍となる。ファンネルマークを「Dマーク」に変更のうえ、同年2月7日よりダイヤモンドフェリー運航船となった。 2010年2月、中九州航路寄港便廃止に伴い、引退。
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過去に運航していた船舶
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「琵琶湖汽船」の記事における「過去に運航していた船舶」の解説
それぞれ、就航順に記述。湖南汽船創業時に在籍した船舶は太字で記述(このうち、特記以外は全て1926年12月末までに退役)。細字で記述のうち、特記以外は全て1945年度中までに退役。 太湖汽船(初代)・琵琶湖鉄道汽船 ※両社により就航し、1926年12月末までに退役済みの船舶は、太湖汽船#船舶を参照。 第3太湖丸 - 1883年9月建造。元・真宗丸。1887年、大阪鉄工所にて鉄船に改造。1929年4月、竹生島沖で沈没。 堅田丸 - 1885年買収。1894年11月、湖南汽船に売却。 第6太湖丸 - 1904年3月建造。1933年9月、改造および太湖丸に改名。 八景丸 - 1907年8月建造、35総トン。 多景島丸 - 1909年9月建造。122.7総トン。1933年7月、高島郡沖で座礁。1934年9月、室戸台風により海津港で沈没(翌年1月修理)。1943年4月、木津川船渠に売却。 白石丸 - 1913年8月建造。178.7総トン。1950年4月廃船。 日吉丸(2代) - 1920年6月建造、76.7総トン。1937年11月、機関換装および改修。1953年4月船底補強。1955年4月機関換装。1977年3月、一部を改造した渉湖丸として就航。1982年中に退役。 みどり丸(初代) 1922年4月10日進水、1950年3月廃船。458.2総トン、全長45m、速力約12.5ノット。 旅客定員:約1,000名。三井物産(現・三井造船)玉造船所建造。 1922年の初航海にてイギリス皇太子が乗船。1934年9月、室戸台風により破損。1948年7月改修。 八景丸 - 1907年8月建造、35.0総トン。1945年9月、近畿土木事務所に売却。 舞子丸 - 1923年9月建造。166.4総トン。1943年4月、木津川船渠に売却。 竹生島丸(2代) - 1925年6月建造、262.1総トン。1950年度中に退役。 沖の島丸 - 1926年12月建造、143.1総トン。1944年1月、突風のため雄琴沖で沈没(同年3月引き揚げ)。1949年4月廃船。 第2湖水丸 - 1926年12月建造。1930年6月退役。 第5太湖丸 - 1926年12月建造。1935年9月廃船。 桃太郎丸 - 1927年3月建造。1930年2月、白鳥丸に改名。同年3月改造。1934年9月、室戸台風により海津港で沈没(同年12月修理)。1945年9月、暴風雨のため新唐崎港で沈没(同月引き揚げ)。1946年4月、進駐軍により接収。1963年12月廃船。 湖南汽船・太湖汽船(2代目) ※汽船 凌波丸(初代) - 11総トン。 第2凌波丸(初代) - 11総トン。 山田丸 - 12総トン。 第2山田丸 - 10総トン。 鳩湖丸 - 9総トン。1907年7月解体。 明凌丸 - 10総トン。 湖龍丸 - 12総トン。 末広丸(初代) - 27.6総トン。 矢走丸 - 保安丸 - 1888年4月建造。 山田丸 - 1894年4月、島の関造船所で建造。 石場丸 - 1894年4月買収。 凌波丸(2代目) - 1898年4月、島の関造船所で建造。1934年5月廃船。 末広丸(2代目) - 1900年4月、島の関造船所で建造。 第2凌波丸(2代目) - 1902年7月、島の関造船所で建造。1930年4月解体。 寿丸 - 1904年1月建造。 志賀浦丸 - 1905年3月、島の関造船所で建造。1934年5月廃船。 第2江坂丸 - 1905年3月買収。1911年7月解体。 漣丸 - 1906年4月、島の関造船所で建造。26.3総トン。1949年度中に退役。 長崎丸 - 1906年8月、島の関造船所で建造。1960年度中に退役。 淡海丸 - 1908年3月、島の関造船所で建造。36.3総トン。1950年3月機関換装。1960年4月廃船。 都丸 - 1908年8月、島の関造船所で建造。33.5総トン。1949年6月機関換装。1962年7月廃船。 御幸丸(みゆき丸) - 1909年2月、島の関造船所で建造。46.4総トン。1947年3月、1953年3月、1955年4月改修。1981年度中に退役。 浪花丸 - 1909年8月、島の関造船所で建造。34.9総トン。1965年度中に退役。 瀬田川丸 - 1910年8月、島の関造船所で建造。34.4総トン。1953年11月廃船。1953年度中に退役。 石山丸 - 1911年3月、島の関造船所で建造。36.0総トン。1948年9月改修。1954年2月機関換装。1963年度中に退役。 阪本丸 - 1911年7月、島の関造船所で建造。35.1総トン。1943年6月改修。1955年2月改装。同月、さざなみ丸に改名。同年3月廃船。 立木丸 - 1912年5月、島の関造船所で建造。35.8総トン。1946年7月、上架中に類焼し廃船。 唐崎丸 - 1912年12月、島の関造船所で建造。1915年12月転籍。42.9総トン。1955年9月廃船。 南郷丸 - 1920年6月、島の関造船所で建造。36.5総トン。1951年7月機関換装。1962年5月廃船。 琵琶湖丸 - 1920年8月、島の関造船所で建造(発注先は相澤造船所(大阪))。54.4総トン。1937年3月改修。1951年11月廃船。 比叡丸 - 1922年7月、島の関造船所で建造。59.9総トン。1936年11月および1951年7月改修。1967年度中に廃船。 湖南丸 - 1925年6月建造、56.5総トン。1951年6月廃船。 平安丸 - 1926年3月、島の関造船所で建造(発注先は神戸製鋼所播磨造船工場)。84.1総トン。1948年2月改修。1983年度中に退役。 明治丸 - 1926年9月、島の関造船所で建造(発注先は神戸製鋼所播磨造船工場)。90.0総トン。1948年度中に退役。 大正丸 - 1926年12月、島の関造船所で建造(発注先は神戸製鋼所播磨造船工場)。90.0総トン。1949年3月改修。1953年7月機関換装。同月、いぶき丸に改名。1984年度中に退役。 京阪丸 1928年2月進水、同年4月就航。1981年退役。342.9総トン。大阪鉄工所建造。 就航当初は、京阪電鉄へ傭船された。1928年5月、湖南丸に改名。1946年4月から1948年4月まで進駐軍に接収され、軍の休養施設として利用された。1949年12月改修。1956年11月船底補強。1962年3月改修。1963年3月、浜大津港で浸水(翌月修理完了)。1981年退役。 弁天丸 - 1935年4月竣工。112.3総トン。出力130馬力。大阪鉄工所建造。 八幡丸 - 1937年8月、島の関造船所で建造。59.8総トン。1962年8月係船、翌年5月廃船。 玻璃丸(はりまる) 1951年3月進水。634.1総トン。 退役までの走行距離:約1,118,000km、利用客累計:約250万人。 建造費7,100万円、宣伝費3,000万円を投じて建造された(玻璃丸単独での収支均衡は見込めないが、京阪グループ全体の波及効果を見据えて建造されたという)。丸みを帯びた操舵室やガラスを多用した客室が当時としては斬新であった。また、絵本の題材にも採用された。1982年8月、老朽化および琵琶湖の水位低下に対応できないため退役した後、約1年間浜大津港に係留され「観光物産船」として使用された。 金波 - 1956年3月建造。19.6総トン。1967年3月売却。 銀波 - 1956年4月建造。19.8総トン1968年10月売却。 からさき丸 - 1956年4月建造。43.2総トン。1981年度中に退役。 こがね - 1957年3月建造。33.6総トン。1986年度以降に退役。 きんし - 1957年3月建造。33.2総トン。1981年度中に退役。 金亀 - 1957年3月建造。25.3総トン。1981年度中に退役。 金秋 - 1960年4月建造(日本旅客船公団と共有)。45.5総トン。1981年度中に退役。 勢多 - 1962年3月建造(特定船舶整備公団と共有)54.7総トン。1983年度中に退役。 みやこ - 1963年3月建造(特定船舶整備公団と共有)55.0総トン。1981年度中に退役。 みどり丸(2代) - 1964年3月建造(特定船舶整備公団と共有)280.8総トン。1969年6月、浜大津港入港のさい岸壁に衝突。1986年度以降に退役。 湖南汽船・太湖汽船(2代目) ※小型船など 晴嵐丸 - モーターボート。1925年9月建造し瀬田川航路に就航。1933年9月、宇治川汽船に譲渡契約。 夕照号 - モーターボート。1926年2月建造。1933年9月、宇治川汽船に譲渡契約。 秋月号 - モーターボート。1926年7月建造。1933年9月、宇治川汽船に譲渡契約。 石光 - 小型船。1944年11月建造。 緑線3号 - モーターボート。1950年3月建造。(※) 夕照 - モーターボート。1950年3月建造。(※) 豊公丸 - 小型船。1953年3月購入。1956年9月廃船。 金鈴 - モーターボート。1953年5月建造。(※) 金星 - モーターボート。1953年5月建造。(※) (プロペラ船) - 1954年2月、京阪電鉄より2隻購入。1953年度中に1隻、翌年に1隻退役。 コメット号 - モーターボート。1959年9月建造。(※) とびうお1号 - 水中翼船。1962年8月就航。4.6総トン。1981年度中に退役。 とびうお2号 - 水中翼船。1962年9月就航。9.2総トン。1981年度中に退役。 ひえい - ウォータージェット船。1977年4月就航。4.9総トン。1986年度以降に退役。 ホーバーマリンボブスター - 1978年4月就航。 インターラーケン - 1979年7月、杢兵衛造船所にて建造。71.1総トン。1986年度以降に退役、船体はmegumi(めぐみ)に再利用。 なにわ2号 - 1983年9月、大阪南港に搬入。35.0総トン。大阪水上バスにて運用中。 なにわ3号 - 1983年9月、大阪南港に搬入。35.0総トン。大阪水上バスにて運用中。 なにわ5号 - 1983年9月、大阪南港に搬入。35.0総トン。大阪水上バスにて運用中。 なにわ1号 1983年、杢兵衛造船所にて建造。35.0総トン。 琵琶湖汽船が建造し大阪水上バスにリースされたが、建造費用が琵琶湖総合開発事業による既存船代替として国から支出された事から国会で問題になった。このため琵琶湖汽船はリース契約を打ち切り、なにわ1号を琵琶湖に戻したが、元々大川(旧淀川)用に建造された船体であり、琵琶湖では他船より遅いうえ船体が薄く(喫水が浅く)造られていたため横波に弱いなどの特性があった。のち廃船。 (※)モーターボートは、1954年度末時点4隻在籍。1965年度末までに1隻、1966年度末までに2隻、1967年度末までに1隻、1968年度末までに全て退役。
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過去に運航していた船舶
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歌戸丸 1983年(昭和58年)、竣工。1998年(平成10年)3月、歌~戸崎航路に就航。2016年(平成28年)、引退。 石田造船工業(現:石田造船)で建造。 単頭カーフェリー、総トン数:16、主機関:1基(80馬力)、航海速力:7.0ノット、車両積載数:4台。 重井西港(西浜)〜細島航路の3代目「こまたき」である。当時同航路を運営していた旧因島市より尾道市が中古船として400万円で購入し、「歌戸丸」と改称した上で歌~戸崎航路に就航した。「第一歌戸丸」の同航路への就航後は予備船となっていた。「第二歌戸丸」の同航路への就航に伴い引退した。 第一歌戸丸 歌戸丸
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過去に運航していた船舶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 20:08 UTC 版)
「小笠原海運」の記事における「過去に運航していた船舶」の解説
兵庫丸(日本郵船) 筑後丸(日本郵船) 天城丸(日本郵船) 筑前丸(近海郵船) 芝園丸(近海郵船) 桐丸 (東京湾汽船) 黒潮丸(東京湾汽船) 椿丸 (東京湾汽船) 父島丸(小笠原海運) おがさわら丸(初代)(小笠原海運)1979年3月建造、1997年退役。退役後は日本国外(フィリピン)に売却。 詳細は「おがさわら丸 (初代)」を参照 おがさわら丸(2代目) (小笠原海運))1996年6月竣工、1997年2月20日就航、2004年改造、2016年退役。 6,700総トン、全長131.0m、幅17.2m、出力27,000ps、航海速力22.5ノット(約41.7km/h)(最大24.7ノット(約45.7 km/h))。 旅客定員769名。 三菱重工業下関造船所建造。鉄道建設・運輸施設整備支援機構と共有。 引退後は、インドに売却され改造を施されたのち2018年よりクルーズ客船「ANGRIYA」としてムンバイ~ゴア間に就航している。 詳細は「おがさわら丸 (2代)」を参照
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