対象船舶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 16:59 UTC 版)
当初は100総トン以上の汽船と150総トン以上の機帆船が対象とされたが、戦況の悪化から次第に小型船まで統制が及んだ。1943年10月には50総トン以上の機帆船が追加され、1944年9月には15総トン以上の汽船・機帆船・帆船までも管理下におかれることになった。 民間船舶の一元的管理を謳ったが、軍による徴用を妨げないものとされていた。そのため、陸軍徴用船(A船)、海軍徴用船(B船)を除いた残りの民需船(C船)のみが管轄となり、設立時の日本船籍汽船のうち4割弱に当たる242万総トン(機帆船除く)だけが対象となった。南方作戦終了に伴う徴用解除で、1942年9月には民需船が汽船314万総トンに増加したものの、以後は追加徴用や連合国軍の通商破壊による損害で徐々に船腹量は減少した。 1942年7月に大本営政府連絡会議において配当船制度の導入が決まると、さらに対象範囲は限定された。配当船(A'船、B'船)とは、主に南方からの資源輸送にあたる民需船について空荷の往路を軍需輸送にあてる制度で、民需籍のままで陸軍大臣・海軍大臣により船腹のみを傭われ、海軍運輸本部長(海軍の場合)などの指示を受けることとされた。あくまで例外的措置という位置づけであったが、港湾利用などが配当船優先とされたため、実際には南方航路のC船の多くが不利益回避のため配当船とならざるをえなかった。また、危険海域の航行に関しては、海軍の海上保護機関の指示を受ける指定船制度があり、この点でも船舶運営会の統制は限定的だった。 大戦末期の1945年5月には、新設された大本営海運総監部が全船舶を国家船舶として一括管理することになった。なお、これに伴い陸海軍の徴用船は6月に原則として徴用解除されている。 終戦により大本営海運総監部が廃止されると、GHQ指導下で船舶運営会が100総トン以上の全船舶の一元管理を行うことになった。小型船から段階的に民間へ移管され、1950年4月に完全民営化された。
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