ペガサス【Pegasus】
ぺがさす
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/02 23:46 UTC 版)
ぺがさす(初代) | |
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基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 | ![]() |
所有者 | 大洋フェリー |
運用者 | 日本沿海フェリー 大洋フェリー |
建造所 | 林兼造船下関造船所 |
姉妹船 | おりおん |
IMO番号 | 7302081 |
経歴 | |
起工 | 1972年 |
進水 | 1972年 |
竣工 | 1973年4月 |
就航 | 1973年4月 |
最後 | 2011年、中国で解体 |
要目 | |
総トン数 | 7,167 トン |
全長 | 140.9 m |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 2基 |
推進器 | 2軸 |
出力 | 20,000馬力 |
航海速力 | 21.5ノット |
旅客定員 | 700名 |
車両搭載数 | トラック90台、乗用車100台 |
概要
大洋フェリーの第二船として林兼造船下関造船所で建造され、1973年4月に竣工した。一時的に日本沿海フェリーに傭船された後、1973年7月に大阪 - 苅田航路に就航した。
1977年3月、さんふらわあ、さんふらわあ2の就航により、定期運航から外れ常石造船に係船された。
その後、九州急行フェリーに売却され、1977年5月に東京 - 苅田航路に就航した。 荷主限定の貨物フェリーとして運航されたが、フジフェリーの航路譲渡により、東京 - 松阪間で旅客営業を開始、1979年11月1日に試験入港を行った後、11月9日から松坂港へ上り便は日曜日、下り便は金曜日に寄港した[1]。 1981年3月に松阪港への寄港を取りやめ、旅客営業を休止した。
1984年、ギリシャのアネックラインズに売却され、CHANIAとなり、クルーズフェリーに改装された。 1987年、APTERAと改名して、ピレウスを拠点に運航された。1993年および1999年に再改装を受けた。
2005年10月、韓国のGeorim Shippingに売却され、ORIENTAL PEARL IIIとなり仁川 - 丹東航路で運航された。
2007年、中国に売却され、MORNING SHINEとなりクルーズ船に改造された。 2007年7月から中国広西チワン族自治区の北海市とベトナムのハロン湾の間で運航された。
2011年、スクラップとして売却され、解体された。
航路
大洋フェリー
九州急行フェリー
- 東京港 - 松坂港 - 苅田港
アネックラインズ
設計
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おりおんの同型船である。 船体塗装は柳原良平によるデザインで、白い船体に側面に巨大な流れ星が描かれた。ファンネルは、商船三井系列のオレンジファンネルグループ(日本沿海フェリー、フジフェリー、九州急行フェリー、大洋フェリー)にちなんでオレンジに塗装されていた。
脚注
- ^ 世界の艦船(1980年2月号,p5)
外部リンク
ぺがさす
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7,167総トン、全長140.9m。林兼造船下関造船所建造。 白色の船体に流れ星が描かれ、煙突(ファンネル)の色は、商船三井が打ち出した「オレンジファンネル構想」に基づいてオレンジ1色となった。 竣工直後の1973年4月から7月に日本沿海フェリー(商船三井系)に傭船。「さんふらわあ」「さんふらわあ2」就航後、常石造船に係船された後、貨物専用フェリー会社として設立された九州急行フェリー(商船三井系)に売却され、1977年5月より東京~苅田航路に就航。フジフェリーが同社へ営業譲渡後は松坂にも寄港し1981年まで旅客営業を行った。 1984年、ギリシャに売却。ANEK Lines「APTERA」として地中海航路に就航していた。
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