1950年度
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「帝都電鉄モハ100形電車」の記事における「1950年度」の解説
最初に着手されたのが、戦災復旧車であるクハ1550形およびクハ1570形で、1950年度の予算で以下の3両が台枠流用により同一仕様で東京急行電鉄横浜製作所(後の東急車輛製造)で更新された。 クハ1552→クハ1558(2代目) 1950年7月 クハ1559 1951年3月 クハ1581 1951年8月 なお、クハ1552のみ改番されているが、これは当時存在した空番を埋めて車番整理を実施する意図があったためとされる。窓配置は従来通りd1D(1)3D(1)3D(1)1で、全室式運転台を吉祥寺寄りに設置する片運転台式制御車となっている。
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1950年度
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家庭訪問は、6日間をかけて各生徒の家庭を訪問した。1年生の乗鞍岳登山は、7月19日に島々駅から歩き、冷泉小屋・位ケ原山荘で1泊目。20日は、乗鞍岳に登頂後に白骨温泉まで歩く。21日は白骨温泉を出発し、奈川渡をへて島々駅まで歩く。4月1日入学式。4月22日黒川でカラマツを植林。4月29日遠足で、1年生は山形村の清水寺へ、2年生は黒沢の滝へ、3年生は代官原へ。5月19日全校社会科見学・移動動物園見学で松本へ。7月15日2年生が燕岳登山。7月19日1年生乗鞍登山。9月20日3年生関西修学旅行。生徒数539名、学級数12、職員数23名。
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