1950年大統領選挙と亡命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 22:35 UTC 版)
「ミゲル・イディゴラス・フエンテス」の記事における「1950年大統領選挙と亡命」の解説
1949年にアルベンスの手の者によってアラナが暗殺された後、1950年にイディゴラスは国民民主和解党(Partido Reconciliación Democrática Nacional, PRDN)を組織して大統領選挙に出馬し、アルベンスと戦った。しかし人望のあるアルベンスが25万票を得て当選し、イディゴラスの得た票は7万2000票だった:24。イディゴラス本人は実際に投票が行われる1週間前に亡命した。イディゴラス本人の主張によるとアルベンスが彼を殺害しようとしたというが、実際にはありそうにない:24。 イディゴラスは革命政府のアレバロ大統領やアルベンス大統領に対する批判者としてふるまったが、その影響は保守派と上流階級にとどまった:19-20。アメリカ合衆国のCIAはアルベンス政権を打倒しようとしていたが、そのための候補としてカスティージョ・アルマスを第一に考え、イディゴラスについては支持層が弱いと考え:29-30、また彼がウビコ政権時代に働いていたことについても難色を示した:45。CIAの支援する1954年のクーデターでアレバロ政権が倒され、カスティージョ・アルマスが臨時大統領に就任し、グアテマラ革命中の改革を元に戻した。アルマス政権下でイディゴラスはコロンビア大使をつとめた。
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