装備と構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 06:48 UTC 版)
足回り (1) 戦車は無限軌道 (履帯、商標名でキャタピラ)で走行する。最初期のMk.I戦車を除いてサスペンション は必須の装備であり、二次大戦時までは複数の転輪を前後で連結する方式が大半を占めた。この方式は性能に限界があるため車体や乗員の負担が大きく、エンジン出力が大きくても機動性に制約を課すことになったが、二次大戦後は機動性向上のためスウェーデン戦車で長らく採用されていた、独立懸架式の横置きトーションバーが主流となった。転輪は起動輪、誘導輪、転輪に大別される。金属製の転輪には騒音や振動を軽減する目的で外周にゴム製のソリッドタイヤが装着される。ゴム資源が不足していた第二次世界大戦中のドイツ・ソ連では、転輪内部や車軸にゴムを内蔵したり、やむを得ず全くゴムを用いなかった。またイスラエルの戦車は砂漠でゴムタイヤの破損が激しいため、一部に完全鋼製転輪を使用している。無限軌道の連結方式は前後二枚の履帯を連結するのに一本のピンを用いるシングルピン方式から、二本のピンを用いるダブルピン方式へと進化した。金属製の履板には走行時の抵抗を低減するために、ピン穴にゴムブッシュが設けられる。また第二次大戦後の東側陣営戦車で踏面にゴムパッドを着脱できる履帯が実用化されている。 スウェーデンのStrv.103は前後左右の油圧を変えることで車体の角度を変えられる油気圧(ハイドロニューマチック・サスペンション)を史上初めて実用装備した。陸上自衛隊の74式戦車も同様の油気圧式サスペンションを採用しているが、この機能は地形を利用した待ち伏せ砲撃に有利である。スウェーデンでは後継のStrv.122でこの機能を廃止したが、日本の10式戦車や韓国のK2ではこの機能を保持しており両国の防衛策に適していると言える。 主砲 (2) 1970年代に東側で125mm滑腔砲が採用され以降主流となり、西側で120mm滑腔砲が採用され以降主流となった。 射撃時の反動を抑えると共に、砲身後退量を抑えて砲塔を小さく済ませるため、油圧により反動を吸収する駐退機が備えられている。これがないと発射のたびに車体前部が跳ね上がるなど、車体が激しく動揺する。以前は砲口にマズルブレーキを装備したものが多かったが、射撃精度を上げるため、最近の車輌では見られない。なお、戦後の対戦車用砲弾の主力であるAPDSやAPFSDSの発射時に、外れる装弾筒がマズルブレーキに引っかかってしまうというのは間違いである。 主砲の発砲時に火薬の燃焼ガスが発生するが、砲身から砲塔内へガスが入り込まないようにエバキュエータ(排煙器)と呼ばれる空洞部が砲身に取り付けられる。砲身は温度差で歪みが生じるが、砲身に熱を均一に伝えることで歪みを抑えるサーマル・スリーブ(遮熱カバー)が装着される。サーマル・スリーブを装着しても砲身の歪みを完全に防ぐことはできず、砲身の歪みをレーザー計測するボアサイト・ミラーが砲口近くに装着される。 射撃統制に測遠機、環境センサー、砲口照合装置から得られた情報を基にデジタルコンピュータが主砲、砲塔の微調整を行うことで、あらゆる条件下での精密射撃が可能で、照準器は安定化されサーマルサイトとレーザー測遠機で構成される。また、被弾時の火災の延焼を避けるため、従来の油圧は避けて電動になる傾向がある。 フェンダー (3) 泥などが巻き上がるのを防ぐために車体両側面上部に位置する。現代戦車は強力な主砲を装備するため砲塔リングが大きく、車体の大型化を抑えるためフェンダー上部に砲塔リング用のオーバーハングがある。 またサイドスカートが取り付けてある場合には、第二次世界大戦時にドイツ軍戦車の側面に車体からやや離して装着された薄い鋼板「シュルツェン」の様に、HEAT弾を車体からできるだけ離れたところで起爆させ、メタルジェットの貫通力を抑える効果がある。なお、シュルツェンはエプロンを意味し、もともとはソ連軍の対戦車ライフル対策で取り付けられていた。 発煙弾発射機(スモーク・ディスチャージャー) (4) 防御戦闘時に敵の視界を遮ったり、随伴歩兵の進撃を支援したり、ミサイル防御に煙幕を発生させるための発煙弾を発射する。東側車輌にはエンジン排気に燃料を噴霧して煙幕を発生させる機構を併用する物もある。詳細は発煙弾発射機 を参照。 対空機銃 (5) 車長と装填手のハッチ付近に搭載された12.7mmもしくは7.62mm口径の機銃である。車長や装填手がハッチから上半身だけを出して操作し、仰角をとり対空威嚇に用いたり俯角をとり対地掃射に用いることが可能。また、主砲に連動しない為、主砲とは別の方向を攻撃することも可能。照準用ペリスコープなどを用いて対空機銃を車内から操作できるリモート機銃や、カメラとモニター、種類によっては火器管制装置も搭載される等電子化されたリモート機銃であるRWS (Remote Weapon System) が存在し両者とも外部を監視するセンサーと対空攻撃を両立でき、使用者が攻撃を受けやすい状況下でも機銃を積極的に利用できる。RWSは装置自体が高価な割に万全とは言えないためUAE、米陸軍、タイ、カタール、ロシア等の国で普及している。 機関室 (6) 戦車においてはエンジンは給排気と放熱のために装甲で閉鎖されるのには向かないために脆弱となりやすく、被弾しにくい車体後方に搭載するレイアウトが一般的である。二次大戦時はT-34などを除きトランスミッションが車体前方に位置し、後方のエンジンと前方のトランスミッションをつなぐためにやむを得ず長大なドライブシャフトを搭載したが、第二次大戦後はエンジン後方にトランスミッションが直結したMR方式が主流となった。T-44ではエンジンを横置きにすることで車体全長を短くする構造が、M26では縦置きエンジンとトランスミッションを一体化し短時間で交換できるパワーパック構造が採用され、東西それぞれで主流となった。一方でイスラエルのメルカバやスウェーデンのStrv.103の様に、乗員保護を優先してあえてエンジン・変速機を車体前方に配して装甲の一部としている例もある。 エンジンは通常の自動車用エンジン同様に液体を冷媒として冷却し、二次大戦時には複数のシリンダーをV型にコンパクトに配置し、東側は第1世代から西側は東側に遅れて第2世代から燃費の良いディーゼルへ移行し、第3世代から出力を増大させるターボチャージャーを搭載し、出力は1,000-1,500馬力になる。また、ディーゼルエンジンはガソリンエンジンより油種を選ばず、軽油以外でも灯油やジェット燃料などが使用できる。 引火点の高いディーゼル燃料が防御上有利であるが、気化すれば爆発もする危険物であることに変わりはなく利点としては副次的である。馬力を求めて選択されたガソリンエンジンがディーゼルエンジンへと更新された最大の理由は、走行距離が2倍程度に改善される燃費であり、時代が下るまでディーゼルエンジンを搭載できなかった理由は、重量あたりでガソリンエンジンの半分という貧弱な馬力にあった。M48は開発したアメリカによってガソリンエンジンからディーゼルエンジンへと変更されているが、ARCOVE(Ad Hoc Group on Armament for Future Tanks or Similar Combat Vehicles)がディーゼルエンジンへの変更を勧告した際、OTAC(Ordnance Tank-Automotive Center)は「燃費の向上に大きく貢献する場合」にのみ許可するとし、M48A1ならびにA2で行われた航続距離に関する改良は、4個で840リットルに達する投棄式外部燃料タンクの設置やエンジンのコンパクト化で浮いた車体内部容積をガソリンタンクに充てるというものだった。ノモンハン事件での日本軍の火炎瓶攻撃からソビエト軍は対策としてディーゼルエンジンへの転換を図ったとする説も誤りで、ソビエトでの戦車用ディーゼルエンジンB-2の開発は1931年に遡る。これは多くの車両に搭載され、大量生産されたが、アルミニウム製シリンダーヘッドの採用などで大出力でありながら重量はガソリンエンジン並みという高性能軽量エンジンであったことが理由である。また、日本軍の火炎瓶攻撃についてソビエト軍の認識は「数回が行われた」「10名から12名の火炎瓶装備の対戦車班があった」という程度で、日本における高い評価とは異なる。ソビエト軍が火炎瓶攻撃を重大な脅威と見做したのは冬戦争でのモロトフカクテルでの攻撃と436両に上る損害であり、フィンランド軍の教本においても火炎瓶は戦車の視界を塞ぐことを第一義としていた。日本軍においてディーゼル化が熱心に研究された理由も防御上のものではなく、乏しい資源の中で石油精製上圧倒的に歩留まりの良い軽油を燃料にするためであった。近年は加速性に優れるが、燃費が非常に悪い上に技術的ハードルも高いガスタービンエンジン装備の戦車もある。 21世紀現在では、センサー類やC4Iシステムといった多数の電子機器を常時稼動させる必要があり、停車時に主たるエンジンを停止する間の電力供給手段として補助発電機を搭載する必要が生まれている。 キューポラ (7) 英語では“commander's cupola" と形容される。車内から外部を視察するための視察孔を開けるため砲塔上に設置される塔状の設備だったことから日本語では「車長用展望塔」ないし単に「展望塔」、もしくは「司令塔」と訳される。第二次世界大戦からは上面にハッチを備え、ハッチから頭や上半身を乗り出して警戒に当たることが可能になった。第二次世界大戦後には車長用ハッチの周りを多数の潜望鏡が囲む方式となり、砲塔上面からの出っ張りが低いキューポラへと移行した。車長用サイトがパノラマサイトとしてキューポラから分離し、近年ではサーマルサイトだけでなくレーザー測遠機を備えるようになりつつある。20世紀末以降の戦車では砲手が砲手席の照準器の視界で目標を見失っても、車長が別途車長用サイトで捉えた目標の方向へ砲塔を向けさせることができるオーバーライド能力を獲得した。 光学機器が発展した現代でも目視で周囲を警戒することは効果的である。車長用ハッチは閉鎖姿勢(水平状態)のまま少しだけ浮かせハッチを天蓋代わりにして、その下のすき間から周囲を視察できる機構のものもある。これは従来の大きく開くことしかできないハッチでは、車長が目視を行う際に頭部や上半身がむき出しになり、無防備になる欠点を克服したものである。 同軸機銃 (8) 主砲に並べて砲手側の反対側に取り付けられる7.62mm口径の機銃である。自衛隊の機甲科では連装機銃と呼ばれている。歩兵や軽装甲車輌といったソフトターゲットに対して直接使用することで主砲砲弾の消費を抑えるよう計られた。主砲発射に先んじて同軸機銃を射撃し、その着弾を見て照準を微調整する、スポッティングライフルとして利用されていた戦車もあった。 車体 (9) 一般的には前面の左右30度の範囲が最も防御力が高く、側面、後面、上面、下面の順に防御力は低くなっていく。敵からの視認性を下げるよう全高は低く設計され、その分車内容積を確保するために全幅と全長(特に全長)が大きく取られる傾向にある。車高を低くすることは敵に発見されにくくなるだけでなく、最も重量がある前面装甲の減少によって重量が軽減される他、重心が低くなることで走行時の安定性にも貢献する。ただし車高を下げ過ぎると、主砲の俯仰角が制限されたり、操縦手の着座姿勢が極端に不自然になるといった欠点がある。T-62は砲塔を小型化したため主砲の俯角を6度までしか取れず、中東戦争では地形を利用した伏せ撃ち射撃ができず多数が撃破されている。過去には鋳鋼やリベットが用いられていたが、現代では一般的に圧延防弾鋼板の全溶接構造で、装甲板内部に複合装甲が内包される。一例として、M1戦車の試作車であるXM1においては砲塔の前面及び側面、車体の前面、サイドスカートの前方に複合装甲が内包されている。現代戦車の砲塔側面は地面に対してほぼ垂直になっているが、第2世代戦車の様に傾斜角がある戦車では砲塔の張り出しに引っ掛かってパワーパック交換に支障が出る物もある。また、爆発反応装甲やモジュール装甲の装着を前提として設計されている戦車の砲塔前面は楔形等の形状である場合が多い。 車内は圧迫感の緩和と少ない光量で効率的に照明が行えるように白色系の色で塗装されることが多い。多くの戦車での外見塗装は複数色の迷彩塗装だが、単に1色で塗装される場合も少なくない。近年では赤外線探知を回避するために、赤外線波長域まで迷彩塗装が考慮されている。現地の環境に適した塗装でない場合は、上から再塗装したり現地の植物や擬装用ネット等を括り付けることもある。 操縦室 (10) 第二次大戦時までは車体に備えられた前方機銃を操作する機銃手が操縦手と隣り合って搭乗し、無線機が搭載されている戦車では通信を担当する無線手の役割も兼任した(アメリカ軍戦車では無線機は装填手が扱うもので機銃手に与えられた役割は副操縦手だった)。車体機銃は装甲板にマウントを設けるため防御面での弱点になり、無線機が進歩すると車長が自分で扱える様になり無線手の存在意義も薄れていった。T-44は車体機銃こそT-55まで残ったものの世界に先駆けて機銃手が廃止され、以降の戦車では機銃手の廃止と同時に車体機銃も廃止された。操縦手が前方を広範囲視認できるようにハッチ前方にペリスコープが配置され、夜間視界はペリスコープを暗視機能付きのものに交換することで確保される。後方視認にはカメラが使用される。 操縦手は、ステアリングハンドルとアクセルペダル、前進・後進を選ぶセレクター・レバーの操作によって、比較的簡単に操縦できる。以前は履帯用へのクラッチが左右で独立しており、その操作で方向転換を行う方式が主流であった。戦間期から第二次大戦中は故障の大半が重量と大馬力で負担の大きなクラッチとトランスミッションであり、また操作に筋力を要するのが通常であった。その後、クラッチとトランスミッションは単純な機械式から、トルクコンバータのような無段階式・オートマチックトランスミッション等へと変遷した。戦車では片方の履帯を動かさずにもう片方の履帯を動かすことで停止側の履帯を中心として旋回(信地旋回)でき、トランスミッション操作で左右の履帯を互いに逆回転させることで車体中央を中心として旋回(超信地旋回)できる場合が多い。 弾薬 陣地や兵員装甲車のような軽装甲目標には、モンロー/ノイマン効果による化学エネルギーで装甲を貫徹する成形炸薬弾 (HEAT) が使用される。イギリスのチャレンジャー2は炸裂時の衝撃によって目標の内部を破壊する粘着榴弾 (HESH) を成形炸薬弾と同じ用途に使用する。 戦車のような重装甲目標には、多くが速度と重量による運動エネルギーで装甲を貫徹するAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)が使用される。飛翔貫徹抵抗と重量を両立するため針状の弾芯を持つ。 歩兵のような非装甲目標に使用するHE(榴弾)はかつては東側戦車独自の砲弾だったが、西側でラインメタル社製DM11やElbit社製M339 HE-MP-Tのように1000個程度のタングステン球と空中爆発信管により物陰に隠れている歩兵に対処できる砲弾が採用され、対人用キャニスター弾等の多数の砲弾を運用していた米軍でもノースロップ・グラマン社のM1147 AMPが実用化するなど榴弾は東側にとどまらず西側でも評価されていった。 また、砲発射型対戦車ミサイルは高価なため東側戦車自体を採用している国でも配備・運用されない場合が多いが、類似装備のLAHAT対戦車ミサイルがメルカバで使用されている。 弾薬庫 初期の戦車では砲弾は車体側面・砲塔後部・床下・砲塔バスケット周囲など、詰め込めるだけ詰め込まれ、被弾時の砲弾の誘爆に関してあまり考慮されていなかったが、T-44は操縦手席横に予備弾薬庫を搭載し、この構造が以降の標準となった。しかし、以降の戦車でも砲塔に即用弾が搭載されており完全な誘爆対策はされていなかった。 T-72は被弾しにくい車体底部に弾薬庫を配置し、砲塔の小型化および砲塔後部から排莢するための排莢口の設置の自由度が向上した。また、弾薬庫と戦闘室を装甲壁で仕切り、装填作動中のみ装甲ドアが開く設計が採用され東側で標準となった。また、M4中戦車同様に弾薬の誘爆によって戦闘室に被害が及ぶ欠点がある。 レオパルト2は被弾しやすい砲塔後部に弾薬庫を配置したが、これは装填手の屈む動作を無くすためであり、東側同様に装甲壁と装甲ドアで仕切るだけではなく、弾薬の誘爆で生じる爆圧で弾薬庫上面の装甲が吹き飛ぶ事で爆風等を外部へ逃がし、戦闘室の被害を最小にする「ブローオフパネル方式」が採用され西側で標準となった。西側でも自動装填を行う戦車が登場したが弾薬庫のレイアウトは変化しなかったが後方給弾ハッチから直接給弾できる。湿式弾薬庫を採用していたチャレンジャー戦車も弾薬庫を装甲化した。T-90Mは予備弾薬庫ではあるが西側同様に砲塔後部の弾薬庫を持っている。砲弾が大型化すると携行弾数が少なくなる傾向にあり、105mm砲を搭載した初期のM1では55発であり120mm砲を搭載したM1A1では40発になっている。 ハッチ 装填手席は車長席から見て主砲をはさんだ反対側に位置し、ハッチの位置関係も同じである。自動装填装置を搭載する車両は装填手席に相当する席が砲手用となる。砲搭上のハッチは片開式に開き、ペリスコープはハッチ外周に配置される。対して操縦手用ハッチは砲塔や主砲に干渉しないよう横に回転して開き、ペリスコープはハッチ前方の車体に設けられるほか、ハッチ自体に取り付けてある場合もある。 床下脱出口 戦闘時に車体上のハッチから脱出するのは極めて危険であり、車体底面に脱出口が設けられる。かつては、側面に設けられる場合もあったが走行装置との干渉を避け、車体底面と地面との間に十分なクリアランスがあることが必要であった。また、トーションバー・サスペンションを採用している車輌では床下に横棒が通る構造上、脱出口の設置位置に制限がある。 イスラエルのメルカバは地雷に対する下面の装甲強化を行っており床下脱出口を持たないが、代わりに車体後部に乗降ハッチが設けられており、乗員の脱出や弾薬補給に有利である。 潜望鏡 かつて、ハッチを開けて外部を直接視認するのが危険な戦闘中には、ハッチを閉め安全な車内から銃弾や弾片が飛び込まないように細く長いスリットを通して外部を視認していた。旧日本軍では「車内から外を覘く孔」という意味で「覘視孔(てんしこう)」、ドイツでは外部に開閉式のカバーを設けたスリットをクラッペ(Klappe)と呼んでいた。八九式中戦車の操縦手用前方視察窓は、小窓とスリットないし小穴を設けた円盤とを重ねたもので、円盤を電動モーターで回転させてストロボ式に視界を得ることで、広い視野と被弾時の防護を両立させようとしていた。しかし単純なスリットだと細かい弾片が車内にまで飛来することがあり、次第に車内側に防弾ガラスをはめ込むようになった。 こうしたスリットは構造上被弾に弱いため、第二次大戦中には多くがスウェーデン戦車で長らく採用されていた間接視認型の潜望鏡へと移行し、現在ではスリットは軽装甲車輌にのみ使われている。装填手用には側方や前方を視認できるように配置され、砲手用は無い場合が多い。基本的に、複数の固定式ペリスコープが乗員を囲むように配置されるが、M1とチャレンジャーの装填手用ペリスコープはそれ自体が回転する。20世紀末からは可視光や赤外線によるカメラの映像取得や、21世紀の現在では車体各部のカメラ映像を統合処理して全周の外景を映し出す画像システムも開発されている。 武器 車外作業時の警戒や戦車からの脱出時、弾薬が完全に尽きた時など戦車兵といえども車外で活動する機会は多く、護身用に最も小型で邪魔にならない銃である拳銃を携帯している。また、車内には手榴弾、短機関銃、カービン銃(短縮小銃)、折りたたみストックの小銃といった火器が搭載されている。 シュノーケル T-54で河川を横断して渡河するために潜水走行時に吸排気口を確保するため吸排気口に装着するシュノーケルが使用され始めた。戦車が丸ごと隠れる程の深い川では操縦手は元より車長も外部を目視できず運転は計器頼りとなるが、レオパルト1に見られるようなキューポラに装着する吸排気塔では車長が目視できるため操縦手は車長の誘導に従って運転できる。シュノーケル装脱着に時間がかかることや多少は浸水するため上陸後に排水を行わなければいけないなど進軍の上でタイムロスが多くなるため可能な限り架橋車両を使用する方が好ましい。 換気装置 第二次大戦時までの戦車は単純な換気扇を備え、エンジンや火器から発生する有毒ガスを排出するだけであった。当時日本軍の戦車は独立した換気扇を持たず、ハッチや視察窓を開くか、空冷エンジンの冷却ファンが回ることによる限定的な外気吸い込みで換気を行っていた。T-55では核・生物・化学兵器に対する生残性を向上させるためこれらの有害物質を除去するフィルターを換気装置に装備し、以降戦車に必須の装備となった。 自動消火装置 戦闘室やエンジン室に取り付けられ、被弾時の延焼拡大を防ぐ。人体に有毒な消火剤を用いるものもあり、戦闘室で消火装置が作動した場合には、乗員は戦車から脱出しなければならない。 車外装備品 OVM(On Vehicle Material)とも呼ばれ、第二次世界大戦時のドイツ戦車の砲塔後部にゲペックカステン(Gepäckkasten)と呼ばれる工具や乗員の私物などを収納する雑具箱が取り付けられており、第二次世界大戦後はこのような雑具箱が広く普及した。ハンマー、ピッケル、シャベルなどの汎用工具、牽引用のシャックル・ワイアー、消火器、雨よけシート、テント、機関銃用の弾薬箱、整備・修理に用いるジャッキや履帯張度調節器、河川渡渉用の延長排気パイプなどを車体外部に付けていることが多い。ソ連/ロシア戦車では悪路脱出用の丸太と多用途の防水シートが標準装備されている。 雑具箱は成形炸薬弾 (HEAT) に対する一種の空間装甲として機能し、砲塔を囲うように配置された雑具箱(ルクレール)も存在する。予備の覆帯は装甲の一部として車体前方に取り付けられていたが、現在では車体後方に取り付けられる。 電子機器(ベトロニクス) 20世紀末からは戦車にも、航空機搭載の電子機器であるアビオニクス(Aviation+electronics=Avionics)にならってベトロニクス(Vehicle+Electronics=Vetronics)と呼ばれる高度な電子機器が装備されるようになっている。ベトロニクスには、火器管制装置や衛星測位システムや戦術データ・リンク、敵味方識別装置、車外監視システム、攻撃警戒システム、動力系制御装置などが連動されており、必要に応じて切替可能な表示装置によって乗員の意思決定を助け迅速な操作を可能としている。 砲塔バスケット 砲塔に付随する吊下げ式の作業プラットフォーム。これがあると、その床板に立った装填手が砲塔の旋回と一緒に回ることができ、操砲作業が楽になる。戦車長や砲手は、砲塔に付いた座席に座っているので砲塔バスケットを利用することはない。第二次大戦時のドイツ軍戦車で導入されたが、T-64以降の東側戦車のように床下に円状の弾薬庫を持つ戦車は搭載していない。 自動装填装置 射手の選択指示に従って、装填手に代わり自動装填装置が砲弾を弾薬庫から受け取り、主砲へ自動的に装填する。人数の減少によって人間の占有スペースが削減できるため、戦車を小型に設計でき重量軽減の面で有利。逆に人的冗長性の低下、警戒人数の減少、戦闘時以外での保守整備の面で不利。 装填速度も出荷時点で錬度の高い装填手と同等であり、人力とは異なり熟練するまでは装填速度が遅い、個人差によって装填手全員が必ずしも熟練するとは限らない、人間のように体調が悪い時には速度が落ちるといった欠点が無い。現在の120mm砲弾には人力装填の重量限界とされる20kgを越すものがあり、弾頭と発射薬が分離されるか、完全に自動装填装置によって扱われる必要性が生じつつある。また、被弾時の火災の延焼を避けるため、従来の油圧は避けて電動になる傾向がある。全東側戦車は自動装填装置を装備し、西側戦車ではルクレール、10式、K2が装備する。イスラエル陸軍では3人だけでは整備や周囲警戒、防御陣地の構築などの非乗務作業を行うには負担が大きすぎるという考えや、戦闘によって1名でも負傷すれば直ちに有効な戦闘が行えなくなるという冗長性の不足を指摘する声があり、戦訓により「戦車を守るには最低4人必要」としているため同軍のメルカバは装填手の負担を軽減する半自動装填装置を装備している。 補助燃料タンク 戦二次世界大戦後のソ連製戦車の場合、右側フェンダー上に燃料タンクが露出して搭載されたものが多いが、引火点の高いディーゼル燃料と言えど高温な環境下では気化し、中東戦争では榴弾の爆発の高温で実際に着火してしまうことが多かった。 第二次世界大戦中に燃料補給の利便にジェリカンが発明され、補助タンクとして車体外部に大量に搭載している例も見られた。ソ連製戦車をはじめ、航続距離を伸ばすために車内搭載の燃料タンク以外に車体後部に専用の補助燃料タンクが搭載される。戦闘前には外されるが、奇襲され補助燃料タンクが引火しても車内から操作して投棄することで車体への延焼を防ぐ事が可能。 燃料タンク等をHEAT弾に対して装甲内に空洞を待たせることで対応するスペースドアーマーとして利用する試みもなされ、スウェーデンではHEAT弾の爆発的な加熱ではディーゼル燃料に着火しないことが実射実験で確かめられている。乗員保護を重んじるイスラエルのメルカバにおいても貯蔵ディーゼル油は乗員室を守る盾として作用する。 エアコン かつての戦車内は蒸し風呂のような状態であったが、乗員や電子機器を熱疲労やオーバーヒートから保護するために近年ではエアコンシステムが搭載されるようになりつつある。ただ、戦闘行動中は探知センサーの感度を保持する必要から使用しないとされる[要出典]。 トラベリング・ロック 移動・輸送中に主砲身を固定して、振動や周囲との接触による破損・故障を防ぐための支持架。一般に車体後部に位置しており、砲塔を後ろ向きにして固定する形式の車両が多い。主砲の砲尾付近を車内で支える場合もある。 方向指示器 第二次世界大戦後の日本・ドイツ・イギリス・フランスなどの戦車には、一般道路走行用の方向指示器が装備されている。日本の道路交通法では緊急車両に方向指示器の装備は義務付けられている一方で戦車は適用外ながら、自衛隊ではできるだけ法律に合わせようと付けている。戦闘時には不要なため取り外しできるタイプもある。 方向指示器を持たない戦車が平時や戦線後方地域で走る際には、戦車長がハッチから半身を出し、操縦手にインターホンなどで進路を指示しつつ、自転車など軽車輌と同様に、周囲に手信号で曲がる方向を示す。 ドーザーブレード 土砂をかくためにブルドーザーの様な排土板(ドーザーブレード)を装備することもある。本格的な塹壕を構築することは出来ないが、装備していれば歩兵が身を隠せる盛土を作ったり、整地して後続車両の進路を確保したり、障害物の撤去など簡易のブルドーザーとして行動できる。 近接防御兵器 第二次世界大戦時のドイツ軍戦車の一部には、Sミーネ(Sマイン)と呼ばれる対人攻撃用の跳躍地雷 を備えるものがあり、イスラエルのメルカバは迫撃砲を装備しており、当初は砲塔外部に搭載していたがMk.IIでは車内から装填できるように改修した。ただ、現在でもこの種の装備は主流にはなっていない。 トイレ 車種によってはトイレが標準装備されている(メルカバ戦車など)が、一般にはポータブルトイレキットを使用する。 インターホン 車体外部(主に尾部)に取り付けられた通話器で車外の歩兵と車内の乗員とが通話できるようになっている 。日本では、最新の国産戦車10式戦車で廃止された。 地雷処理装備 対戦車地雷を排除するため車体前方に取り付ける装備。車輌幅全体や履帯が通過する幅の地雷を除去することで安全な通行帯を構築する。 大きな鋤(プラウ)で掘り起こすタイプの他、重いローラーで地雷を起爆させるタイプもある。
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