近藤 浩平:ピアノ協奏曲
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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近藤 浩平:ピアノ協奏曲 | Op.84 | 作曲年: 2005-2006年 |
スクリャービン(スクリアビン):ピアノ協奏曲
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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スクリャービン(スクリアビン):ピアノ協奏曲 | Concerto for piano and orchestra Op.20 | 作曲年: 1896-97年 |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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1 | 第1楽章 Mov.1 Allegro | 7分30秒 | No Image |
2 | 第2楽章 Mov.2 Andante | 8分30秒 | No Image |
3 | 第3楽章 Mov.3 Allegro moderato | 11分00秒 | No Image |
作品解説
スクリアビン前期の作風は、特にエチュードOp.8などにおいては、よくショパンとの類似性を指摘されるが、この作品もその傾向を反映している。また、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(1901頃作曲)などともよく似た雰囲気がある。
スクリアビンに特徴的なクロス・リズムの多様などにより、技巧的な難易度は高い。後期ロマン派の情緒をよく表す美しい曲想をもつが、ラフマニノフの作品と比べると、演奏機会は大幅に少ない。
ヒンデミット:ピアノ協奏曲
バーバー:ピアノ協奏曲
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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バーバー:ピアノ協奏曲 | Piano concerto Op.38 | 作曲年: 1961-62年 |
ピアノ協奏曲
シェーンベルク:ピアノ協奏曲
ロドリーゴ:ピアノ協奏曲
アーン:ピアノ協奏曲
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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アーン:ピアノ協奏曲 | Concerto pour piano et orchestre | 作曲年: 1931年 |
小山 和彦:ピアノ協奏曲
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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小山 和彦:ピアノ協奏曲 | Klavierkonzert | 作曲年: 2008年 |
シュナーベル:ピアノ協奏曲
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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シュナーベル:ピアノ協奏曲 | Klavierkonzert d-Moll | 作曲年: 1901年 出版年: 1986年 初版出版地/出版社: Association for the Promotion of New Music: New Jersey 献呈先: Artur Rosenheim |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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Moderato, d-Moll | No Data | No Image | |
Sehr rasch und frisch, A-Dur | No Data | No Image | |
Intermezzo. Andante grave, b-Moll | No Data | No Image | |
Rondo. Allegretto grazioso, D-Dur | No Data | No Image |
作品解説
交響曲的な4楽章編成、和声進行やオーケストレーションに関してはブラームスのピアノ協奏曲、ピアノ独奏者に要求される演奏技法の点ではシューマンのピアノ協奏曲からの影響を感じさせる。
1901年にシュナーベル自身がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演で初演したが、反響はあまり芳しくなく、以後この協奏曲が作曲者本人によって演奏されることはなかった。1920年代前半、弟子のエドゥアルド・エルトマンがこの作品の最後の2つの楽章、すなわちインテルメッツォとロンドを頻繁に演奏した。その際この2楽章編成の協奏曲は、恵まれた才能にも関わらず若くして作曲を断念した作曲家「レオポルト・ベックLeopold Beck」の作品として売り出され、かなりの人気を博した。この偽名はフランス語の“le bec”(「くちばし」の意)に由来し、ドイツ語で「くちばし」を意味する「シュナーベルSchnabel」を暗に示している。それ以来この協奏曲は、全2楽章のこのバージョンで知られ、出版・演奏されている。
最終楽章のロンド主題は、シュナーベルの第3交響曲(1949)の最終楽章の主題として後年再び用いられている。シュナーベルの書簡は、ここで印象的に用いられる5音モチーフ、すなわち、ホ-嬰ヘ-ニ-イ-嬰ヘ音の音型が妻テレーゼの隠喩であること、この主題を含んだこのロンド楽章を指揮者のアルトゥール・ニキシュが絶賛したことなどを伝えている。
ヴァーレン:ピアノ協奏曲
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ヴァーレン:ピアノ協奏曲 | Piano Concerto Op.44 | 作曲年: 1949-50年 |
ブリテン:ピアノ協奏曲
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ブリテン:ピアノ協奏曲 | Concerto for piano and orchestra Op.13 |
ルトスワフスキ:ピアノ協奏曲
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ルトスワフスキ:ピアノ協奏曲 | Koncert na fortepian i orkiestre | 作曲年: 1987年 献呈先: Krystian Zimerman |
作品解説
その生涯を通じ新古典主義、民族主義、前衛など多様な音楽スタイルを提示してみせたルトスワフスキだが、彼の唯一のピアノ協奏曲は円熟した創作期である1987~88年に作曲された。部分的に「偶然性」の要素や、調性感ある音響、クライマックスの形成、ルトスワフスキ自らが考案した「チェーン」形式を盛り込むなど、多彩なファクターが散りばめられており、繊細で高度な技術をもってして実現したピアノ協奏曲の傑作である。
全4楽章構成。楽章間は休みを置くことなく、アタッカで一気に奏される。第一楽章の導入部では木管楽器により、静かにざわめくような音響が提示される。アド・リビトゥムの指示があるこの導入部は、演奏者一人ひとりが指定された音型を各々反復することで生じる音群。ルトスワフスキがジョン・ケージの音楽と出会ってから60年代に多用した「偶然性」の技法の一端がここに見られる。しかしこの作品では、これ以上不確定性の要素は拡大しない。その後に続く濃淡豊かなオーケストラの音響や、細かなパッセージが織り成すピアノパートはいずれも、音高、リズム、拍子等がスコアに精緻に書き込まれている(現代音楽では、それらが矢印や図形などで記されることが多い)。ルトスワフスキ自身もこの点について強調しており、次のように述べている。
「この作品のどこにも即興はない。演奏されるべき全ての音は詳細に書き記してある。それらは演奏者によって正確に再現されなくてはならない。アド・リビトゥムの部分と伝統的な書法による部分の基本的な違いはというと、前者においては演奏者たちが、共通した時間的区切りを一切持たないということである。つまり、個々の演奏者は独奏状態にあり、他の演奏者と調和しない。これによってある特定の効果、つまり、豊かで不規則なリズムによる柔軟なテクスチュアが生じるのだ。これは他の方法では得られない。」※(翻訳筆者)
第二楽章ではピアノとオーケストラが戯れのように掛け合いを繰り返す(モト・ペルペトゥオ)。後半にはカデンツァのような長いピアノソロの後、弦楽器により突如としてE-Gis-Hの調三和音の響きが提示される。この三和音は再び、静謐にして厳しい音響へと消えていくために印象深い。続く第三楽章の冒頭でもまた、長いピアノソロが独白のように続くが、後半には圧倒的な厚みのあるトゥッティ(全楽器が一度に奏する)が起こる。第四楽章では、バロック音楽のシャコンヌ、すなわち変奏曲の形態をとっている。またこれは、ルトスワフスキ自身が生み出した「チェーン形式」という技法が仕組まれている。ここではオーケストラの奏でるレイヤーとピアノが織り成すレイヤーが存在する。それぞれのレイヤーは、細かなセクションに分かれるが、そのセクションの始まりと終わりは互いにオーバーラップして起こり、同時に終始することはない。両者が重なり、かみ合うように、つまりチェーンが絡み合って構成されるようにして、楽曲が進行していくのだ。このチェーンの両レイヤーは楽章の終結部で初めて一つに収斂し、やがてオーケストラを背景としたピアノの力強い叙唱があり、続くコーダで締めくくられる。
ザルツブルク音楽祭からの委嘱作品であり、初演は1988年8月19日、ルトスワフスキ自身の指揮、オーストリア放送交響楽団、クリスチャン・ツィメルマンのピアノで行われた。演奏時間はおよそ27分。
チェルニー(ツェルニー):ピアノ協奏曲 イ短調
レスピーギ:ピアノ協奏曲 イ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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レスピーギ:ピアノ協奏曲 イ短調 | Concerto for piano and orchestra P 040 | 作曲年: 1902年 |
アルベニス:ピアノ協奏曲 イ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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アルベニス:ピアノ協奏曲 イ短調 | Concerto pour piano et orchestre Op.78 |
メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲 イ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲 イ短調 | Konzert für Klavier und Streichorchester a-Moll O 2 | 作曲年: 1821-22年 出版年: 1997年 初版出版地/出版社: Breitkopf & Härtel |
シューマン, クララ:ピアノ協奏曲 イ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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シューマン, クララ:ピアノ協奏曲 イ短調 | Konzert für Klavier und Orchester Op.7 | 作曲年: 1833/36年 出版年: 1836年 |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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1 | 第1楽章 Mov.1 Allegro maestoso | 7分00秒 | No Image |
2 | 第2楽章 Mov.2 Romanze: Andante non troppo con grazia | 5分00秒 | No Image |
3 | 第3楽章 Mov.3 Finale: Allegro non troppo - Allegro molto | 11分30秒 | No Image |
作品解説
1833年、クララがわずか14歳の少女であった時に作曲された協奏曲。この協奏曲は、それまで相互に関連性の薄い小品集ばかりを作曲していたことを考えると、クララにとって大きな成長といえるだろう。これはクララのオーケストラ作品で唯一現存する作品である。
当初ヴェーバーやシュポーアの例に倣って協奏楽章、すなわちピアノと管弦楽のための単一楽章作品として構想されていた。そしてそれを、ローベルトと共同で作り上げようとしていた。1833年11月22日、クララは日記にこう記している。「私は協奏曲を完成した。シューマンは今、私が演奏会で弾けるように、それをオーケストレーションしようとしている。」また残されているスコアの最初のページに、ローベルトの字で「クララによる協奏楽章、ぼくの管弦楽編曲」と書かれている。しかしクララの中で、この頃には協奏曲にしようという考えがまとまっていたようで、1834年2月24日にローベルトがオーケストレーションを終えクララに渡した時、彼女はそれを「フィナーレ」と日記に記した。1834年にこの協奏楽章が初演され、他の楽章が完成するまで何度か単独でこの「フィナーレ」のみを演奏し成功を収めた。そして全楽章は1835年にメンデルスゾーンの指揮と、もちろんクララ自身のソロで初演された。
2つの速い楽章と1つのゆっくりとした楽章という、このジャンルの伝統的な構成。これを全楽章アタッカでつなぐという形式は、メンデルスゾーンのト短調の協奏曲(作品25)の影響だと思われる。第2楽章は明らかだが、全体を通してピアノ・ソロの優位が効果的であるが、これは19世紀前半の協奏曲にはよく見られる特徴である。なお、この時代の協奏曲によくあるように、この作品もピアノ五重奏やピアノ・ソナタ用としても出版され、作品の普及に貢献した。
第1楽章
自由なソナタ形式。まずオーケストラが、そしてピアノ・ソロが主要テーマを奏する、慣習的な方法を用いている。テーマがピアノに移ると、そこからはピアノが音楽をリードし、オーケストラは主にピアノを支える。変イ長調に転調した展開部は、ピアノ・ソロが主要テーマを変奏する。そして両手のオクターヴで一気に下行したのち、短縮された再現部へ。主調ではなく属調で、オーケストラによって進められる。ピアノによるアダージョの1小節が、ロマンスへの懸け橋となる。
第2楽章
上品で優しさにあふれるロマンス。冒頭の上行音形は、第1楽章との結びつきを示している。3部形式からなるが、はじめの2部分は叙情的にピアノのみで奏される。そしてオーケストラではなく、独奏チェロに旋律が引き継がれピアノと二重奏を演じる。これはシューマンのピアノ協奏曲やブラームスのピアノ協奏曲での有名なチェロ声部への刺激となったのかもしれない。
第3楽章
ロンド形式。ピアノがfで奏し始めるロンド主題が何度も現れる。356小節と第1・2楽章を合わせた長さよりも長く、規模・内容ともに充実した楽章。締めくくりにふさわしいだけでなく、単独で演奏されたことも納得できる。
それまでよりもオーケストラの重要性が増し、オーケストラの音色の操作、そしてピアノとの対話が光る。先ほども述べたように、ローベルトによるオーケストレーションだが、しかし彼の手が加わっているからといって、クララにとってこの作品の重要性が減少することはないはずだ。またローベルトの初期のオーケストラ書法を知るうえでも貴重な例となっている。
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 | Konzert für Klavier und Orchester a-Moll Op.54 | 作曲年: 1841,'45年 出版年: 1846年 |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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1 | 第1楽章 Mov.1 Allegro | 16分00秒 | No Image |
2 | 第2楽章 Mov.2 Intermezzo | 5分30秒 | No Image |
3 | 第3楽章 Mov.3 Allegro vivace | 11分30秒 | No Image |
作品解説
唯一完成されたピアノ協奏曲。それまでたくさんのピアノ独奏曲や歌曲を書きつづけたシューマンであったが、1838年には自ら「ピアノは私にとってあまりに窮屈になってきた」と語り、前後にも4つの「交響曲」をはじめ数々のオーケストラ作品を残した。さてこの曲は第1楽章が1841年、第2、3楽章が1845年の作曲だが、ロマン派の他の多くの協奏曲がピアノにあくまでもきらびやかなヴィルトーゾ性を追及させることを最優先しているのとは少々異なり、時にはピアノがオーケストラの伴奏を受け持ったり一つのメロディーをかけあったりと、ピアノを多分にオーケストラ楽器の一つとして扱っているところに、後にたくさん残した素晴らしい室内楽曲の予兆を感じられる。
第1楽章:短いオーケストラによるドミナントの投げかけにピアノが連続する下降和音で答え、極めてドラマティックに幕をあける。第1主題はまずオーボエによって一度きいたら忘れられないメランコリックなテーマが奏でられ、すぐにピアノによって模倣される。そのあとメロディーは再びオーケストラに移り、長い駆け引きの後第1主題を発展させた第2主題が現れる。ここでもはじめピアノは管楽器によるメロディーの伴奏を受け持つが、このアルペジオによる伴奏形が実はかなりの超絶技巧である。展開部ではテンポ標示が「Andante」に変わり、思いがけない変イ長調で再び第1主題のモティーフが現れる。その後は突然冒頭の下降音型がオーケストラとの掛け合いで最高潮まで盛り上がったところで第2主題の発展型に続き、落ち着いたところで再現部を迎える。もともとこの楽章は作曲された時期的にも構成的にも独立した楽曲として構想されたと思われる。
第2楽章:Intermezzo 「間奏曲」という題にふさわしい短い楽章である。軽く愛らしい主題がピアノとオーケストラの掛け合いで進み、中間部は一転してチェロによる朗々としたメロディーをピアノが伴奏し、間合い的にピアノによるカデンツが挿入される。第1楽章のモティーフの後はそのまま第3楽章に突入する。
第3楽章:打って変わってイ長調の明るいホルン五度のテーマがここではピアノによって奏され、オーケストラが伴奏する。
途中でピアノが本来の三拍子、オケがヘミオラで掛け合いアルペジオを主体とした軽いピアノソロに続くが、これがまたくせもので軽さと和声進行をはっきりきかせるのは至難の技である。コーダはサブドミナントで余韻を残すように始まり、最後は華々しく分散オクターブで終わる。
パデレフスキ:ピアノ協奏曲 イ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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パデレフスキ:ピアノ協奏曲 イ短調 | Klavierkonzert Op.17 | 作曲年: 1888年 |
フンメル:ピアノ協奏曲 イ短調
グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 | Piano Konsert Op.16 | 作曲年: 1868年 出版年: 1872年 初版出版地/出版社: ライプツィヒ |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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1 | 第1楽章 Mov.1 Allegro molto moderato | 12分00秒 | No Image |
2 | 第2楽章 Mov.2 Adagio | 6分00秒 | No Image |
3 | 第3楽章 Mov.3 Allegro moderato molto e marcato - Quasi presto - Andante maestoso | 9分30秒 | No Image |
作品解説
グリーグの作品においてのみならず、古今のピアノ協奏曲の中でも重要な位置を占める「名曲」。親友のエドムント・ノイペルトに捧げられており、完成の翌年、ノイペルトによって初演された。
フランツ・リストが本作品を初見で弾いて絶賛したというエピソードが伝わっており、今日一般的に使用される版は、このときのリストのアドヴァイスを反映したものとされている。また、シューマンのイ短調協奏曲との類似もよく指摘される。レコード商品としては、この2曲が組み合わされることが多い。
第1楽章は、イ短調のアレグロ・モルト・モデラート。4分の4拍子で書かれている。ティンパニのトレモロで開始し、そのすぐ後にピアノが、オクターヴによるパッセージを繰り広げる。このパッセージからして、既にノルウェーの情緒をうかがわせている。そこに続く第1テーマは、オーケストラの軽快なメロディーと歌唱声に溢れたメロディーから構成されている。そして、それに対比を成す第2テーマは、チェロが提示する。
第2楽章は、第1楽章の主調からみて長3度にあたる調の異名同音の変ニ長調で書かれている。アダージョのこの楽章は、8分の3拍子で、3部リート形式の形をとっている。弱音器を付けた弦楽器がノルウェーの情緒溢れるメロディーを歌い始う。中間部の繊細な音楽を経て、再現部では、ピアノが前面に出て歌いあげる。アタッカで次の楽章へと続く。
第3楽章は、アレグロ・モデラート・モルト・エ・マルカート。第1楽章と同じイ短調で書かれ、4分の2拍子の自由なロンド・ソナタ形式の形をとっている。マーチによる導入の後、ピアノのカデンツァで開始する。ノルウェー舞曲を思わせる第1テーマは、ピアノが提示する。そして、中間部では、フルートがとりわけ叙情性に溢れた牧歌的なメロディーを歌いあげる。その後、一度クァジ・プレストにテンポを急迫させてから、アンダンテ・マエストーソとなり、堂々とした終曲に至る。
ドヴォルザーク(ドボルザーク):ピアノ協奏曲 ト短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ドヴォルザーク(ドボルザーク):ピアノ協奏曲 ト短調 | Concerto for piano and orchestra Op.33 B.63 | 作曲年: 1876年 出版年: 1883年 初版出版地/出版社: ブレスラウ |
ヴィオッティ:ピアノ協奏曲 ト短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ヴィオッティ:ピアノ協奏曲 ト短調 | Concerto per piano e orchestra | 作曲年: 1794年 |
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調 | Concerto pour piano et orchestre | 作曲年: 1929-31年 |
ハンソン:ピアノ協奏曲 ト長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ハンソン:ピアノ協奏曲 ト長調 | Piano concerto Op.36 | 作曲年: 1948年 |
モーツァルト:ピアノ協奏曲 ト長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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モーツァルト:ピアノ協奏曲 ト長調 | Konzert für Klavier und Streicher G-Dur K.107-2 | 作曲年: 1772年 |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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1 | 第1楽章 Mov.1 Allegro | 4分00秒 | No Image |
2 | 第2楽章 Mov.2 Theme and Variations: Allegrett | 4分00秒 | No Image |
作品解説
ピアノ協奏曲第1~4番と同様、他人のピアノ・ソナタの編曲である。この作品の原曲にはそれぞれ、ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-82)の6曲のピアノ・ソナタ作品5から、第2、第3、第4番が取り上げられている。
クリスティアン・バッハはJ. S. バッハの末子で、最終的に活躍した地名から「ロンドンのバッハ」と呼ばれる。ミラノで勉強を重ねた彼の音楽は、イタリア風の優美で明るいギャラントな様式を特徴とし、モーツァルトに多大な影響を及ぼしたと考えられている。モーツァルトが彼と親しくなったのは、1764年から翌年にかけてロンドンに滞在した際、すなわち8歳のときであった。
この3つのピアノ協奏曲(K.107)は独奏ピアノ(チェンバロ)とヴァイオリン2部、そしてバスという簡素な編成で、原曲を大きく改作することなくその雰囲気を保持している。第2曲は、流麗な主題の耳に心地よい第1楽章と、独奏ピアノと弦楽による奥行きをみせながら変奏される第2楽章(主題と4つの変奏)から成る。モーツァルト自身によるカデンツァは残されていない。
ドライショック(ドライショク):ピアノ協奏曲 ニ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ドライショック(ドライショク):ピアノ協奏曲 ニ短調 | Konzert für Klavier und Orchester, d-moll Op.137 | 初版出版地/出版社: Senff |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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1 | 第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ Mov.1 Allegro ma non troppo | No Data | No Image |
2 | 第2楽章 アンダンテ Mov.2 Andante | No Data | No Image |
3 | 第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ Mov.3 Allegro vivace | No Data | No Image |
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 ニ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 ニ長調 | Konzert für Klavier und Orchester D-Dur Op.61 | 作曲年: 1807年 出版年: 1808年 初版出版地/出版社: Bureau d'art et d'industrie |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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1 | 第1楽章 1.Satz | No Data | No Image |
2 | 第2楽章 2.Satz | No Data | No Image |
3 | 第3楽章 3.Satz | No Data | No Image |
作品解説
ピアノ協奏曲Op.61a(ヴァイオリン協奏曲Op.61の編曲)
Op.61aはベートーヴェン唯一のヴァイオリン協奏曲Op.61を、出版業も営んでいたクレメンティの依頼により、作曲家自身がソロパートのみをピアノ用に編曲したものである。この時ピアノ用のカデンツァも新たに書かれた。ベートーヴェンはピアノソロパートの作曲と平行で初演ヴァイオリンパートも改訂した。そのため現在演奏されている2稿には編曲と原曲の両層が重なり合うと言え、単純にヴァイオリン稿を原曲、ピアノ稿を編曲とは定めにくい。作曲家が初演稿を同時に2つの楽器のために練り直したとも捉えられる。
冒頭楽章はソナタ形式、第2楽章は変奏曲。ロンド楽章はソロパートのカデンツァからアタッカで始まる。終楽章のコーダは長いトリルに導かれ、ソリストの見せ場が絶頂に達して曲が終わる。
ベートーヴェンの自作編曲の多くは原曲を単に別媒体へ移したものではない。原曲と編曲の違いから楽曲構造や作曲家が意図しただろう奏法が細かく読み取れるのに加え、編曲は独自の創意工夫にも溢れている。Op.61aではピアノの左手という新たなパートが鍵を握る。左手は大部分が右手の旋律や管弦楽伴奏の補強に留まるように見えるが、その補佐的な左手から、小節内の強弱変化やアーティキュレーションなど、曲の構造や奏法へのヒントが得られる(ex.第1楽章409小節~、496小節~(右手2音を左手和音が纏める))。
一方Op.61aには、ヴァイオリンとは全く別の旋律線や、管弦楽とソロ及び両手パートの動機の呼応、ペダルの指示など、鍵盤楽器語法、左手の存在や楽器の特性に深く関わる独創的な点も目立つ(ex.第1楽章111~、333~、第3楽章)。更にOp.61aは、第1楽章全体を統一するティンパニの動機が、本来ソリストのみのカデンツァにも組込まれている点で、協奏曲として画期的な作品でもあるのだ。
Op.61aは、確かに弦楽器向けの音形も多く残るため演奏の難点が度々批判されるが、ピアノ協奏曲として独自の価値を持つことは疑いないだろう。
モーツァルト:ピアノ協奏曲 ニ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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モーツァルト:ピアノ協奏曲 ニ長調 | Konzert für Klavier und Streicher D-Dur K.107-1 | 作曲年: 1772年 |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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1 | 第1楽章 Mov.1 Allegro | 5分00秒 | No Image |
2 | 第2楽章 Mov.2 Andante | 4分00秒 | No Image |
3 | 第3楽章 Mov.3 Tempo di Menuetto | 4分00秒 | No Image |
作品解説
ピアノ協奏曲第1~4番と同様、他人のピアノ・ソナタの編曲である。この作品の原曲にはそれぞれ、ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-82)の6曲のピアノ・ソナタ作品5から、第2、第3、第4番が取り上げられている。
クリスティアン・バッハはJ. S. バッハの末子で、最終的に活躍した地名から「ロンドンのバッハ」と呼ばれる。ミラノで勉強を重ねた彼の音楽は、イタリア風の優美で明るいギャラントな様式を特徴とし、モーツァルトに多大な影響を及ぼしたと考えられている。モーツァルトが彼と親しくなったのは、1764年から翌年にかけてロンドンに滞在した際、すなわち8歳のときであった。
この3つのピアノ協奏曲(K.107)は独奏ピアノ(チェンバロ)とヴァイオリン2部、そしてバスという簡素な編成で、原曲を大きく改作することなくその雰囲気を保持している。第1曲は、ニ長調という明るい調性を活かした陽気な第1楽章、弦と独奏ピアノの調和した柔らかな緩徐楽章、そして主に独奏ピアノが主体のメヌエット楽章から成る。
カデンツァは、3曲のうち、この第1曲ニ長調の第1、2楽章にだけモーツァルトによって残されている。
コジェルフ:ピアノ協奏曲 ニ長調
ディーリアス:ピアノ協奏曲 ハ短調
ピエルネ:ピアノ協奏曲 ハ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ピエルネ:ピアノ協奏曲 ハ短調 | Concerto pour piano et orchestre Op.12 | 作曲年: 1887年 |
ヴォーン・ウィリアムズ:ピアノ協奏曲 ハ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ヴォーン・ウィリアムズ:ピアノ協奏曲 ハ長調 | Piano concerto | 作曲年: 1926-31年 |
レーガー:ピアノ協奏曲 ヘ短調
タールベルク:ピアノ協奏曲 ヘ短調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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タールベルク:ピアノ協奏曲 ヘ短調 | Konzert für Klavier und Orchester, f-moll Op.5 | 作曲年: 1830年 初版出版地/出版社: Cranz 献呈先: Czerny |
ヘンゼルト:ピアノ協奏曲 ヘ短調
メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲(第3番) ホ短調 (未完)
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲(第3番) ホ短調 (未完) | Konzert für Klavier und Orchester Nr.3 e-Moll O 13 | 作曲年: 1842-44年 出版年: 2008 etc.年 初版出版地/出版社: Bärenreiter etc. |
モシュコフスキ:ピアノ協奏曲 ホ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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モシュコフスキ:ピアノ協奏曲 ホ長調 | Piano concerto / Konzert für Klavier und Orchester, E-dur Op.59 | 作曲年: 1898年 初版出版地/出版社: Peters |
フンメル:ピアノ協奏曲 ロ短調
フンメル:ピアノ協奏曲 変イ長調
ザジツキ:ピアノ協奏曲 変イ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ザジツキ:ピアノ協奏曲 変イ長調 | Konzert für Klavier und Orchester, As-dur Op.17 | 作曲年: c1859-60年 出版年: c1868年 初版出版地/出版社: Bote |
ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲 変ニ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲 変ニ長調 | Concerto for piano and orchestra in D major | 作曲年: 1936年 |
マスネ:ピアノ協奏曲 変ホ長調
タネーエフ, セルゲイ・イヴァノヴィチ:ピアノ協奏曲 変ホ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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タネーエフ, セルゲイ・イヴァノヴィチ:ピアノ協奏曲 変ホ長調 | Piano Concerto in E flat major | 作曲年: 1876年 出版年: 1957年 初版出版地/出版社: Moscow |
アイアランド:ピアノ協奏曲 変ホ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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アイアランド:ピアノ協奏曲 変ホ長調 | Piano Concerto | 作曲年: 1930年 |
ゲッツ:ピアノ協奏曲 変ホ長調
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 変ホ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 変ホ長調 | Konzert für Klavier und Orchester Es-Dur WoO.4 | 作曲年: 1784年 出版年: 1890(独奏パートのみ)/1943(補筆完成版)年 初版出版地/出版社: Breitkopf & Härtel |
モーツァルト:ピアノ協奏曲 変ホ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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モーツァルト:ピアノ協奏曲 変ホ長調 | Konzert für Klavier und Streicher Es-Dur K.107-3 | 作曲年: 1772年 |
作品解説
ピアノ協奏曲第1~4番と同様、他人のピアノ・ソナタの編曲である。この作品の原曲にはそれぞれ、ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-82)の6曲のピアノ・ソナタ作品5から、第2、第3、第4番が取り上げられている。
クリスティアン・バッハはJ. S. バッハの末子で、最終的に活躍した地名から「ロンドンのバッハ」と呼ばれる。ミラノで勉強を重ねた彼の音楽は、イタリア風の優美で明るいギャラントな様式を特徴とし、モーツァルトに多大な影響を及ぼしたと考えられている。モーツァルトが彼と親しくなったのは、1764年から翌年にかけてロンドンに滞在した際、すなわち8歳のときであった。
この3つのピアノ協奏曲(K.107)は独奏ピアノ(チェンバロ)とヴァイオリン2部、バスという簡素な編成で、原曲の雰囲気をそのまま残している。第3曲は、弦楽器が効果的に独奏ピアノによる主題を際立たせている第1楽章と、ヴァイオリンが独奏ピアノに代わって前面で活躍する場面をもつ第2楽章から成る。モーツァルト自身によるカデンツァは残されていない。
ウェーバー:ピアノ協奏曲 変ホ長調
ゲッツ:ピアノ協奏曲 変ロ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ゲッツ:ピアノ協奏曲 変ロ長調 | Konzert für Klavier und Orchester, B-dur Op.18 | 作曲年: 1867年 初版出版地/出版社: Kistner |
バークリー:ピアノ協奏曲 変ロ長調
ピアノ協奏曲
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ピアノ協奏曲(ピアノきょうそうきょく)は、ピアノを独奏楽器とする協奏曲。発案者はヨハン・ゼバスティアン・バッハで、『ブランデンブルク協奏曲第5番』で自前のカデンツァを完全に記譜した時から始まった[1]。
歴史
バロック期を通じて、協奏曲は非常に重要なジャンルであった。そのため、当時の鍵盤楽器の代表格であったチェンバロのための協奏曲も多く作曲されることとなる。特にJ.S.バッハのものは有名である。これらのチェンバロ協奏曲は現在ではしばしばチェンバロでなくピアノで演奏されることがある。バッハのチェンバロ協奏曲は弟子の指導用に書かれたと考えられている。
バロック期においてはまだハンマー式の鍵盤楽器(ピアノ)は発展途上にあり、独奏楽器としての使用には必ずしも耐えうるものではなかったが、やがて18世紀になるとかなり質のよいピアノが作られるようになり、作曲家達はこの楽器のための協奏曲も作曲するようになった。これはちょうど古典派の時代と一致し、主としてW.A.モーツァルトらの手によって、ピアノ協奏曲はさまざまな方面からそのあらゆる可能性が追求されることとなった。
モーツァルトは32のピアノとオーケストラのための作品[注釈 1]を作曲し、それを自分自身で演奏した。またこの時代の鍵盤楽器の名手達も自作自演用に多くのピアノ協奏曲を作曲している。その代表格として挙げられるのがベートーヴェンであり、全部で7曲のピアノ協奏曲[注釈 2]を作曲している。ロマン派音楽の時代においては、ショパン、シューマン、リスト、ブラームス、といった大ピアニストが重要な作品を作曲している。そのほか、フンメルやフィールドらの作品も比較的知られている。
ピアノの名手に限らず、いろいろな作曲家がこのジャンルにおいて作品を残している。グリーグ、チャイコフスキーらの作品が知られている。また、演奏機会は少ないものの、メンデルスゾーンも優れた作品を残している。これらの作品は、ピアニスト達が作曲してヨーロッパやアメリカ各地で自ら演奏して歩いた「一時的な演奏効果」をねらったような作品とは異なり、音楽の「内容」を豊かに含んでいたため、とくに形式面において、「正統的な」作曲家達によって継承されていった。その軌跡がHyperion社の膨大なリリースによって確認されたのは20世紀末の話である。
ピアノ協奏曲は20世紀においても重要なジャンルであり、21世紀になってからも作られている。20世紀以降のピアノ協奏曲としては、ラフマニノフ、バルトーク、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、バーバー、ティペット、ルトスワフスキ、リゲティ、ラウタヴァーラ、グラスらの作品が知られている。
ピアニストから委嘱されることによってピアノ協奏曲が作曲されることもある。パウル・ヴィトゲンシュタインは第一次世界大戦で右手を失い、ピアニストとしての生命が途絶えそうになる危機が訪れたが、このときウィトゲンシュタインは知りうる限りの作曲家に声をかけ、左手のみで演奏できるピアノ曲の作曲を委嘱した。この委嘱により、ラヴェル、プロコフィエフ、コルンゴルト、リヒャルト・シュトラウス、フランツ・シュミット、ブリテン、ヒンデミットが左手のためのピアノ協奏曲を作曲した。またこれ以後も何人かの作曲家はこのスタイルによるピアノ協奏曲の作曲を試みるようになり、やがて「左手のためのピアノ協奏曲」はピアノ協奏曲のひとつのジャンルとして確立されるに至った。ガンサー・シュラーはこれを発展させて「三手のためのピアノ協奏曲」(一人が片手しかひかない)を生み出している。
20世紀後半は必ずしも両者が協奏関係にあることを重視しないため「ピアノ協奏曲」とは明記せず、「ピアノとオーケストラのための作品」と断り書きを入れられることも増加した。この種の作品ではピアノがカデンツァを披露することが省略されたりする。
シモン・ステン=アナーセンのようにサンプラーとビデオを組み合わせる作品もある。伴奏がオーケストラとは限らない作品もある。
複数の奏者によるピアノ協奏曲
複数の奏者による鍵盤楽器のための協奏曲としては、バロック時代にバッハによる2・3・4台のチェンバロのために書いた一連の協奏曲の例があるが、古典時代になるとモーツァルトらにより2台や3台のピアノによる協奏曲が作曲され、ロマン派の時代にはメンデルスゾーンらが作曲を試みた。カール・チェルニーは、4手連弾のための協奏曲を作曲しており、現在も演奏の機会がある。
20世紀には、ヴォーン=ウィリアムズ、プーランク、ブリスなどが2台用の協奏曲を作曲している。
形式
古典的なピアノ協奏曲は、協奏曲の形式にのっとって、3つの楽章から構成される。
モーツァルトやベートーヴェンは、この形式にのっとって作曲している。一方、リストの循環形式のように、さまざまな形式の追求もなされている。
作曲家とその作品の生年順リスト
- 1740年 パイジェッロ - 6曲
- 1754年 ホフマイスター - 1曲
- 1756年 モーツァルト - 30曲(7(3台のピアノのための協奏曲), 9, 10(2台のピアノのための協奏曲), 20, 21, 22, 23, 24, 25, 26, 27)、三つのピアノ協奏曲K.107。
- 1760年 ドゥシーク - 15曲
- 1770年 ベートーヴェン - 6曲(1, 2, 3, 4, 5, ヴァイオリン協奏曲の編曲, 5番は特に「皇帝」として有名)
- 1778年 フンメル - 8曲(2, 3, 4)+コンチェルティーノ1曲、協奏的作品多数
- 1782年 フィールド - 7曲(2)
- 1784年 リース - 8曲
- 1786年 ウェーバー - 2曲(1、2)、小協奏曲
- 1794年 モシェレス - 8曲
- 1809年 メンデルスゾーン - 5曲(1, 2, イ短調, 2台のピアノのための:ホ長調, 変イ長調)
- 1810年 ロベルト・シューマン - 生前に公表できたものは4曲。(イ短調)、コンチェルトシュトルックのピアノとオーケストラのための改訂版、ピアノとオーケストラのための序奏とアレグロ・アパッショナート、ピアノとオーケストラのための序奏と協奏的アレグロ。このほか、ピアノとオーケストラのための協奏的楽章ニ短調を含む未完の断片が複数ある。
- 1810年 ショパン - 2曲(1, 2)
- 1811年 ヒラー - 3曲
- 1811年 リスト - 2曲(1, 2)、他に死の舞踏、遺作の協奏曲など
- 1819年 クララ・シューマン - 1曲
- 1823年 ラロ - 1曲
- 1823年 テレフセン - 2曲
- 1824年 ライネッケ - 4曲
- 1829年 アントン・ルビンシテイン - 6曲(1, 2, 3, 4, 5,ピアノとオーケストラのための幻想曲Op. 84)
- 1833年 ブラームス - 2曲(1, 2)
- 1835年 サン=サーンス - 5曲(1, 2, 3, 4, 5「エジプト風」)
- 1836年 ハートマン - 1曲
- 1840年 チャイコフスキー - 3曲(1, 2, 3,第1番が特に有名)、他にアンダンテとフィナーレ
- 1841年 ズガンバーティ - 1曲
- 1841年 ドヴォルザーク - 1曲
- 1842年 マスネ - 1曲
- 1843年 グリーグ - 1曲
- 1844年 リムスキー=コルサコフ - 1曲
- 1850年 フランツ・クサヴァー・シャルヴェンカ - 4曲(1, 2, 3, 4)
- 1852年 スタンフォード - 2曲(1, 2)
- 1854年 モシュコフスキ - 2曲(1, 2)
- 1856年 シンディング - 1曲
- 1856年 マルトゥッチ - 2曲
- 1859年 リャプノフ - 2曲(1,2), 他にウクライナの主題による狂詩曲
- 1860年 アルベニス - 1曲
- 1860年 パデレフスキ - 1曲
- 1860年 マクダウェル - 2曲(1, 2[2])
- 1861年 アレンスキー - 1曲
- 1862年 ディーリアス - 1曲
- 1862年 ドビュッシー - ピアノと管弦楽のための幻想曲
- 1863年 ピエルネ - 1曲
- 1864年 ダルベール - 2曲
- 1865年 グラズノフ - 2曲(1, 2)
- 1866年 ブゾーニ - 1曲
- 1867年 ビーチ - 1曲
- 1869年 ルーセル - 1曲
- 1869年 プフィッツナー - 1曲
- 1870年 ストヨフスキ - 2曲(1, 2)
- 1871年 ステーンハンマル - 2曲(1, 2)
- 1872年 スクリャービン - 1曲、他に交響曲第5番「プロメテウス」
- 1872年 アルネス - 1曲
- 1872年 レーガー - 1曲
- 1872年 ヴォーン・ウィリアムズ - ハ長調(後に、2台のピアノのための協奏曲に改作)
- 1873年 ラフマニノフ - 4曲(1, 2, 3, 4)、他に パガニーニの主題による狂詩曲
- 1874年 シェーンベルク - 1曲
- 1874年 フランツ・シュミット - 2曲(2(左手))、他に ベートーヴェンの主題による2つの協奏的変奏曲
- 1875年 ラヴェル - 2曲(ピアノ協奏曲 ト長調, 左手のためのピアノ協奏曲)
- 1876年 ファリャ - スペインの庭の夜
- 1877年 エルンスト・フォン・ドホナーニ - 2曲+変奏曲1曲
- 1877年 ボルトキエヴィチ - 3曲(2(左手), 3「苦悩を通って永光へ」)、他にロシア狂詩曲
- 1878年 パルムグレン - 5曲
- 1879年 レスピーギ - ミクソリディア旋法の協奏曲
- 1879年 アイアランド - 1曲
- 1879年 ハーティ - 1曲
- 1880年 メトネル - 3曲(1, 2, 3)
- 1881年 ヴァイグル - 1曲, 他に狂詩曲や、左手のためのピアノ協奏曲
- 1881年 バルトーク - 3曲(1, 2, 3)、 他に2台のピアノと打楽器のための協奏曲(2台のピアノと打楽器のためのソナタの編曲版)
- 1882年 ヨーゼフ・マルクス - 2曲
- 1882年 ストラヴィンスキー - ピアノと管楽器のための協奏曲
- 1886年 フルトヴェングラー - ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲
- 1887年 アッテルベリ - 1曲
- 1887年 ヴィラ=ロボス - 5曲(1)
- 1890年 ガル - 1曲
- 1890年 マルタン - 2曲
- 1890年 マルティヌー - 5曲(4「呪文」)
- 1891年 プロコフィエフ - 5曲(1, 2, 3, 4(左手), 5)
- 1892年 オネゲル - 小協奏曲[3]
- 1892年 ミヨー - 5曲
- 1892年 ソラブジ - 8曲+ピアノ独奏付きの巨大な管弦楽作品が3曲
- 1896年 コセンコ - 1曲
- 1897年 コルンゴルト - 左手のためのピアノ協奏曲
- 1897年 タンスマン - 2曲(タンスマンのピアノ作品一覧参照)
- 1898年 ガーシュウィン - 1曲、他にラプソディ・イン・ブルー
- 1899年 アレクサンドル・チェレプニン - 6曲(1)
- 1899年 プーランク - 1曲、他に2台のピアノと管弦楽のための協奏曲
- 1900年 コープランド - 1曲
- 1901年 ロドリーゴ - 1曲
- 1903年 ハチャトゥリアン - 1曲、他にコンチェルト・ラプソディー
- 1903年 諸井三郎 - 3曲
- 1904年 カバレフスキー - 4曲(1, 2, 3, 4)
- 1904年 チゾーム - 2曲(1, 2)
- 1905年 ティペット - 1曲
- 1905年 ジョリヴェ - 1曲
- 1906年 ショスタコーヴィチ - 2曲(1, 2)
- 1907年 大澤壽人 - 3曲(2, 3「神風協奏曲」)
- 1907年 ロージャ - 1曲
- 1908年 アンダーソン - 1曲
- 1908年 カーター - 5曲(ピアノとオーケストラのためのピアノ協奏曲、ピアノと室内オーケストラのためのダイアローグス、弾き振り出来る指揮者兼ピアニストとオーケストラのためのサウンディングス、ピアノとオーケストラのためのインターヴェンションズ、ピアノと室内オーケストラのためのダイアローグス II)
- 1910年 ウィリアム・シューマン - 1曲
- 1910年 サミュエル・バーバー - 1曲
- 1912年 フランセ - 1曲(1936年)
- 1913年 ルトスワフスキ - 1曲
- 1913年 オアナ - 1曲
- 1913年 ブリテン - 1曲、他にディヴァージョンズ
- 1914年 パヌフニク - 1曲
- 1914年 伊福部昭 - 「リトミカ・オスティナータ」
- 1914年 早坂文雄 - 1曲
- 1916年 ヒナステラ - 2曲
- 1922年 クセナキス - シナファイ、エリフトン、ケクロプス
- 1923年 リゲティ - 1曲
- 1928年 スヴェトラーノフ - 1曲
- 1928年 ラウタヴァーラ - 3曲
- 1929年 間宮芳生 - 4曲[4][5]
- 1929年 シェッフェル - 存在が判明しているもののみ「四つの楽章」、「Azione a Due」、「ピアノ協奏曲」、「Mare」、「Experimenta」、「ピアノ協奏曲第3番」、 「BlueS V」、「ピアノ協奏曲第4番」、「BlueS VI」、「ピアノ協奏曲第5番」、 「BlueS VII」、「ピアノ協奏曲第6番」、「BlueS VIII」、「ピアノ協奏曲第7番」の合計で14曲。
- 1929年 矢代秋雄 - 1曲、この曲の前、未公開に終わった作品[6]が一曲ある。
- 1930年 グルダ - コンチェルト・フォー・マイセルフ
- 1930年 武満徹 - 「アーク」「アステリズム」「リヴァラン」「夢の引用」(2台ピアノとオーケストラ)
- 1930年 諸井誠 - 1曲
- 1933年 三善晃 - 1曲
- 1935年 ラッヘンマン - 「終結音」
- 1937年 弾厚作 - 1曲(父に捧げるピアノコンチェルト)
- 1938年 ボルコム - 1曲
- 1938年 佐藤眞 - 1曲、他に喜遊曲
- 1938年 田村徹 - 2曲
- 1938年 クラウツェ - 3曲[7]
- 1940年 野田暉行 - 1曲[8]
- 1940年 ミゼル - 2曲
- 1944年 マイケル・ナイマン - 1曲
- 1945年 ルノ - 4曲。ピアノ協奏曲第0番、第1番、第2番、キアロスクーロ (初版と改訂版の二つの稿がある)
- 1946年 フィニスィー - 番号付けされたものが7曲、Marcel Duchamp, the Picabias and Apollinaire attend a performance of Impressions d'Afrique (1999 - 2000)を含めて8曲。ただし、4番と6番のみソロ用のためこのカテゴリーには6曲。
- 1953年 吉松隆 - 「メモ・フローラ」
- 1953年 西村朗 - 6曲(第一番、第二番、流れ-闇の訪れたあとに、シャーマン、星の鏡、ヴィシュヌの臍)
- 1960年 クレンティー - 3曲(連弾ピアノとオーケストラのための1曲を含む)
- 1960年 コッラ - 3曲
- 1968年 原田敬子 - 1曲
- 1971年 エッカルト - 1曲
- 1972年 菱沼尚子 - 「リフレックス」
- 1977年 パパディミトリオウ - 「白と黒」
- 1978年 稲森安太己 - 「ヒュポムネーマタ」
- 1982年 山根明季子 - 「水玉コレクション」(初版と改訂版の二つの稿がある)
- 1991年 坂東祐大 - 「花火」
脚注
注釈
出典
- ^ 音楽之友社刊、ベーレンライター全集準拠版ミニチュアスコア ISBN 4-276-91751-4 p.VIII
- ^ 2は最新名曲開設全集9 協奏曲Ⅱ (音楽之友社) 参照
- ^ 「最新名曲解説全集10協奏曲Ⅲ」(音楽之友社)
- ^ “Concerto pour piano et orchestre”. ci.nii.ac.jp. 2019年10月15日閲覧。
- ^ 第2番は、「最新名曲解説全集10協奏曲Ⅲ」(音楽之友社)参照
- ^ “Concerto pour piano et orchestre”. ci.nii.ac.jp. 2019年10月15日閲覧。
- ^ “Zygmunt Krauze's Piano Concerto No. 3”. sonoramusic.eu. 2019年10月15日閲覧。
- ^ “ピアノ協奏曲/野田暉行”. www.camerata.co.jp. www.camerata.co.jp. 2023年4月26日閲覧。
ピアノ協奏曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 05:27 UTC 版)
「ベートーヴェンの楽曲一覧」の記事における「ピアノ協奏曲」の解説
作品タイトルOp.WoOUnvHess作曲年代備考ピアノ協奏曲 変ホ長調 - 4 - - 1784 独奏パート譜のみ現存。後世に補筆完成された版を「ピアノ協奏曲第0番」と呼ぶことがある。 ピアノと管弦楽のためのロンド 変ロ長調 - 6 - - 1794以前 ピアノ協奏曲第2番のフィナーレとして意図された。 ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 15 - - - 1795 ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 19 - - - 1795 ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 37 - - - 1800 ピアノ協奏曲第4番 ト長調 58 - - - 1806 ピアノ協奏曲 ニ長調 61a - - - 1807 ヴァイオリン協奏曲 Op.61のピアノ協奏曲版。これを「ピアノ協奏曲第6番」と呼ぶこともある。 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 (皇帝) 73 - - - 1809 ピアノ協奏曲第6番 ニ長調 - - 6 15 1815 60ページのスケッチのみで未完。
※この「ピアノ協奏曲」の解説は、「ベートーヴェンの楽曲一覧」の解説の一部です。
「ピアノ協奏曲」を含む「ベートーヴェンの楽曲一覧」の記事については、「ベートーヴェンの楽曲一覧」の概要を参照ください。
「ピアノ協奏曲」の例文・使い方・用例・文例
- ピアノ協奏曲
- その曲はピアノ協奏曲に編集された。
- 6月21日の本選で,上原さんはチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」とラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」を演奏した。
- そのとき,彼女は偶然,ラヴェルのピアノ協奏曲を聞き,自分と千秋(玉(たま)木(き)宏(ひろし))が舞台でその曲を一緒に演奏している姿を想像する。
- 千秋は彼女がショパンのピアノ協奏曲を演奏するのを見るためにはるばるプラハまで行く。
- 内田さんはクリーブランド管弦楽団と共演したモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏で最優秀器楽ソリスト演奏(オーケストラとの共演)賞を受賞した。
- 浅田選手は,ショートプログラムではショパンのノクターンのうちの1曲,フリーではラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に合わせて演技すると述べた。
- フリーについて,浅田選手は「私はラフマニノフのピアノ協奏曲がとても好きです。」と述べた。
- 翌日のフリーでは浅田選手はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」に合わせて滑った。
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