クーラウ

ドイツ生まれの作曲家、のちにデンマークへ亡命。ハンブルクで音楽を学び、ピアニストとして活動を始めるが、1810年のナポレオンの侵攻に際してコペンハーゲンに逃れ、以降は北欧で過ごした。コペンハーゲンでは宮廷室内音楽家の地位を得て、オペラを残している。また、ピアニストとしてスカンジナヴィア諸国を演奏旅行し、とくにスウェーデンの貴族に多くの弟子を持った。1825年にヴィーンを訪れた際にベートーヴェンに会っている。28年、コペンハーゲンで名誉教授号を贈られた。
ピアノとフルート作品にとりわけ佳作が多い。ソナチネでは、小規模で高度な演奏技術を要求しないにも拘らず、簡明かつ流麗な旋律が華やかな効果を生む。3楽章のソナタにおいては、緩徐楽章の音色の陰影や感情表現に初期ロマン派の特徴が顕れている。
クーラウ
フリードリヒ・クーラウ
(クーラウ から転送)
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フリードリヒ・クーラウ Friedrich Kuhlau |
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基本情報 | |
生誕 | 1786年9月11日![]() ![]() |
死没 | 1832年3月12日(45歳没)![]() |
ダニエル・フリードリヒ・クーラウ(Daniel Friedrich Rudolph Kuhlau, 1786年9月11日 - 1832年3月12日)は、ドイツ生まれの作曲家。後にデンマークの首都コペンハーゲンに移住した。
フルートの作品を数多く作曲し、同時代の作曲家ベートーヴェンに作風が似ていたため「フルートのベートーヴェン」と呼ばれることもある。
「ピアノのためのソナチネ」は、ピアノ学習者により演奏される機会が多い。日本の楽譜出版社から出ている『ソナチネアルバム』で、クーラウの曲は作品20の3曲(第1番 - 第3番[注釈 1])と作品55の6曲(第1番 - 第6番[注釈 2])、作品88では4曲のうち2曲(第1番、第2番[注釈 3])が採用される。Op. 20-1(作品20-1)はソナチネ・アルバム第1巻の冒頭に収録された作品ということもあり、ピアノ学習者には耳に馴染みが深いが、Op. 55-3以降はかなり長くなり、子供の演奏者にはかなりの集中力を要求する。第2巻に収録されている作品88の4つのソナチネは上記の2曲のみで、他では第3番イ短調、第4番ヘ長調も存在する。その他にもクーラウのソナチネは作品59(3曲)、作品60(3曲)、連弾ソナチネ作品44(3曲)が残されている。
生涯
- 1786年 - ハノーファー選帝侯領(現ドイツ)のユルツェン(Uelzen)で生まれる。
- 1793年 - 幼年時代の外出時に転倒し、所持していた瓶の破片で片目を失明。
- 1810年 - コペンハーゲンに移住。
- 1825年 - ウィーンにベートーヴェンを訪ねる。
- 1832年 - コペンハーゲンにて死去。
脚注
注釈
外部リンク
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