アルカン, シャルル=ヴァランタン:大ソナタ
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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アルカン, シャルル=ヴァランタン:大ソナタ | 1eè Grande Sonate Op.33 | 作曲年: 1847年 出版年: 1848年 初版出版地/出版社: Brandus 献呈先: Alkan Morhange |
作品解説
アルカンが34歳のときの作品で、父に献呈。20世紀半ばに活躍したピアニスト、レイモンド・ルウェンタールは1964年、この曲を『アルカンの発展とピアノ音楽史における宇宙的大事件』と言い、アルカンの研究において大きな業績を残したロナルド・スミスは『この世紀のもっとも際立ったピアノ諸作品の一つである』と位置づけている。確かに、この作品は序文、標題、調構造、動機の処理、ピアノ書法の全ての点が確固とした構想の下に展開されている。しかし、この比類なき名曲は、驚くべきことに125年間、公開演奏も機会に恵まれなかった。初演は 1973年8月10日、ヨーク大学におけるロナルド・スミスによる演奏であるとされている。
この曲の各楽章にはそれぞれ標題がついているが、それは第1楽章から順に、《20代》《30代:ファウストの如く》《40代:幸せな夫婦》《50代:縛られたプロメテウス》というもので、人間の生涯の4つの時代をそれぞれの楽章に対応している。これらの標題に関する作曲者自身の考えが、序文で述べられている。ここで述べられている内容は、19世紀の自律美学と他律美学の問題にかかわるものであり、アルカンの音楽表現の方法が概念的にはベルリオーズやリストに近かったということがはっきりと見て取ることが出来る。
□第1楽章:《20代》 ニ長調、3/4 スケルツォ
第1楽章はソナタ形式ではなく、3部形式のスケルツォによって開始される。形式は単純なABA形式をとり、4つの楽章の中で最も短く、構造的に最も把握しやすいのだが、調性とリズムはかなり効果的に処理されている。冒頭のニ長調の装飾楽句はあたかも2拍子であるかのように聴こえるが、しかしアクセントは1拍目に置かれている。中間部への移行部では「息を切らしてpalpitant」と指示された主題はばらばらになり、いくつかの嬰ハ音が単独で鳴らされ、やがて主題が途切れ途切れに現れ両者が対峙する。
中間部はロ長調でこれもまた4分の3拍子でありながら4拍子であるかのように聴かせる。 非常に単純な旋律ではあるが、これが形を変えながら繰り返される。はじめは「遠慮がちにtimidment」で始まるが、「愛情を込めてamoureusement」、「喜びを持ってavec bonheur」へ、そして「常にいっそう表情豊かにtoujours plus expressif」というように次第に謙虚さを捨て、興奮が高めていくが、やがてその興奮も静まり中間部は消えていく。
主調で冒頭のテーマが現れ、一通り奏した後、直接ロ長調の中間部の旋律に連結されるが、こんどは初めからフォルティッシモで2オクターヴにわたる分散和音のうえで劇的に奏され、その興奮は結尾において最高潮に達する。ニ長調の嵐のような下降音階に続いて自信に満ちた厚い和音が連続する。
いわゆる「ソナタ形式」という規範に鑑みれば、第1楽章は主調で終わるのが妥当であろうが、しかしアルカンの場合はそうではなく、結尾で主調に戻ったにもかかわらず、故意にロ長調に転じて第1楽章を閉じるのである。この理由は次の楽章を聴くことによって明らかになる。というのは、第1楽章の最後の「勝ち誇ってvicorieusement」と記された部分の音型は、第2楽章の冒頭の音型と同じであり、両者の整合性を示唆しているのである。
□第2楽章《30代:ファウストの如く》 嬰ニ短調、4/4
この楽章はタイトルから考えて、ファウスト伝説が着想の源泉となっており、各所にファウスト、メフィストーフェレス、グレートヒェン、神を示唆する言葉がちりばめられている。
第1楽章の最後の音型を受け継いで、第1主題が形成される。一方、 第2主題は叙情てきな四つの音の連打に始まる美しい旋律である。この第1主題と第2主題の特徴について、ロナルド・スミスはフランツ・リストのソナタロ短調(1853)との関連を指摘している。特に主題変容の方法、多主題性、さらに、リストのソナタも、しばしばファウストのストーリーになぞらえて解釈されてきたという点で両者はかなりの類似を示している。
展開部はハ長調の第1主題に始まる。新しい音型が現れ、その動きはますます白熱する。やがて第2主題が現れるが、そこには「祈って」、「絶望的に」、「胸を引き裂くように」と苦痛を感じさせる指示がなされている。この制御不能なまでの興奮は鍵盤の下から上までを一掃する4つの巨大な分散和音でようやくおさまり、その次には神秘的なフーガの主題が続く。この分散和音の最高音は順にe-fis-dis-cisであり、これは次に来るフーガの主題の逆行形になっている。しかもこのフーガの主題にはdis-fis-e-disという、あの第1楽章の最後から受け継がれてきた音型がはっきり見て取れる。
このフーガは驚くほど複雑にできていて、最終的には6声となる。調性も複雑を極め、嬰ハ長調から始まり嬰へ長調、ロ長調、嬰ト長調、と移り変わり、そして最後には、理論上はありうるが必ずしも実践は向かない嬰ホ長調にたどり着く。これは完全に象徴的な調性と言わざるを得ない。
フーガが終わると「神Le Seigneur」という言葉の下に、今度はフーガの主題を用いて展開部と同様、3連符による部分に第2主題が続く。そして最後は、フーガの主題の上で第2主題と第1主題が順に現れ厚い和音でこの劇的な楽章を終える。この曲は19世紀以来認識されてきたいわゆるソナタ形式の枠をはるかに超えており、多様な主題によっている。ここで用いられた第1主題、第2主題などという言葉は使ったが、説明のために便宜上用いた過ぎない。
□第3楽章《40代 幸せな夫婦》ト長調、3/4
劇的な第2楽章の後にくるのは、ゆったりと落ち着いた甘美な旋律である。この家庭的な幸福は終始落ち着いた雰囲気の3部形式で書かれている。冒頭の主題や、それ以降の3連音符の用い方には《ファウストの如く》の影が見え隠れする。
中間部は「子どもたちles enfants」と記されている。 開始の旋律の再現では、その輪郭が微妙に変化し、和声は豊かになり、表情豊かなデュエットになる。諸声部が「愛情を込めてamoureusement」と指示された恍惚とした動きに溶け込むとき、時計は「10時10 heures」を打つ。これはアルカンにとって不思議な重要性を持った時間であったといい、彼は時計が10時を知らせるのを聞くと、会話中であってもきまって立ち去ったという。「10時」になると、「祈りLe priere」が始まる。 やがて中間部に現れた「子どもたち」が加わり、その後、この賛美歌はフォルテになる。そして、最後の短い、なごり惜しそうな最初の旋律の引用は、子どもたちの退場にきっかけを与え、静かなカデンツでこの楽章は終わる。
□第4楽章《50代 縛られたプロメテウス》嬰ト長調、2/4
終楽章の着想はギリシャ神話にたどることが出来る。《50代》はアイスキュロスの悲劇的な詩「縛られたプロメテウス(詩篇750‐754、1051、1091)」の7行で始まる。
いいや、お前は私の苦しみをやわらげられまい!
もし運命が私を死に至らしめるのなら!
死…これが私をこの苦痛から解放してくれるだろうに!
私の悪についてのいかなる言葉ももう送られてはこないであろう。
ゼウスがその力を失っていなかったということ以外は 《詩行750‐754》
彼が何をしようと生きていよう…《詩行1051》
見るがいい!私が耐えているこれらの苦痛がうけるに値するかどうかを《詩行1091》
ギリシア神話では、プロメテウスは天上の火を盗み出し、人間に火をもたらしたためにゼウスによって岩に解き得ない鎖で縛られたとされる。そしてその胴中に杭をさし通して大きな鷲にその肝臓をついばませるのだが、夜になるとその鷲がついばんだ分だけ肝臓は元に戻り、毎日この耐え難い苦痛が繰り返されるのであった。この楽章はこうした拷問と追放の伝説からの着想の下に書かれたのである。
「極端に遅くextrement lent」というテンポで曲は開始され、第3楽章の幸せな夫婦は、ガラガラというプロメテウスの不吉な鎖の音によって粉砕される。主要主題はファウストのモチーフの音型である。ロ長調の第二主題には、第1楽章の最後の音型が見られる。低音のトレモロのあと、再び祈りが現れるが、主題が嬰ト短調で回帰すると、裏切られてしまう。そして、ファウストのモチーフのさらなる変化形の下で、フォルティッシモで6連譜が鳴らされ、ぎしぎし音を立てて進んでいく。
二回目に現れる第2主題は嬰ト短調である。前半とほぼ同じこと繰り返し、最後に大な楽句がこの曲を締めくくる。ファウストの主題はこのソナタ全体に非常に重要な貢献をしてきたが、これは最後にゆっくりと3オクターヴ半かけて上がっていく上行音階へと溶け込んで行く。頂点にたどり着くと、2つの巨大な和音とそれに続く3つの静かな和音が、間隔をおいて、反抗とあきらめの混ざった心理状態の中でこの曲を終える。
大ソナタ
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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カリヴォダ:大ソナタ | Grosse Sonate Op.135 | 出版年: 1846年 |
カルクブレンナー:大ソナタ ヘ長調 | Grande Sonate, F-dur Op.79 | 出版年: 1826年 |
クーラウ:大ソナタ | Grand Sonata Op.8a | 出版年: 1812年 |
ヘスラー:大ソナタ | Grande sonate Op.12 | 出版年: n.d.年 初版出版地/出版社: Riga |
ヘスラー:大ソナタ | Grande sonate Op.26 | |
モシェレス:大ソナタ ホ長調 | Grosse Sonate Op.41 | 作曲年: 1816年 |
キトル:大ソナタ | Grande sonate Op.27 | 出版年: 1847年 初版出版地/出版社: Leipzig |
アダン, アドルフ:大ソナタ | Grande sonate Op.12 | |
チェルニー(ツェルニー):大ソナタ 変ロ長調 | Grand Sonate, B-dur Op.331 | |
クラーマー:大ソナタ 変ロ長調 | Grande Sonate, B-dur Op.42 | 出版年: 1809年 初版出版地/出版社: Breitkopf 献呈先: Onslow |
オンスロー:大ソナタ ハ短調 | Große Sonate, c-moll Op.2 |
ワーグナー:大ソナタ イ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ワーグナー:大ソナタ イ長調 | Grosse Sonate für Klavier WWV26 op.4 | 作曲年: 1832年 出版年: 1860年 初版出版地/出版社: Gerig, Cologne |
チェルニー(ツェルニー):大ソナタ ヘ短調
モシェレス:大ソナタ 変ホ長調
シューベルト:大ソナタ 変ロ長調
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