エドゥアール・ラロとは? わかりやすく解説

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ラロ【Édouard Lalo】

読み方:らろ

[1823〜1892]スペイン系のフランス作曲家ロマン的で色彩豊かな管弦楽法知られる作品に「スペイン交響曲」など。


エドゥアール・ラロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/07 13:18 UTC 版)

エドゥアール・ラロ
Édouard Lalo
基本情報
生誕 (1823-01-27) 1823年1月27日
出身地 フランス王国リール
死没 (1892-04-22) 1892年4月22日(69歳没)
フランス共和国パリ
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家ヴァイオリンおよびヴィオラ奏者
担当楽器 ヴァイオリンヴィオラ

ヴィクトール・アントワーヌ・エドゥアール・ラロ(Victor Antoine Édouard Lalo, 1823年1月27日 - 1892年4月22日)は、フランス作曲家ヴァイオリンおよびヴィオラ奏者。リール生まれ。スペイン交響曲ヴァイオリン協奏曲第2番に当たる)、チェロ協奏曲が有名。オペラ『イスの王様』は、今日ではまず全曲が上演されることはないが、その序曲はフランス・オペラの序曲集といった版などにも収められていることがある。

経歴

  • 祖父の代まではスペイン人(バスク系)だった。
  • リール音楽院を経て1839年にパリへ出てプライヴェートで学ぶ。ヴァイオリンをアブネックに、シュールホフらに作曲を師事する。パリ音楽院には生徒としても教師としても縁がなかった。
  • 1845年から作曲を開始する。1848年から1849年に数曲の歌曲を出版するが失敗。室内楽も試みたが、これも同様だったため、しばらく作曲から遠ざかる。
  • 1855年に仲間と弦楽四重奏団を結成し、ヴィオラの担当として活躍。
  • 1865年にアルト歌手と結婚。そのことに元気づけられ、作曲の意欲が再燃。
  • 1874年に『ヴァイオリン協奏曲第1番 ヘ長調』をパブロ・デ・サラサーテのヴァイオリンにより初演し、大成功する。
  • その後も『スペイン交響曲』や『ノルウェー幻想曲』などがサラサーテによって初演され、ラロの人気は高まる。

性格ははなはだまじめであり、室内楽に熱意を注いでいた。

主な作品

  • 室内楽曲
    • ピアノ三重奏曲第1番 ハ短調 作品7
    • ピアノ三重奏曲第2番 ロ短調 
    • ピアノ三重奏曲第3番 イ短調 作品26
    • 弦楽四重奏曲 変ホ長調 作品45
    • ヴァイオリンソナタ ニ長調 作品12
    • ギター ロ短調 作品28
    • 2つの小品 作品14
  • オペラ
    • フィエスク英語版
    • イスの王様
    • ジャックリーの乱英語版(フランスでの農民反乱を題材とするオペラ、未完だがアルチュール・コカール英語版により補筆完成された。)
  • ピアノ曲
    • 母と子

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脚注





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