始まりと終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:11 UTC 版)
17世紀のヨーロッパは「全般的危機」に見舞われていたとされる。これを、イギリスの歴史家エリック・ホブズボームは、もっぱら経済に限定してとらえようとする。それに対し、ヒュー・トレヴァー=ローパーやフランスのロラン・ムーニエ(フランス語版)などは、経済はもちろんのこと、政治や社会、また、芸術、科学、思想など文化全般にわたっても「危機」について言及している。いずれの場合も、危機が1620年代に始まったとする点では共通している。 この時期、バルト海方面における西欧諸地域の貿易、およびフランスの対近東貿易がともに大きく後退して国際経済は不振に陥り、一方、凶作や飢饉による栄養失調・大量死から人口の停滞ないし減少が生じた。インフレーションは鈍化し、従来の経済成長は終息して不況が始まった。1618年に始まり、20年代に本格化する三十年戦争、1620年のメイフラワー号による清教徒(ピューリタン、カルヴァン派)のアメリカ移住、フランスにおけるカトリック教会によるユグノー(カルヴァン派)迫害などとといった宗教対立の熾烈化や迫害の激化がみられ、フランスのみならずドイツでもイギリスでも宗教上の理由で多くの血が流された。また、三十年戦争の戦場となった地域では土地の荒廃が著しかった。 一方、終息の時期については、最も早く危機を克服したとみられるオランダから瀕死の状態であえぎ続けたとされるスペインまで、それぞれの国家は危機に対して個別に対応し、その結果、危機を解消した時期については各国ごとにずれが生じるとみられる。ここは論者によって見解のすれ違いや相違のみられるところであるが、全体的には農業生産の増大や農村工業の発展、価格の安定、死亡率の減少、植民地貿易の勃興などのみられる18世紀前半期には危機は終息したものとみなされることが多い。なお、ホブズボームは、危機終息の時期を1720年としている。
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