ピアノ協奏曲 (矢代秋雄)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 17:27 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ピアノ協奏曲は、日本の作曲家矢代秋雄による2作目のピアノ協奏曲である。第22回(昭和42年度)芸術祭放送部門で芸術奨励賞、第16回尾高賞を受賞した。
経緯
NHKが、文部省(当時)芸術祭のために作曲者に委嘱した[1]。第1楽章は1964年から1966年夏にかけて、第2、第3楽章は1966年から1967年5月にかけて作曲された。1947年にピアノ協奏曲の未発表作品があったにもかかわらず、これに第2番とは銘打たれなかった。
初演
1967年7月10日と11日に、NHK放送センターにおいて放送のためのレコーディングが行われ、同年11月5日に放送初演された。この時の演奏は、若杉弘指揮NHK交響楽団、ピアノ独奏中村紘子であった。公開初演は約3週間後の11月29日に東京文化会館で行われたNHK交響楽団臨時演奏会にて、独奏者には放送初演と同じく中村紘子、森正指揮により行われた。
楽器編成
- フルート2、ピッコロ1、オーボエ2、クラリネット2(2奏者はバスクラリネット持ち替え)、ファゴット2
- ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ1
- ティンパニ
- ヴィブラフォン
- 打楽器2名(シンバル、タムタム、鈴、ウッドブロック、チューブラーベル)
- 独奏ピアノ
- 弦五部、
演奏時間
約27分。
楽曲構成
- 第1楽章 アレグロ・アニマート
- 第2楽章 アダージョ・ミステリオーソ
- 全曲を通してC音がオスティナートとして奏でられる。作曲者自身によれば「幼いころ見た夢の記憶」。
- 第3楽章 アレグロ - アンダンテ -ヴィヴァーチェ・モルト・カプリッチョーソ
- 自由なロンド形式。途中第1楽章の回想をはさみながら、目まぐるしく楽想が展開される。
作曲中「ピアニストは2本の手を持っているのではなく10本の指を持っているのだ」という先達の言葉を意識したとの矢代の言葉通り、全曲を通してピアノパートには高度な名人芸が要求される。
比較的日本では演奏の機会が多く、岡田博美[3]などによっても演奏されている。
脚注
参考文献
- 最新名曲解説全集10 協奏曲III(音楽之友社)
- 矢代秋雄『オルフェオの死』音楽之友社、1996年
「ピアノ協奏曲 (矢代秋雄)」の例文・使い方・用例・文例
- ピアノ協奏曲
- その曲はピアノ協奏曲に編集された。
- 6月21日の本選で,上原さんはチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」とラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」を演奏した。
- そのとき,彼女は偶然,ラヴェルのピアノ協奏曲を聞き,自分と千秋(玉(たま)木(き)宏(ひろし))が舞台でその曲を一緒に演奏している姿を想像する。
- 千秋は彼女がショパンのピアノ協奏曲を演奏するのを見るためにはるばるプラハまで行く。
- 内田さんはクリーブランド管弦楽団と共演したモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏で最優秀器楽ソリスト演奏(オーケストラとの共演)賞を受賞した。
- 浅田選手は,ショートプログラムではショパンのノクターンのうちの1曲,フリーではラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に合わせて演技すると述べた。
- フリーについて,浅田選手は「私はラフマニノフのピアノ協奏曲がとても好きです。」と述べた。
- 翌日のフリーでは浅田選手はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」に合わせて滑った。
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