フランス留学時代および帰国後とは? わかりやすく解説

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フランス留学時代および帰国後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:00 UTC 版)

矢代秋雄」の記事における「フランス留学時代および帰国後」の解説

1951年8月22歳矢代は、第2回フランス政府給費留学生として、黛らと共にパリ国立高等音楽院入学した和声法をジャック・ドゥ・ラ・プレール、アンリ・シャランに、対位法フーガノエル・ギャロンに、作曲管弦楽法トニー・オーバンに、ピアノ伴奏法をナディア・ブーランジェそれぞれ師事したオリヴィエ・メシアン作曲管弦楽法授業時折聴講したという。当時音楽院では、ドイツ古典の他にサン=サーンスフランクなどの作品が範とされた。矢代は「フランクこそは自分出発点」と後年著書述べているように、ちょうど彼の創作志向合った学風だったといえる対して、黛は「もう学ぶものはない」として1年帰国している。また、この時期には同じくパリ音楽院留学してきた三善晃親交深めている。卒業作品として「弦楽四重奏曲」を作曲(妹の訃報接し、それを念頭に創作された)。1956年27歳8月帰国帰国から約4か月後の12月14日フランスで書かれた「弦楽四重奏曲日本初演。また、この作品毎日音楽賞一等賞受賞1958年日本フィルハーモニー交響楽団委嘱により「交響曲」を作曲1960年30歳)、NHK交響楽団委嘱により「チェロ協奏曲」を作曲1965年35歳)、「対位法」を出版1968年38歳)「ピアノ協奏曲」が第16回尾高賞文部省芸術祭奨励賞受賞同年東京藝術大学助教授就任1974年東京藝術大学教授となる。そのほかにも、いくつかの高校校歌作曲しており、最後校歌としては、三重県立名張桔梗丘高等学校校歌作っている。 ヴァイオリン協奏曲作曲中の1976年心不全により急逝墓所は、神奈川県横浜市東神奈川にある浄土宗成仏寺墓地にある。

※この「フランス留学時代および帰国後」の解説は、「矢代秋雄」の解説の一部です。
「フランス留学時代および帰国後」を含む「矢代秋雄」の記事については、「矢代秋雄」の概要を参照ください。

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