フランス留学時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 17:35 UTC 版)
1920年10月にはフランスに留学し、第一次世界大戦後の労働力不足に応じた「勤工倹学」という形の苦学生であった。鄧が留学した時代のフランスは第一次世界大戦直後の不景気だったため、パリから遠く離れた市立中等校に入学して節約に励むが、生活費を稼ぐために半年で学校を辞め、工員・ボーイ・清掃夫など、職を転々と変えながらも堅実に貯金して、1922年10月に再び田舎町の市立中等学校に入学して3か月間学んだ後、パリ近郊のルノーの自動車工場で工員として勤務する。フランス留学中の1922年に中国少年共産党に入党し、機関誌の作成を担当した。「ガリ版博士」とあだ名される。1925年、中国共産党ヨーロッパ支部の指導者となったため、フランス政府に危険分子と見なされる。これによってフランスでの居心地が悪くなった鄧はパリを発ち、1926年1月にフランスの警察が鄧小平のアパートを捜査に入った。
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