フランス皇后
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 10:15 UTC 版)
「ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ」の記事における「フランス皇后」の解説
1804年12月、ナポレオンが「フランス人の皇帝陛下」として即位すると、ジョゼフィーヌにも「フランス人の皇后陛下」の称号が与えられた。 その後ナポレオンは、妹のカロリーヌから紹介されたエレオノール・ドニュエルやポーランドの愛人マリア・ヴァレフスカとの間に男児が生まれた事などもあり、1810年1月10日には嫡子が生まれないことを理由にジョゼフィーヌを離縁した。離婚式での彼女は娘のオルタンスが支えなければ歩けないほどショックを受けた様子だった。それ以後、彼女はパリ郊外のマルメゾン城で余生を送ったが、多額の年金を支給され、死ぬまで「ナヴァール女公皇后殿下」という「皇后」の称号を保持することを許された。マルメゾン城のナポレオン居室は、皇帝が去ったままの状態でジョゼフィーヌの手によって保たれ、彼女はこの部屋のものを「聖遺物」と称したという。離婚後もナポレオンとはよき話相手であり、ナポレオンの後妻マリア・ルイーザが嫉妬するほどだった。 ナポレオンの退位後は気落ちしがちで、彼が百日天下でパリに帰還するのを待たずに肺炎になって急死、マルメゾン市内のサン・ピエール=サン・ポール教会に埋葬された。最後の言葉は「ボナパルト、ローマ王、エルバ島…」だった。そのナポレオンが配流先のセントヘレナ島で死去した際の最期の言葉は「フランス、陸軍、陸軍総帥、ジョゼフィーヌ…」だった。
※この「フランス皇后」の解説は、「ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ」の解説の一部です。
「フランス皇后」を含む「ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ」の記事については、「ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ」の概要を参照ください。
- フランス皇后のページへのリンク