フランス科学アカデミー遠征隊のペルーとラップランドへの派遣
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「子午線弧」の記事における「フランス科学アカデミー遠征隊のペルーとラップランドへの派遣」の解説
詳細は「フランス科学アカデミーによる測地遠征」を参照 ピカールによる測量以降、測量精度が向上するにつれて、地球の正確な形状についての問題が顕在化し、地球は正確には真球より回転楕円体と考えるべきとの意見が多くなったが、長球なのか扁球なのかについて議論が分かれていた。ジャック・カッシーニは、1713年に自らが行ったダンケルク-ペルピニャン間の測量結果を『地球の大きさと形状』(De la grandeur et de la figure de la terre、1720年)に取りまとめ、この結果とルネ・デカルトの渦動説から、地球が南北に長い長球であることを提唱した。一方では、振り子時計をパリから赤道付近へ持ってゆくと遅くなるというジャン・リシェによる報告からの推測により、アイザック・ニュートンが発表した万有引力の理論から赤道方向に長い扁球であると主張する学者も多数いた。 これを受け、18世紀半ば(1735年~1740年)には、フランス科学アカデミーが、地球楕円体の形状の論争に決着をつけるために赤道近傍と北極近傍の子午線弧長を比較した。この測量事業は、ピエール・ブーゲ、ルイ・ゴダン、シャルル=マリー・ド・ラ・コンダミーヌ、ピエール・ルイ・モーペルテュイ及びアントニオ・デ・ウジョーアらによってペルー(現在のエクアドル)とラップランド(トルネ谷)で実行された。 測量結果は2地域の同緯度差での子午線弧長に対する有意差を示し、極付近の弧長が赤道付近の弧長よりも大きいというものであった。これは赤道付近のほうが極付近よりも曲率が大きいことを示唆しており、1687年にニュートンが彼の著書『自然哲学の数学的諸原理』の第3巻において提唱したとおり、地球の数学的形状は扁球として解釈できることが確認された。カッシーニが得た測量結果が不正確であったことは、彼の弟子ともいうべきニコラ・ルイ・ド・ラカーユが1739年から2年を費やして再測量を行うことにより確認された。 18世紀後半にかけて、フランス科学アカデミーによってダンケルク-バルセロナ間の子午線弧長の測量が行われ、メートルの定義のために使われた。
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