フランス留学まで(1978年 - 1999年)
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村治佳織は1978年4月14日に生まれた。3歳から父・村治昇にギターの日々厳しい特訓の手ほどきを受け、その後10歳からは福田進一に師事した。1989年の日本ジュニア・ギター教育協会主催「日本ジュニア・ギター・コンクール」にて最優秀賞を、1991年の学生ギター・コンクールにおいて、全部門通じての最優秀賞を受賞。さらに1992年には、ブローウェル国際ギター・コンクール(東京)と東京国際ギター・コンクールで優勝している。 1993年、津田ホールにてデビューリサイタルを開催し、同年にアルバム『エスプレッシーヴォ』を発表しデビュー。翌1994年には、日本フィルハーモニー交響楽団と共演、協奏曲デビューも果たしている。なお、デビュー時には『若さ』という付加価値に頼らずに、あくまで音楽そのものを人々に伝えたいとの思いのもと、実年齢を公表していなかった。1995年には第5回出光音楽賞(1994年度)を最年少で、1996年には村松賞を受賞している。同年5月、イタリア国立放送交響楽団の定期演奏会に招待されてトリノにおいて共演し、ヨーロッパでのデビューを飾った。 女子聖学院中学校・高等学校を卒業後の[要出典]1997年より、フランス・パリのエコールノルマル音楽院へ留学、プロとしての音楽活動を一時休止し、アルベルト・ポンセ(英語版)に師事する。1999年には、テレビ番組の収録を通じて、ホアキン・ロドリーゴと亡くなる半年前に対面、彼の前でその作品を演奏する機会を得ている。元々強く志してプロになったわけでなかった村治は、留学をとおして自らを見つめ直す事ができたと、日立ソリューションズ (2012)のインタビューに答えて述懐している。
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