創作期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 20:28 UTC 版)
南北朝時代以降、猿楽・田楽が発展していったが、古来の伎楽面、舞楽面、神像、仏像等の影響を受けながら、能面の創作が始まったとされる。1349年(貞和5年)の四条河原での橋勧進田楽興行では、猿や鬼の面が使用され、同じ年の春日若宮臨時祭で禰宜が演じた田楽能では、龍神や龍王の役が面を着けたことが確認できる。 13世紀から14世紀にかけての初期の能面は、大衆芸能に用いられていたことを反映して、変化に富み、写実的であり、粗野な表情をしている。少女の能面も、口元や目にはっきりした笑いの表情が見られるものであった。能面の初期の彫刻技術は、当時広く演じられていた舞楽の面から取り入れられた可能性があるが、能面は、伎楽面や舞楽面とは異なり、大陸からの原型の忠実な複製ではなく、はっきりと日本人の顔立ちを表していることが特徴的である。 室町時代初期の世阿弥(1363年? - 1443年?)の時代には、猿楽(申楽)が大きく発展し、それと同時期に、日本各地で優れた面打ちが輩出した。近江国では世阿弥が「鬼面の上手」と評した赤鶴(しゃくづる)(赤鶴吉成一透斎)、同じく「女面の上手」と評した愛智(えち)(愛智吉舟)が現れ、越前国では石王兵衛(いしおうひょうえ)(福来石王兵衛正友)、龍右衛門(たつえもん)(石川龍右衛門重政)、夜叉、文蔵(福原文蔵)、小牛(小牛清光)、徳若(徳若忠政)といった面打ちが続き、これらは『申楽談儀』に言及されている。ただ、世阿弥伝書の中に見出すことができる面の呼び名は、翁面のほかには、鬼神系の大べしみ・小べしみ・飛出・鬼面・悪尉、尉面・笑尉、女面、男面と、10種に満たず、後世のような分化はまだ起こっていなかったと考えられる。世阿弥の記述によれば、『鵜飼』の前シテの老人は直面であったといい、男面が出揃った時期は遅かったようである。 安土桃山時代の下間仲孝が著した『叢伝抄(そうでんしょう)』(1596年)は、「面打ち上作之分」として、伝説上の人物から南北朝・室町時代にかけて活躍した偉大な面打ちを挙げて「十作(じっさく)」と呼んでいる。 翁之面-日光-弥勒、赤鶴 鬼、越智、龍右衛門 女 男 尉、夜叉、文蔵 女、小牛 尉、徳若 アヤカシ、三光 ベシミ 尉、日氷 霊、是を十作ともいふなり — 下間仲孝『叢伝抄』 また、十作に少し時代的に後れ、十作に次ぐ格の面打ちとして、「六作」という呼び方もされた。誰を六作とするかは伝書によって異なるが、増阿弥、千種、福来、宝来、春若、石王兵衛などがこれに当たるとされる。
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