創作様式、作品と影響とは? わかりやすく解説

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創作様式、作品と影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/18 22:42 UTC 版)

エルネスト・ナザレー」の記事における「創作様式、作品と影響」の解説

ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽楽しまれるべきであるとして、それ以上望みはしなかった。ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場映画館伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場アンサンブルでのピアニストとして演奏するのに振り当てられた。そのような劇場アンサンブル楽団員知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがおり、当時チェリストとして活動していた。ナザレーはショーロ発展おおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動繰り広げていったのである。 ナザレーは、ブラジル民族音楽以外にも明らかに影響されており、子供時代むさぼるようにして学んだショパン影響中でも顕著である。また、1869年きら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして瞬く間ブラジル楽壇席巻したゴットシャルク作風もナザレーにはお馴染みだった。作品には、19世紀ヨーロッパクラシック音楽豊かな和声法こだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう民舞曲リズム法織り込まれてゆくのが認められる。そのうえ、アメリカ合衆国ラグタイム初期ジャズの、小気味よいリズム感健在である。これらの要素統合して一つ有機体へとまと上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲レパートリーだけでなく、20世紀音楽にも重要な貢献果たしている。 ナザレーはショパンその他のヨーロッパ作曲家から霊感受けたように、逆に自らも、間接的とはいえヨーロッパ作曲家何かしら影響与えている。フランス人作曲家ダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロ映画館でナザレーがピアノ演奏する風景回想している。ミヨーその音楽リズムたちどころにとなってブラジル音楽きわめてやろうと決心したというのである。その最終的な成果こそが、ミヨーピアノ曲ブラジル想い出 Saudades do Brasil』だった。 ナザレーは「ブラジルショパン」と呼ばれているが、だが作品副題好んでつけた点で、ショパンとは違っており、ショパンフォーレよりもヨーロッパサロン音楽伝統忠実だったといえるしかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパでサロン小品フランス語題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、ナザレーは母語ポルトガル語固執した。また題名によって、ドビュッシーラヴェルのように、美術文学からのインスピレーションほのめかしたり、リストのように詩的な連想暗示することもなかった。ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもあるが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、ナザレーの日常生活周辺から切り取られたものばかりである。このような意味で、ナザレーは「ブラジルショパン」と呼ぶよりは、むしろ「ブラジルクープラン」と呼んでこそふさわしい。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに大衆的なブラジル舞曲エッセンス捕まえている。ナザレーは、厳密に都会聴衆のために作曲したのだが、その作品には、(ブラジル奴隷制廃止され1888年以降作品でも、アフリカ系民族音楽豊かな影響が息づいている。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリン発想たようなシンコペーション使われている。ナザレーのピアノ曲には、ブラジルありとあらゆるダンス盛り込まれている。maxixe, batuque, サンバ、そして中でも重要なのがタンゴである。後に世界中熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからだ。もしそれ間違いだったとしても、「ブラジルタンゴ」の発展おおかたナザレーがかかわっており、このジャンル優に100曲を残している。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ赤ん坊)"Bambino"』『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』がある。ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる古典的名作である。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気衰えなかった。ゴットシャルクジョプリン評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いない作曲者死後から半世紀経た近年になって、ナザレー作品集めたアルバム制作世界的に相次いでおり、最近では伝記や、作曲者に関するCD-ROM発表されている。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽またがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽学び手にも、有用な教材とされつつある。

※この「創作様式、作品と影響」の解説は、「エルネスト・ナザレー」の解説の一部です。
「創作様式、作品と影響」を含む「エルネスト・ナザレー」の記事については、「エルネスト・ナザレー」の概要を参照ください。

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