1888年(明治21年)以降
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「天保山」の記事における「1888年(明治21年)以降」の解説
天保山一帯が近代的な公園として最初に整備されたのは1888年(明治21年)に遡るが、リゾートクラブと海水温浴場「海浜院」をメインとした天保山遊園が開設されるも長続きしなかった。ちなみに、現在の天保山公園は1958年(昭和33年)に開設されたものである。 1897年(明治30年)に天保町および川南村が大阪市へ編入され(大阪市第一次市域拡張)、難波津以来となる海港(海に面した港)の造成も開始され(大阪港第一次修築工事)、付近一帯は「築港」と呼ばれるようになった。 高度経済成長後、地下水のくみ上げで天保山周辺の地盤沈下が起こり、1971年(昭和46年)に7.1mだったのが、1977年(昭和52年)には4.7mまで標高が低下した。1993年(平成5年)以降では4.53mとなっている。1993年(平成5年)の地形図から山名が抹消されたが、地元からの要望によって1996年(平成8年)7月1日に再掲載された。2014年(平成26年)4月9日国土地理院による調査により、仙台市にある山、日和山が東日本大震災以前より低い3mの標高で再認定されたことにより、2番目に低い山となった。
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