東麓を襲った火砕サージと土石流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「東麓を襲った火砕サージと土石流」の解説
磐梯山の東麓は、噴火開始直後に岩片、礫、砂交じりの高温の爆風(ブラスト)に襲われた。爆風の勢いは極めて強く、東麓の琵琶沢方面では赤埴山の山腹で直径1メートルを超える木がなぎ倒され、ふもとの集落では人が吹き倒される、衣服が剥ぎ取られる、礫が激しく当たる、爆風に混じっていた小枝によって髪の毛や皮膚が損傷するなどの被害を受けた。また爆風は集落が無い磐梯山の北西側も襲ったことが知られていて、磐梯山北西の丸山は、爆風の影響で豊かに茂っていた森が丸裸になってしまった。しかし磐梯山の南麓や岩屑なだれが襲った北から北東にかけては、爆風の被害報告は無い。 この爆風の正体は火砕サージであると考えられている。磐梯山山麓での堆積物調査によれば、火砕サージによると考えられる堆積物は、磐梯山の東側、北東側、そして北西側から確認されている。しかし岩屑なだれが流下している北麓では火砕サージ堆積物は見つかっていない。これは1888年以降も続いた馬蹄型カルデラの崩壊によって火砕サージ堆積物が埋められてしまい、発見が困難であるためと考えられている。 火砕サージは地元住民の目撃証言や堆積物の層位から、複数回発生したと考えられている。初回は山体崩壊の直前に発生したと見られている。ふもとを襲った火砕サージは熱く、衣服を着ていても火傷を負うくらいであったが、火傷による死者や家屋の火災は無く、また堆積物中に炭化していない有機物が含まれることから、あまり高温ではなかったと推測される。 堆積物の層位から判断すると火砕サージは山体崩壊後も発生したと考えられている。そして琵琶沢流域では土石流も発生しているが、これは当日午前10時頃に発生した激しい降雨の影響で発生したとの説と、噴火開始直後、火砕サージとともに山体崩壊以前に起きたとの説がある。
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