1889: ジョーンズタウン洪水
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「アンドリュー・カーネギー」の記事における「1889: ジョーンズタウン洪水」の解説
カーネギーも会員だったサウスフォーク・フィッシング・ハンティングクラブ(英語版)は、1889年に2,209名の死者を出したジョンズタウン洪水の原因を作ったとして非難されている。 友人のベンジャミン・ラフの発案で仕事上のパートナーヘンリー・クレイ・フリック(英語版)がペンシルベニア州ジョンズタウンの上流に作ったのがサウスフォーク・フィッシング・ハンティングクラブである。60人余りの会員はペンシルベニア州西部の富豪たちで、フリックの親友アンドリュー・メロン、弁護士フィランダー・ノックス(英語版)、ジェイムズ・ヘイ・リード、カーネギーらが参加していた。ジョーンズタウンの上流にあるサウスフォークという町の近くにサウスフォークダム(英語版)があった。このダムはペンシルベニア州政府が1838年から1853年までの年月をかけて、ジョンズタウンのある盆地に運河網を作るための貯水池として建設したものである。しかし輸送手段が運河から鉄道に移ったためダムは不要となり、ペンシルバニア鉄道が買い取り、さらに1881年にはサウスフォーク・フィッシング・ハンティングクラブの所有となった。そして、ダム自体は若干修理しただけで貯水量を増やして人工湖とし、湖畔に別荘やクラブハウスを建設した。このダムから20マイル下流にジョーンズタウンがあった。 崩壊したサウスフォークダム ジョーンズタウン市街の惨状 ダムの高さは22m、幅は284mだった。1881年にクラブを開設してから1889年までにダムは度々漏水し、主に泥や麦わらで応急修理していた。さらに以前の所有者が鋳鉄製の3本の放水管を撤去しており、制御された形で放水できない状態になっていた。ジョーンズタウンのさらに下流にあるカンブリア製鉄所がダムについての懸念を表明していた。1889年初頭の積雪が春の到来と共に融け、水かさが増えてダムが耐え切れなくなり、5月31日にジョンズタウンに向かって2000万トンの水が流れ込み洪水となった。ダム決壊の一報がピッツバーグに伝えられると、フリックをはじめとするクラブ会員が集まり、被災者支援のためのピッツバーグ救済委員会を作り、クラブと洪水の関係については一切公言しないことを申し合わせた。この戦略は成功し、クラブ会員は訴えられずに済んだ。 カンブリア製鉄所は洪水で多大な被害を被ったが、1年以内に操業再開にこぎつけた。洪水後、カーネギーはジョーンズタウンの図書館を再建している。その図書館は2013年現在では洪水博物館になっている。
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