ブラジル滞在(1917年2月〜1918年11月)
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「ブラジルへの郷愁」の記事における「ブラジル滞在(1917年2月〜1918年11月)」の解説
第一次大戦に際して,ミヨーは健康上の理由から従軍することができなかったため,代わりにベルギーの難民を援助する仕事を見つけた。その後,外務省の宣伝部で働くようになるが,1917年からブラジル公使に任命されたポール・クローデルがミヨーを随行員に任命し,共にブラジルへ向かった。 1917年1月はじめ,ミヨーたちはリスボンから出航し,2月にリオ・デ・ジャネイロに到着した。クローデルの補佐をする傍ら,ミヨーはブラジルの大衆音楽に触れ,とりわけそのリズムが以降の創作に影響を与えることとなる。また,赤十字を支援するためのコンサートやレクチャーを企画したり,リオ・デ・ジャネイロを訪れたエルネスト・アンセルメやアルトゥール・ルービンシュタイン,ヴァーツラフ・ニジンスキーおよびバレエ・リュスとの交流を持つなど,西洋芸術音楽界との交流も持ち続けた。 その後,ミヨーは1918年11月23日にブラジルを離れ,西インド諸島とニューヨークを経由して,1919年2月14日にパリに戻ってきた。
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