マックスの音楽活動の再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/27 19:58 UTC 版)
「ソウルフライ」の記事における「マックスの音楽活動の再開」の解説
セパルトゥラ在籍時代より交流を続けてきたミュージシャン、そして妻でマネージャーでもある、グロリア(Gloria Cavalera)の支えが、マックスの精力的な音楽活動を促した。まず、マックスはデフトーンズ(Deftones)の大成功したアルバム、『Around the fur』(1997年)の『Headup』という曲でゲスト参加し、デイナの死について歌っている(彼はこの曲の中で、“Soulfly, Fly high, So fly, Fly free”と、後に決まるバンドの名前を歌っている)。デフトーンズのChino Morenoは、ソウルフライの『First Commandment』(『ソウルフライ』に収録)と『Pain』(『プリミティブ』に収録)にトリビュートしている。 Chico Scienceが1997年1月に亡くなった後、残ったメンバーが彼の追悼コンサートを開催するに当たり、マックスにプレイしないかと声をかけている。これを快諾したマックスは、1997年4月にブラジルでコンサートに出演した。この後、マックスはブラジル滞在中に現地の情報誌にメンバーの募集広告を掲載している。このとき、元スレイヤーのDave Lombardoもマックスに直接電話してきたが、マックスの考えるバンドの定義について認識が合わなかったことで、マックスは断っている。 この頃に、ジャクソン・バンデイラ(Jackson Bandeira、ルシオ(Lucio)とも呼ばれる。かつてはChico Science & Nação Zumbiで活動)とバンドの結成について話し合いを始める。1997年7月には、主にパンク・ロック・バンド、ハードコア・バンドが出演するパッケージ・ツアーのWARPed Tourに参加したり、同年秋にはBenji Webbe率いるDub Warのステージに立ち、“Strike It”で共演している。 この頃になり、ニューヨーク・パンク・ロック界で有名なロイ“マタ”マイヨルガ(Roy "Rata" Mayorga、かつてはThornで活動)をドラマーに、以前セパルトゥラの地方公演マネージャーを務めていたマルセロ・ディー・ラップ(Marcello D. Rapp、マルセロ・ディアス(Marcello Diaz)とも呼ばれる。かつてはThe Mistで活動)をベーシストとして正式メンバーに迎え、曲作りがスタートした。このとき書かれたものは『Eye For An Eye』、『No Hope=No Fear』、『Bleed』、『Tribe』などである。 そして1997年8月16日、アリゾナ州フェニックスのClub Pavilionで、バンドの初ライブが行われる。バンド名も決まっておらず、「Max Cavalera Project」という仮名義ながら、ヘッドラインを飾った。デイナの追悼を目的としたものだったため、ショーのタイトルも『The Soulfly Benefit Show For Dina』とした。このバンド創設時には、当時フィア・ファクトリーに在籍していたDino Cazaresも、バンドの基礎を固めるために参加していた。この初ライブでも、ギタリストとして参加している。そして、ジャクソン・バンデイラをようやくバンドのギタリストとして迎え、オリジナルラインナップを完成させている。 Malibu,CaliforniaのIndigo Lunch Studioで、デビューアルバムの製作に取り掛かる。1998年1月下旬には、ほとんどの曲のレコーディングを終了させている。その時点でも、まだアルバムタイトルは仮タイトルで『Eye For An Eye』とし、バンド名も仮名義のままだったが、数日後、急遽バンド名が「ソウルフライ」に決定する。
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