ブラジル現代画家として
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「カンディド・ポルチナーリ」の記事における「ブラジル現代画家として」の解説
1930年、フランスでウルグアイ人のマリア・マルチネリ(Maia Victoria Martinelli)と結婚。翌年ブラジル・リオ・デ・ジャネイロに戻る。1年半余りのヨーロッパ滞在中には美術館鑑賞ばかりしてわずか6枚の絵しか描かなかった彼だが、その後は精力的に活動し30年余りの間におよそ5000点の作品・デッサン・壁画などを残す。リオのアトリエにはいつも評論家・画家などの文化人が集まっていた。生計を保つためにも活動当初は肖像画を多数描いている。その幅広い交友関係の中には日本人画家・藤田嗣治、詩人・マヌエル・バンデイラ(Manuel Bandeira)、評論家・マリオ・デ・アンドラーデ[要曖昧さ回避](Mario de Andrade)などの多くの著名人もいた。 1932年、彼はリオのパラセ・ホテル(Palace Hotel)で個展を開く。60点の作品は、幼少時代・サーカスなどブラジル人の生活をテーマにしたもので、当時一般的には芸術的とは見なされていなかったテーマであったため評論家からの批判もあったが、ブラジル現代画家としてデビューした。 1934年には、初めて社会的なテーマを扱った『放浪者(Os Despejados)』を発表。その後、白人と黒人の混血児を描いた『メスチソ(Mestico)』はサンパウロ州立美術館(Pinacoteca do Estado de Sao Paulo)の所蔵品となり、彼の国内での評価は(批判も続いていたが)高まっていった。 1935年、アメリカ・ピッツバーグのカーネギー財団の展覧会でコーヒー農園で働く農民達の姿を描いた『コーヒー(Cafe)』を発表し、国際的にも注目を集める。 ヨーロッパ滞在中から壁画に興味を持っていた彼は、1936年から1944年の間、時のジェトゥリオ・バルガス大統領(Getulio Vargas)の元で、教育文化保健省(Ministerio da Educacao e Saude)の建物に農民達の姿を描いた作品群を完成する。この作品には、当時まだ10代であったエンリコ・ビアンコ(Enrico Bianco)も彼の元で参加している。 1939年、アメリカ・ニューヨークの現代美術館(MAM)が、ファベーラの日常生活を描いた『貧民窟(Morro)』を所蔵品とする。また、ピカソ(PIcasso)のゲルニカ(Guernica)に深く感動した彼は、その画風に影響を受けて、聖書をテーマにした『ビブリカシリーズ(Sirie Biblica)』を完成。この年には、息子ジョアン(João Candido Portinari)が生まれる。 1944年には、建築家オスカー・ニーマイヤー(Oscar Niemeyer)の招きに応じ、ミナスジェライス州ベロホリゾンチ(Belo Horizonte)パンプーリャ (Panpulha) の聖フランシスコ教会(Igreja Sao Francisco de Assisi)の聖フランシスコの生涯を描いたタイル画、14枚の『十字架の道行(Via Sacra)』、『聖フランシスコの悟り(Sao Franciso se Despojando das Vestes)』を完成。北部の干ばつにより土地を追いやられた流民達の悲劇を描いた『ヘチランテス(Sirie Retirantes)』、幼少時代を過ごしたブロドスキーの少年達を描いた『ブロドスキーの少年達(Sirie Meninos de Brodouski)』と一連の代表作を発表する。 1946年には、ヨーロッパで初の個展をパリのシャーペンテール画廊(Galeia Charpentier)で開き、フランス政府から叙勲(Legion d‘Honneur)される。 1950年に、ブラジル独立のシンボルとなった悲劇の英雄『チラデンテス(Tiradentes)」で、平和維持会議(the second world congress of defender of peace)』から金賞を贈られている。ブラジル政府から要請を受け、1枚の大きさが約14×10メートルという彼自身の最大の壁画となる『平和(Paz)』と『戦争(Guerra)』を完成させ、1957年にニューヨークの国連本部に設置する。 鉛中毒を避ける為に、常に黄色のゴム手袋をして描いていたが中毒症状が進行し、1962年2月6日家族に見守られながらリオの病院で息を引き取る。
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