ブラジル現代画家としてとは? わかりやすく解説

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ブラジル現代画家として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:49 UTC 版)

カンディド・ポルチナーリ」の記事における「ブラジル現代画家として」の解説

1930年フランスでウルグアイ人のマリア・マルチネリ(Maia Victoria Martinelli)と結婚翌年ブラジル・リオ・デ・ジャネイロに戻る。1年半余りヨーロッパ滞在中には美術館鑑賞ばかりしてわずか6の絵しか描かなかった彼だが、その後精力的に活動し30年余りの間におよそ5000点の作品デッサン壁画などを残す。リオアトリエにはいつも評論家画家などの文化人集まっていた。生計を保つためにも活動当初肖像画多数描いている。その幅広い交友関係中には日本人画家藤田嗣治詩人・マヌエル・バンデイラ(Manuel Bandeira)、評論家マリオ・デ・アンドラーデ[要曖昧さ回避](Mario de Andrade)などの多く著名人もいた。 1932年、彼はリオのパラセ・ホテル(Palace Hotel)で個展を開く。60点の作品は、幼少時代サーカスなどブラジル人の生活をテーマしたもので、当時一般的には芸術的とは見なされていなかったテーマであったため評論家からの批判もあったが、ブラジル現代画家としてデビューした1934年には、初め社会的なテーマ扱った放浪者Os Despejados)』を発表その後白人と黒人混血児描いたメスチソ(Mestico)』はサンパウロ州美術館(Pinacoteca do Estado de Sao Paulo)の所蔵品となり、彼の国内での評価は(批判続いていたが)高まっていった。 1935年、アメリカ・ピッツバーグのカーネギー財団展覧会コーヒー農園で働く農民達の姿を描いたコーヒーCafe)』を発表し国際的に注目を集めるヨーロッパ滞在中から壁画興味持っていた彼は、1936年から1944年の間、時のジェトゥリオ・バルガス大統領(Getulio Vargas)の元で、教育文化保健省(Ministerio da Educacao e Saude)の建物農民達の姿を描いた作品群完成する。この作品には、当時まだ10代であったエンリコ・ビアンコ(Enrico Bianco)も彼の元で参加している。 1939年アメリカ・ニューヨーク現代美術館(MAM)が、ファベーラ日常生活描いた貧民窟Morro)』を所蔵品とする。また、ピカソPIcasso)のゲルニカGuernica)に深く感動した彼は、その画風影響受けて聖書テーマにした『ビブリカシリーズ(Sirie Biblica)』を完成この年には、息子ジョアンJoão Candido Portinari)が生まれる。 1944年には、建築家オスカー・ニーマイヤーOscar Niemeyer)の招き応じミナスジェライス州ベロホリゾンチ(Belo Horizonteパンプーリャ (Panpulha) の聖フランシスコ教会(Igreja Sao Francisco de Assisi)の聖フランシスコ生涯描いたタイル画14の『十字架の道行(Via Sacra)』、『聖フランシスコ悟りSao Franciso se Despojando das Vestes)』を完成北部干ばつにより土地追いやられた流民達の悲劇描いた『ヘチランテス(Sirie Retirantes)』、幼少時代過ごしたブロドスキーの少年達描いた『ブロドスキーの少年達(Sirie Meninos de Brodouski)』と一連の代表作発表する1946年には、ヨーロッパで初の個展パリのシャーペンテール画廊(Galeia Charpentier)で開きフランス政府から叙勲Legion d‘Honneur)される。 1950年に、ブラジル独立シンボルとなった悲劇英雄チラデンテスTiradentes)」で、平和維持会議the second world congress of defender of peace)』から金賞贈られている。ブラジル政府から要請を受け、1枚大きさが約14×10メートルという彼自身最大壁画となる『平和(Paz)』と『戦争(Guerra)』を完成させ、1957年ニューヨーク国連本部設置する鉛中毒避け為に、常に黄色ゴム手袋をして描いていたが中毒症状進行し1962年2月6日家族見守られながらリオ病院で息を引き取る

※この「ブラジル現代画家として」の解説は、「カンディド・ポルチナーリ」の解説の一部です。
「ブラジル現代画家として」を含む「カンディド・ポルチナーリ」の記事については、「カンディド・ポルチナーリ」の概要を参照ください。

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