ラヴィーナ
ラヴィーナ一族は、スペインとフランスの国境に接するかつてのベアルン州に起源をもつと云われている。ラヴィーナという姓がフランス人のわりにスペイン風に響くのはそのためであろう。ジャン・アンリ・ラヴィーナは1818年5月20日、南仏ボルドーに誕生した。彼の母はこの土地屈指の名ピアノ教師で、幼いアンリはまず母ウジェニー(旧姓ラザッルLasalle, c.1794~1877)のもとでピアノの訓練をはじめた。彼の演奏能力の発達ぶりは著しく、1826年、弱冠8歳でカルクブレンナーの協奏曲を演奏し、同郷の著名なヴァイオリニスト、ピエール・ロード(1774~1830)を驚嘆させた。 1830年、旅先のボルドーでラヴィーナの演奏を聴いたパリ音楽院ピアノ科教授ヅィメルマンは、彼の才能を見込んで母にパリ音楽院へ入学させることを勧めた。かくしてラヴィーナは翌年、母と共に首都に移り13歳で音楽院に入学した。
パリでの新生活をスタートさせたラヴィーナは、まず助教授のローランが受け持つ予科に入り、続いてヅィメルマンのクラスに移るや否や32年には音楽院の選抜試験で2等賞を獲得した。
南仏ボルドーに生れ、パリ音楽院でヅィメルマンに学んだアンリ・ラヴィーナは19世紀のパリのサロンを代表するピアニスト、指導者として知られていた。 Ch.V.アルカンとは少年時代から生涯を通じての友人であり、高度に機能的なピアニズムを駆使した、明るく、肯定的な作風は他に例を見ない。約120点のピアノ曲がある。
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