ピアノ協奏曲 (早坂文雄)
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ピアノ協奏曲は、1948年に早坂文雄が作曲した管弦楽作品である[1]。「ピアノ協奏曲第1番」とも表記される[1][2]が、第2番以降は無い。
曲の概要
全二楽章である。計演奏時間、約32分。
第一楽章 Lento
ニ短調。作曲者は「人間の哀切さ、誠実さ、詩情を通して大きな発想をもって自由に出したかった」と語る[3]。演奏時間、約22分。
第二楽章 Rondo
変ロ長調。作曲者は「東洋人に潜んでいる明るい快楽的性格・ダイナミックな近代的性格を結合してみた」と語る[3]。演奏時間、約10分。
楽器編成
楽器編成は次の通り[4]:
ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、小太鼓、トライアングル、シンバル、弦5部、独奏ピアノ
逸話
第一楽章の主題は、1940年に早坂が作曲したピアノ曲集『子供のためのピアノアルバム第一輯』の第5曲目[注 1]として書かれた「ポートレート」と同じ主題であり、早坂はこの主題に愛着があったとされている。「ポートレート」は、1939年に亡くなった弟・恭吾の写真に触発されて作曲した。
更に1948年、早坂自身をモデルにして製作された佐伯清の監督映画『虹を抱く処女』で、肺結核の主人公の作曲家は交響曲「虹」を完成させる。この曲がピアノ協奏曲であり、実際のピアノ協奏曲の一部が使われた[5]。
初演
1948年6月22日、日比谷公会堂で東宝交響楽団によって初演された。ピアノは梶原完、指揮は上田仁[1][3][6]。同年8月7日に初演と同じメンバーでNHKから放送された[7]。
CD
2005年ナクソスの「日本作曲家選輯」より音源化されている[8]。ロシア・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、ピアノは岡田博美、指揮はドミトリー・ヤブロンスキー。他に、左方の舞と右方の舞、序曲ニ調も収録されている。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 「現代日本の管弦楽作品表 1912-1980」 (フィルハーモニー 1981年9月特別号) NHK交響楽団 pp50-51
- ^ 日本近代音楽館編「プロフィール27:作曲家群像 新興作曲家聯盟の人々」日本近代音楽館 1999, p22
- ^ a b c 早坂文雄「ピアノコンチェルト第一番 (自作について)」音楽芸術 1948年8月, pp26-27
- ^ 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ 2021年11月29日閲覧。
- ^ 西村雄一郎による「室内のためのピアノ小品集」(演奏:高橋アキ)の解説より。
- ^ 西村 (2005), p. 531.
- ^ 「日本の交響作品展'96」新交響楽団 1996年7月6日 演奏会プログラム p11 (片山杜秀による解説)
- ^ NAXOS 8.557819J
参考文献
- 西村, 雄一郎『黒澤明と早坂文雄』筑摩書房、2005年10月、528-531頁。ASIN 448087349X。ISBN 978-4480873491。 NCID BA74146786。 OCLC 680609692。全国書誌番号: 20908327。
- 早坂文雄「ピアノコンチェルト第一番 (自作について)」音楽芸術 1948年8月, pp26-28
「ピアノ協奏曲 (早坂文雄)」の例文・使い方・用例・文例
- ピアノ協奏曲
- その曲はピアノ協奏曲に編集された。
- 6月21日の本選で,上原さんはチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」とラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」を演奏した。
- そのとき,彼女は偶然,ラヴェルのピアノ協奏曲を聞き,自分と千秋(玉(たま)木(き)宏(ひろし))が舞台でその曲を一緒に演奏している姿を想像する。
- 千秋は彼女がショパンのピアノ協奏曲を演奏するのを見るためにはるばるプラハまで行く。
- 内田さんはクリーブランド管弦楽団と共演したモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏で最優秀器楽ソリスト演奏(オーケストラとの共演)賞を受賞した。
- 浅田選手は,ショートプログラムではショパンのノクターンのうちの1曲,フリーではラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に合わせて演技すると述べた。
- フリーについて,浅田選手は「私はラフマニノフのピアノ協奏曲がとても好きです。」と述べた。
- 翌日のフリーでは浅田選手はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」に合わせて滑った。
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