ピアノ協奏曲第1番 (グラズノフ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/19 13:34 UTC 版)
ピアノ協奏曲第1番 ヘ短調 作品92は、アレクサンドル・グラズノフが1910年から1911年にかけて作曲したピアノ協奏曲。
概要
グラズノフは1899年からサンクトペテルブルク音楽院の教授陣の仲間入りを果たし、1905年には学長に就任した[1]。この役職に課される負担は大きく、彼の創作活動は停滞し始めていた[2]。また、いわゆる「第九の呪い」に思い悩んだ末に交響曲第9番の仕事を放棄した彼は、1910年に本作の作曲に着手することになる[3][注 1]。
同郷の同時代人、リャプノフ、メトネル、ラフマニノフ、スクリャービンらとは異なりグラズノフは本格的なピアノの演奏技術を身に着けていなかったが、ひとたびピアノの前に座れば巧みに弾きこなしたと伝えられる[1]。それでもピアノ協奏曲の作曲には苦心したようで、1910年6月21日にはオゼルキのダーチャよりピアニストのコンスタンチン・イグームノフに宛てて直面する困難を告白している[3][4]。「残すはピアノパートのみなのですが(中略)何をピアノに、何をオーケストラに振り分ければいいかについて疑念が絶えないのです。それに、私はピアノのことを理解しているとはいえ正式に学んだことがないため、自分にとって心地よいものが専門家にとってはそうでない可能性があり、逆もまた然りというわけです[4]。」
このため、グラズノフは草書譜をレオポルド・ゴドフスキーへ送って助言を仰ぐことにした[4]。ゴドフスキーは1905年にツアーでサンクトペテルブルクを訪れており、グラズノフはその際に演奏を聴いていたのであった[1]。ゴドフスキーは曲に満足したらしく[3]、ピアノパートについて加えられた批評はわずか数点だった[4]。このことはグラズノフを安堵させた[4]。曲はゴドフスキーへと献呈されることになる[1][3][4]。初演は1912年2月24日にイグームノフの独奏で行われた[3]。
曲はグラズノフの管弦楽の経験を反映して交響的なオーケストレーションを施されている[4]。この時期のグラズノフの作品の中では有数の優れた作品であると看做されており、1917年に生み出されるピアノ協奏曲第2番よりもよく書けていると評価されている[2]。
楽器編成
ピアノ独奏、フルート3(ピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、打楽器、弦五部。
楽曲構成
2つの楽章で構成されおり、ピアノ協奏曲としては特殊な形態となっている[4]。第1楽章がアレグロで第2楽章は主題と変奏となっており、これはベートーヴェンのピアノソナタ第32番と同じである[2]。演奏時間は約30分[2]。
第1楽章
ソナタ形式。弦楽器がユニゾンで奏する動機により幕を開ける(譜例1)。この半音階的な付点動機はこの後の曲中の各所で登場する[4]。
譜例1
動機がオーケストラからピアノに受け継がれ[4]、カデンツァ風のパッセージへと発展して譜例2の第1主題の提示に入っていく[1][3]。主題は陰鬱で物悲しい雰囲気を纏っている[4]。
譜例2
第1主題が発展して最初のクライマックスを形作ると[4]、簡単な推移を挟んでホ長調の第2主題が提示される(譜例3)。この主題に対しては、本作より3年早くサンクトペテルブルクで発表されていたラフマニノフの交響曲第2番第3楽章の冒頭主題に酷似しているとの指摘がある[1]。ピアノと管弦楽の対話により盛り上がっていく[4]。
譜例3
譜例1が強奏されて展開部へと入っていく[4]。展開部ではまず譜例2が弦楽器で奏され、譜例3の展開へと移っていく[4]。やがて譜例3の縮小形が中心に据えられ、最終的にはその音型の上に譜例2の変化形が組み合わされる[1][4]。そのまま勢いを減ずることなくトゥッティによる譜例2の再現へとなだれ込む。ピアノが主題を歌い継ぐがたちまち勢いを失っていく。変イ長調での再現となる譜例3は[4]、クラリネットに始まって弦楽器へと引き継がれていく。小結尾を経たところで譜例1が回帰してコーダへ入る。コーダでは主に譜例2が用いられ、ピウ・モッソとなった勢いを維持したまま幕が下ろされる。
第2楽章
第2楽章は変奏曲でありながら、その中に緩徐楽章、スケルツァンドの要素とフィナーレ(コーダ)が融合されたものとなっている[1]。
- Tema: Andante tranquillo 3/8拍子 変ニ長調
オーケストラのみで主題が提示される。譜例4に示される連桁の形は拍子が音楽に適合していないかのような印象を与える[4]。
譜例4
- Variation I: 3/8拍子 変ニ長調
これまで休んでいたピアノが主題を受け継ぐ。
- Variation II (chromatica): Andantino 3/8拍子 変ニ長調
「半音階的に」と題され、主題が半音階的に変形されて出される(譜例5)。
譜例5
- Variation III (Eroica): Allegro moderato 3/8拍子 変ニ長調
「英雄的に」と題され、鋭い付点のリズムで主題が変奏される[4]。
- Variation IV (lyrica): Adagio 3/8拍子 変ニ長調
「抒情的に」との表記どおり、ピアノと管弦楽が交代しながら緩やかに進められていく。末尾にピアノの短いカデンツァが挿入される。
- Variation V (Intermezzo): Allegro 3/8拍子 嬰ハ短調
「間奏曲」とは題されているが、変奏の合間に挿入される無関係な楽想ではなく、主題に基づく変奏が続いている[4]。同音の連打を交えて高速で進んでいく(譜例6)。この変奏にはトライアングルが使用されており、やはりスケルツォ風の箇所でトライアングルを用いたリストのピアノ協奏曲第1番が想起される[4]。
譜例6
- Variation VI (quasi una fantasia): Lento 3/4拍子 嬰ハ短調
「幻想曲風に」。落ち着いた速度に戻り自由な変奏が繰り広げられる。前半にはチェロの独奏とピアノとの対話があり、後半はピアノのみで自由に進められる。
- Variation VII Mazurka: Allegretto 3/4拍子 イ長調
マズルカ。ショパンの影響が感じられる[3]。グラズノフは弱拍に強勢がくる舞曲の特徴を巧みに再現している[4](譜例7)。ここでのイ長調の選択により、三度ずつ下がって最終的にホ調に落ち着く道筋が示される[1]。
譜例7
- Variation VIII Scherzo: Allegro ma non troppo 2/4拍子 イ長調
「スケルツォ」と題される。主題は刺繡のようなピアノのパッセージに変換される[3](譜例8)。短いカデンツァの挿入があり、フィナーレに向かって落ち着いて行く。
譜例8
- Variation IX Finale: Allegro moderato 4/4拍子 ヘ長調
調性がヘ長調となり、ヘ短調の第1楽章との関連が示される[4]。まず、主題が管弦楽により行進曲調に奏される[4]。続いてピアノが奏するのは第1楽章の譜例2の変形であり、変奏主題を挟んで譜例3も奏されていく[4]。続いて譜例1の半音階動機も取り上げられ、これにより第1楽章の主要主題が全て顔を出したことになる[4]。グラズノフの熟達の筆致により彼が投じた曲中の課題がそれと悟らせぬうちに全て解決され[1]、曲は華やかな終結を迎える。
出典
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j Pott 1996.
- ^ a b c d Cummings, Robert. ピアノ協奏曲第1番 - オールミュージック. 2025年8月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Anderson 2000.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa Leibbrandt, Philipp (2017年). “Glazunov: Piano Concerto No. 1 in F minor, op. 92”. Musikproduktion Höflich. 2025年8月16日閲覧。
参考文献
- Pott, Francis (1996). Glazunov: Piano Concertos; Goedicke: Concertstück (CD). Hyperion records. CDA66877. 2025年8月16日閲覧.
- Anderson, Keith (2000). GLAZUNOV, A.K.: Orchestral Works, Vol. 14 - Piano Concertos Nos. 1 and 2 (CD). Naxos. 8.553928. 2025年8月16日閲覧.
- 楽譜 Glazunov: Piano Concerto No.1, M.P. Belaieff, Leipzig
外部リンク
- ピアノ協奏曲第1番の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- Cummings, Robert. ピアノ協奏曲第1番 - オールミュージック
- ピアノ協奏曲第1番 - ピティナ・ピアノ曲事典
- ピアノ協奏曲第1番_(グラズノフ)のページへのリンク