スカルコッタス
ギリシアの作曲家。12音技法やセリー音楽など、シェーンベルクの影響を強く受けた。1931年には、《ピアノ協奏曲》を作曲している。
アテネ音楽院で学んだ後、ベルリンに滞在してシェーンベルクやヴァイルに師事した。精神的に不安定なことが多かったスカルコッタスの作品の7割近くは、1930年代後半から第2次世界大戦の終戦までの約10年間の間に集中して作曲されている。ヴァイオリニストとしても活動し、《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》(1925)や弦楽四重奏のための作品も創作した。
スカルコッタス
ニコス・スカルコッタス
(スカルコッタス から転送)
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基本情報 | |
生誕 | 1904年3月21日 |
出身地 | ![]() |
死没 | 1949年9月19日(45歳没) |
学歴 | アテネ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
ニコス・スカルコッタス(ギリシャ語: Nίκος Σκαλκώτας, ラテン文字転写: Nikos Skalkottas、1904年3月21日 - 1949年9月19日)は、20世紀ギリシャの作曲家。
経歴

1904年、エウボイア島のカルキス生まれ。アテネ音楽院でヴァイオリンを学んだ後、1921年からドイツのベルリンに留学し、ヴィリー・ヘスに師事した。1923年から作曲に転向し、パウル・ユオン、クルト・ヴァイル、フィリップ・ヤルナッハについて学んだ。1927年から1930年の間、アルノルト・シェーンベルクのマスタークラスに参加している。1933年に帰国する。
帰国後の作品は十二音技法で書かれたものも多いが、『36のギリシア舞曲』など民族主義的な技法で書かれたものもある。『ラルゴ・シンフォニコ』、妖精劇『五月祭りの呪文』組曲、交響曲『オデュッセウスの帰還』、ヴァイオリン協奏曲、コントラバス協奏曲、ピアノ協奏曲(第1 - 3番)などの作品がある。
脚注
関連項目
外部リンク
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