ヴィリー・ヘスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヴィリー・ヘスの意味・解説 

ヴィリー・ヘス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 03:59 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ヴィリー・ヘス
基本情報
生誕 (1859-07-04) 1859年7月4日
出身地 バーデン大公国マンハイム
死没 (1939-02-07) 1939年2月7日(79歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

ヴィリー・ヘス(Willy Hess, 1859年7月14日1939年2月17日)は、ドイツの有名なヴァイオリン奏者・音楽教師。

来歴

1859年、マンハイム生まれ。ルイ・シュポーアの門弟だった父からヴァイオリンの手ほどきを受け、ヨーゼフ・ヨアヒムに師事。1904年から1910年までボストン交響楽団コンサートマスターを務めるかたわら、ハーヴァード大学でもヴァイオリンの指導を行う。ほかにハレ管弦楽団や、フランクフルトロッテルダムでもコンサートマスターを務めた。

1910年よりベルリン高等音楽学校のヴァイオリン科主任教授に就任した。作曲家のマックス・ブルッフと親しく、その地位に就任するにあたってブルッフの後押しがあった。同校は、ヴァイマル共和政時代に国際的な音楽界を動かす軸となり、ヘスも各国からベルリンに集まってきた多くの留学生を指導した。ヘスは、右手の手首の動きを強調し、ほとんど指を動かさない、ドイツの伝統的な演奏様式を教えた。

ヘスはヴァイオリンからヴィオラに持ち替えるのに何の苦もなく、ブルッフの《クラリネットとヴィオラのための二重協奏曲》作品88の初演でヴィオラを弾いた。ブルッフは1910年にヴァイオリンと管弦楽のための《コンツェルトシュテュック》作品84をヘスのために作曲している。ブルッフの弦楽器の作品では、ヘスが助言を与えたため、その他のブルッフ作品でもヘスが初演者を務めることがあった。アーサー・フットの《バラード》作品69もヘスのために作曲されている。

チェリストのフーゴー・ベッカーやピアニストのダニエル・クヴァストと組んで室内楽演奏を行なった。愛器はグヮダニーニであった。

1939年2月17日にベルリンで没した。

著名な門人

脚注





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヴィリー・ヘス」の関連用語

ヴィリー・ヘスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヴィリー・ヘスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヴィリー・ヘス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS