トッシー・スピヴァコフスキーとは? わかりやすく解説

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トッシー・スピヴァコフスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/13 03:58 UTC 版)

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トッシー・スピヴァコフスキー
基本情報
生誕 (1906-12-23) 1906年12月23日
出身地  ウクライナオデッサ アメリカ合衆国
死没 (1998-07-20) 1998年7月20日(91歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

トッシー・スピヴァコフスキー(Tossy Spivakovsky, 1906年12月23日 - 1998年7月20日[1]は、ロシア出身で、アメリカで活動したヴァイオリニスト。本名はナタン・スピヴァコフスキー(Nathan Spivakovsky)。

経歴

オデッサの出身。ベルリンでアリゴ・セラートとヴィリー・ヘスに師事する。10歳でデビューを果たし、13歳でヨーロッパ・ツアーを敢行して名声を高めた。18歳の時にヴィルヘルム・フルトヴェングラーに認められてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターに抜擢されている。1920年代から、兄のヤッシャ・スピヴァコフスキーとデュオを結成し、エドモント・クルツを加えてピアノ・トリオとしての活動も行うなど、室内楽での活動も活発であった。1933年オーストラリアへ演奏旅行に行き、メルボルン音楽院の教授の職に就いた。1940年に渡米してニューヨークに住み、アルトゥール・ロジンスキの率いるクリーヴランド管弦楽団のコンサートマスターを務め、1943年にはバルトーク・ベーラヴァイオリン協奏曲第2番のアメリカ初演で独奏を担当し、ソリストとしての名声を確立した。1974年から1989年まで、ジュリアード音楽院のヴァイオリンと室内楽の教授を務めた。

コネチカット州ウェストポートにて没。

脚注

  1. ^ [1]



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