歴代大会
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歴代の天下一武道会回年参加人数優勝準優勝ベスト4ベスト8予選落ち備考第21回 エイジ750 137名 ジャッキー・チュン(亀仙人) 孫悟空 クリリンナム バクテリアンヤムチャランファンギラン 多林寺の先輩獅子牙流の拳法家他多数 第22回 エイジ753 182名 天津飯 孫悟空 ジャッキー・チュンクリリン ヤムチャ男狼餃子パンプット チャパ王ナム(アニメのみ)他多数 第23回 エイジ756 72名 孫悟空 マジュニア(ピッコロ) 天津飯シェン(神様) 桃白白匿名希望(チチ)クリリンヤムチャ 餃子覆面(ヤジロベー)チャパ王他多数 第24回 エイジ767 少年の部 不明 ビーデル 不明 不明 不明 不明 オトナの部 不明 ミスター・サタン ジュエール プンター 第25回 エイジ774 少年の部 35名 トランクス 孫悟天 不明 不明 予選なし オトナの部 194名 ミスター・サタン 18号(人造人間18号) ジュエールキーラ クリリンシン(界王神)スポポビッチ 多数 第26回 エイジ778 不明 ミスター・サタン ミスター・ブウ 不明 不明 不明 第27回 エイジ781 第28回 エイジ784 114名 不明 不明 不明 不明 多数 ※第24回と第25回は少年の部とオトナの部に分かれていた。 ※第25回は本戦出場して1回戦を勝利してその後で会場から退場して失格扱いとなった3人をベスト8。1回戦敗退者と1回戦も戦わずに会場から退場して失格となった選手はベスト16。トランクスと孫悟天の合体変装によるマイティマスクはそもそも試合出場資格がなく失格扱いとなったため、最初から試合に出場していないものとしてベスト16とする。 ※その他本編に登場しない回(第20回大会以前)において、アックマンが2度、チャパ王が1度優勝していることが明らかになっている。
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歴代大会
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「東京箱根間往復大学駅伝競走」の記事における「歴代大会」の解説
注:出場校数には学連選抜チームは含まない。 西暦和暦回次総合優勝校回数往路復路出場校数初出場校概要1920年 大正09年 第01回 東京高等師範学校 初優勝 2月14日 2月15日 4 慶應義塾大学東京高等師範学校(現:筑波大学)明治大学早稲田大学 4校が出場。呼びかけられた多くの大学・旧制専門学校・師範学校は選手を10人そろえられず、参加を断念。午前中は授業を行い午後にスタートしたため、ゴールしたときには夜になっていた。 1921年 大正10年 第02回 明治大学 初優勝 1月8日 1月9日 7 中央大学東京農業大学法政大学 1922年 大正11年 第03回 早稲田大学 初優勝 1月7日 1月8日 10 東大農学部実科(現:東京農工大学)日本大学日本歯科大学 1923年 大正12年 第04回 早稲田大学 02年連続02度目 1月6日 1月7日 9 - この回から夜間部在籍選手の出場が禁止される(人力車夫などが学籍を置いて出場するケースがあったため)。 1924年 大正13年 第05回 明治大学 03年ぶり02度目 1月12日 1月13日 1925年 大正14年 第06回 明治大学 02年連続03度目 1月6日 1月7日 10 大会後、日本大学が3区の走者としてエントリー選手ではない選手を出したことが発覚、順位成績取消は免れたものの、翌年の大会参加を辞退。 1926年 大正15年 第07回 中央大学 初優勝 1月9日 1月10日 7 1927年 昭和02年 第08回 早稲田大学 04年ぶり03度目 4月9日 4月10日 5 大正天皇崩御の影響により4月開催。そのため参加校は5校のみとなった。早稲田大学が初の完全制覇(総合、往路、復路の全部門で優勝)。 1928年 昭和03年 第09回 明治大学 03年ぶり04度目 1月7日 1月8日 10 明治大学が初めて13時間台の総合成績を記録。関西大学を特別招待。 1929年 昭和04年 第10回 明治大学 02年連続05度目 1月5日 1月6日 9 1930年 昭和05年 第11回 早稲田大学 03年ぶり04度目 1月4日 1月5日 9区で日本大学が正規選手の走行不能により初の補欠による再走。 1931年 昭和06年 第12回 早稲田大学 02年連続05度目 1月10日 1月11日 10 関西大学を特別招待。1区で東京文理科大学、4区で明治大学がそれぞれ正規選手走行不能のため補欠による再走を実施。 1932年 昭和07年 第13回 慶應義塾大学 初優勝 1月9日 1月10日 9 関西大学を特別招待。 1933年 昭和08年 第14回 早稲田大学 02年ぶり06度目 1月7日 1月8日 11 拓殖大学東洋大学 早稲田大学が初めて12時間台の総合成績を記録。 1934年 昭和09年 第15回 早稲田大学 02年連続07度目 1月6日 1月7日 13 専修大学立教大学 1935年 昭和10年 第16回 日本大学 初優勝 1月5日 1月6日 - 日本大学が完全優勝。 1936年 昭和11年 第17回 日本大学 02年連続02度目 1月4日 1月5日 14 横浜専門学校(現:神奈川大学) 日本大学が2年連続完全優勝。 1937年 昭和12年 第18回 日本大学 03年連続03度目 1月9日 1月10日 - 日本大学が完全優勝で3連覇を達成し、当時の大会規約により優勝旗が授与された。その後大戦による混乱で紛失し、竿だけが大学内に保管されている。 1938年 昭和13年 第19回 日本大学 04年連続04度目 1月8日 1月9日 12 戦前唯一の4連覇。2着の明治大学が6区の走者の資格疑義(夜間部に在籍する学生で二重登録に該当)により失格、以下順位が繰り上がる。 1939年 昭和14年 第20回 専修大学 初優勝 1月7日 1月8日 10 1940年 昭和15年 第21回 日本大学 02年ぶり05度目 1月6日 1月7日 1941年 昭和16年 - 第二次世界大戦の激化により東海道・箱根路の使用が禁止され大会中止。代替駅伝として明治神宮水泳場前-青梅熊野神社間往復駅伝を1月と11月に実施(歴代大会には含めない)。 1942年 昭和17年 戦時命令により日本学連が解体する。 1943年 昭和18年 第22回 日本大学 02期連続06度目 1月5日 1月6日 11 青山学院(現:青山学院大学) 戦時中により従来の東京-箱根間大学駅伝に代わり靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会を第22回大会として実施。 1944年 昭和19年 - - 戦況激化・終戦後の混乱により再び中断。 1945年 昭和20年 1946年 昭和21年 1947年 昭和22年 第23回 明治大学 18年ぶり06度目 1月4日 1月5日 10 神奈川師範学校(現:横浜国立大学) 駅伝大会を復活。初めての予選会(第1回関東大学高専10マイル)を前年12月に実施。読売新聞社が共催に入るが、「学生の大会を私企業が催すことは好ましくない」とGHQからの指導があり、後援となる。 1948年 昭和23年 第24回 中央大学 22年ぶり02度目 1月6日 1月7日 12 - この年の大会からスタート・ゴールを当時の銀座の読売新聞社前(現在のプランタン銀座)とする。 1949年 昭和24年 第25回 明治大学 02年ぶり07度目 1月5日 1月6日 日本体育専門学校(現:日本体育大学) 神奈川師範学校(現:横浜国立大学)が大会史上初の途中棄権〈3区〉。報知新聞社が後援につく。 1950年 昭和25年 第26回 中央大学 02年ぶり03度目 1月5日 1月6日 14 - 前年4月に新制大学が発足し、参加チームも再編の影響をうけ新しい校名で参加(神奈川師範学校→横浜国立大学、文理科大学・東京体育専門学校→東京教育大学、日本体育専門学校→日本体育大学、横浜専門学校→神奈川大学)。早稲田大学篠田正浩が出場。 1951年 昭和26年 第27回 中央大学 02年連続04度目 1月5日 1月6日 11 駅伝有害論の影響により慶應義塾大学が大会参加を取りやめを決定(不参加に因る選手数の影響もあり、慶應義塾大学は以後約10年間出場せず)。東京農業大学が復路で失格。 1952年 昭和27年 第28回 早稲田大学 18年ぶり08度目 1月6日 1月7日 14 成蹊大学 1953年 昭和28年 第29回 中央大学 02年ぶり05度目 1月4日 1月5日 - NHKラジオによる全国放送を開始。 1954年 昭和29年 第30回 早稲田大学 02年ぶり09度目 1月6日 1月7日 15 横浜市立大学 3区で日本体育大学、8区で法政大学がそれぞれ正規選手走行不能のため補欠による再走を実施。 1955年 昭和30年 第31回 中央大学 02年ぶり06度目 1月2日 1月3日 - 交通事情を考慮し大会日程を1月2日及び3日に変更。 1956年 昭和31年 第32回 中央大学 02年連続07度目 東京学芸大学 前年11月の予選会で初めて下位成績の4校が予選会落選。予選上位15校が本大会に出場。 1957年 昭和32年 第33回 日本大学 14年ぶり07度目 国士舘大学 第33回大会からシード権制度を初めて適用。前回大会の上位10校を予選会を免除して参加可能とする。順天堂大学が本大会でチーム編成が不能となったため、神奈川大学が繰り上がりで出場。 1958年 昭和33年 第34回 日本大学 02年連続08度目 順天堂大学 横浜市立大学が途中棄権〈9区〉。 1959年 昭和34年 第35回 中央大学 03年ぶり08度目 16 埼玉大学 予選会5位が神奈川大学、6位が埼玉大学であったが後に計算ミスが発覚し順位が入れ替わる事態となった為、特例で両校の出場が認められる。この大会のみ16校が出場。 1960年 昭和35年 第36回 中央大学 02年連続09度目 15 - 中央大学が初めて11時間台の総合成績を記録。 1961年 昭和36年 第37回 中央大学 03年連続10度目 防衛大学校 1962年 昭和37年 第38回 中央大学 04年連続11度目 - 1963年 昭和38年 第39回 中央大学 05年連続12度目 中央大学が初の5連覇達成。 1964年 昭和39年 第40回 中央大学 06年連続13度目 17 最終10区で追う中大若松軍蔵が日大高野俊雄を青物横丁で遂に捉え、中央大学が初の6連覇達成。第40回を記念して立命館大学と福岡大学を招待(オープン参加)し全17校にて実施。福岡大学の重松森雄が2区区間賞相当(参考記録)の走りを見せた。 1965年 昭和40年 第41回 日本大学 07年ぶり09度目 15 1966年 昭和41年 第42回 順天堂大学 初優勝 復路スタートを全校一斉スタートに変更。予選会会場を千葉市の検見川ロードレースコースに変更。 1967年 昭和42年 第43回 日本大学 02年ぶり10度目 亜細亜大学駒澤大学 1968年 昭和43年 第44回 日本大学 02年連続11度目 大東文化大学 1969年 昭和44年 第45回 日本体育大学 初優勝 - 日本体育大学が初優勝。 1970年 昭和45年 第46回 日本体育大学 02年連続02度目 1971年 昭和46年 第47回 日本体育大学 03年連続03度目 シード権枠を9校に変更。 1972年 昭和47年 第48回 日本体育大学 04年連続04度目 予選会会場を八王子市内の富士森競技場付属コースに変更。 1973年 昭和48年 第49回 日本体育大学 05年連続05度目 東海大学 日本体育大学が5連覇を達成。自衛隊車両が大会関係車両として登場。 1974年 昭和49年 第50回 日本大学 06年ぶり12度目 20 - 第50回を記念して全20校で実施。過去の全優勝校を参加させるためにシード9校以外で過去に優勝した5校を招待参加とし、残り枠6を予選通過校とした。 1975年 昭和50年 第51回 大東文化大学 初優勝 15 1976年 昭和51年 第52回 大東文化大学 02年連続02度目 復路スタートで上位数チームを時差スタートに変更。青山学院大学が途中棄権〈10区、ゴール前150m地点での棄権〉。 1977年 昭和52年 第53回 日本体育大学 04年ぶり06度目 1区から一度も首位を譲らず完全優勝。 1978年 昭和53年 第54回 日本体育大学 02年連続07度目 予選会会場を大井埠頭周回コースに変更。 1979年 昭和54年 第55回 順天堂大学 13年ぶり02度目 テレビ東京が初めてテレビ中継を行う(ダイジェスト版で、最後のゴールのみ生放送)。 1980年 昭和55年 第56回 日本体育大学 02年ぶり08度目 2区のみNHKテレビが中継する。中央大学が7区と8区の走者の区間エントリーミスにより、7・8区の区間記録、復路及び総合の順位、記録が無効となる。 1981年 昭和56年 第57回 順天堂大学 02年ぶり03度目 1982年 昭和57年 第58回 順天堂大学 02年連続04度目 1983年 昭和58年 第59回 日本体育大学 03年ぶり09度目 1984年 昭和59年 第60回 早稲田大学 30年ぶり10度目 20 東京大学 第60回を記念して全20校で実施。本大会では過去の優勝校を無条件で参加させるのではなく、制限タイムつきでの予選会突破を義務付けたが、対象3校(中央・慶應・明治)はいずれも予選会を突破。 1985年 昭和60年 第61回 早稲田大学 02年連続11度目 15 - 1986年 昭和61年 第62回 順天堂大学 04年ぶり05度目 1987年 昭和62年 第63回 順天堂大学 02年連続06度目 山梨学院大学 日本テレビによる生中継放送が開始。最終10区で順天堂大学の工藤康弘が、突然飛び出してきた男性との接触により転倒。 1988年 昭和63年 第64回 順天堂大学 03年連続07度目 - 1989年 昭和64年 第65回 順天堂大学 04年連続08度目 留学生選手が初めて登場。 1990年 平成02年 第66回 大東文化大学 14年ぶり03度目 伴走車(監督車)が交通事情により廃止。 1991年 平成03年 第67回 大東文化大学 02年連続04度目 大東文化大学が、出雲駅伝、全日本大学駅伝と合わせて史上初の大学駅伝三冠達成。 1992年 平成04年 第68回 山梨学院大学 初優勝 1993年 平成05年 第69回 早稲田大学 08年ぶり12度目 1994年 平成06年 第70回 山梨学院大学 02年ぶり02度目 20 関東学院大学中央学院大学 山梨学院大学が初めて総合成績10時間台を記録。第70回を記念して例年より5校多い11校を予選通過とし20校にて実施。特例として慶應義塾大学、筑波大学が出場。 1995年 平成07年 第71回 山梨学院大学 02年連続03度目 15 - 順天堂大学が途中棄権(10区)。 1996年 平成08年 第72回 中央大学 32年ぶり14度目 史上初の2校(神奈川大学〈4区〉、山梨学院大学〈4区〉)途中棄権。 1997年 平成09年 第73回 神奈川大学 初優勝 前年途中棄権からの優勝、予選会突破からの優勝は初めて。監督会議にて給水の必要性が議論され、以後14キロ過ぎに給水ポイントを設置することが決まる。 1998年 平成10年 第74回 神奈川大学 02年連続02度目 帝京大学 1999年 平成11年 第75回 順天堂大学 10年ぶり09度目 - 10区のコースを日本橋経由に変更。 2000年 平成12年 第76回 駒澤大学 初優勝 5区と6区のコースが一部変更。元の東海道を通るコースになる。 2001年 平成13年 第77回 順天堂大学 02年ぶり10度目 國學院大學平成国際大学 順天堂大学が史上2校目の大学駅伝三冠達成。東海大学が途中棄権〈2区〉。予選会会場を国営昭和記念公園に変更。 2002年 平成14年 第78回 駒澤大学 02年ぶり02度目 - 法政大学が途中棄権(2区。スタートから最短地点(2014年現在)での途中棄権)。 2003年 平成15年 第79回 駒澤大学 02年連続03度目 19 前年度成績上位校によるシード枠を10校、予選会からの出場枠を9校に増加、さらにオープン参加として関東学連選抜チームを加えて20チームとする。エントリー人数が16人に拡大。運営管理車の導入など大幅な変更。 2004年 平成16年 第80回 駒澤大学 03年連続04度目 城西大学 第80回を記念して同年のみ関東学連選抜に代わり、日本学連選抜がオープン参加した。この大会から、最も優秀な記録を出した選手に最優秀選手賞として、金栗四三杯が授与される。この大会で陸上自衛隊第1師団からの車両・要員支援が終了。読売新聞社が共催に復帰。箱根町の要望により第80回を記念し、予選会をこの回限定として芦ノ湖畔コースで実施。年末にかけてシンポジウムやトークショーなどの記念行事が行われた。 2005年 平成17年 第81回 駒澤大学 04年連続05度目 - 距離を再計測し、全区間の距離表示を変更(ルート自体は変更せず)。表彰式を東京ドームホテルで公開して開催。箱根駅伝ミュージアムが往路ゴール脇に完成。予選会での外国人枠は2人までに限定(実際に走るのは1人のみ)。駒澤大学が平成初の4連覇を達成。予選会のコースが陸上自衛隊立川駐屯地→立川市街地→国営昭和記念公園のルートに変更された。 2006年 平成18年 第82回 亜細亜大学 初優勝 中距離及びマラソンランナーの育成を目的として往路の小田原中継所を東京寄りの位置に変更。4区が20kmを切る最短区間(18.5 km)、5区が2区や9区を上回る最長区間(23.4 km)になる。 2007年 平成19年 第83回 順天堂大学 06年ぶり11度目 関東学連選抜が正式参加となる。 2008年 平成20年 第84回 駒澤大学 03年ぶり06度目 史上初の3校(順天堂大学〈5区〉、大東文化大学〈9区〉、東海大学〈10区〉)途中棄権。関東学連選抜が4位に入り、シード枠を1校分減らしたため、次年度の予選会枠が1つ増えた。 2009年 平成21年 第85回 東洋大学 初優勝 22 上武大学 第85回を記念して全23チームで実施。シード校9校と選抜チーム以外の13校を予選会で選考。青山学院大学が過去最長となる33年ぶりの出場。城西大学が途中棄権〈8区〉。関東学連選抜が9位に入ったほか、3位の日本体育大学が跳躍選手の不祥事(大麻使用歴及び偽札製作)によりシード権が剥奪されたため、次年度の予選会枠が2つ増えた。 2010年 平成22年 第86回 東洋大学 02年連続02度目 19 - 2011年 平成23年 第87回 早稲田大学 18年ぶり13度目 早稲田大学が史上3校目の大学駅伝三冠達成。史上2回目、当時においてコース初の総合成績10時間台を記録。 2012年 平成24年 第88回 東洋大学 02年ぶり03度目 東洋大学が完全優勝。往路成績、復路成績、総合成績の全部門で記録更新。 2013年 平成25年 第89回 日本体育大学 30年ぶり10度目 城西大学〈5区〉、中央大学〈5区〉が途中棄権。 2014年 平成26年 第90回 東洋大学 02年ぶり04度目 23 第90回大会を記念して、シード校10校と予選会を通過した13校の最多23校で実施。関東学連選抜は今大会のみ編成せず。東洋大学が完全優勝。復路成績で記録更新。山梨学院大学が途中棄権〈2区〉。予選会でのインカレポイント制度廃止。 2015年 平成27年 第91回 青山学院大学 初優勝 20 創価大学 関東学連選抜が関東学生連合に名称変更し、オープン参加となる。函嶺洞門が通行禁止になったため函嶺バイパスにコース変更、それまでの第5区・第6区の区間記録、往路・復路・総合記録は参考記録とされた。競走路の再計測に伴い、第1区、第2区、第3区、第8区、第9区、第10区の距離表示が変更された。青山学院大学が完全優勝。 2016年 平成28年 第92回 青山学院大学 02年連続02度目 東京国際大学 青山学院大学が1区から一度も首位を譲らず完全優勝(39年ぶり)。 2017年 平成29年 第93回 青山学院大学 03年連続03度目 - 青山学院大学が完全優勝で3連覇(80年ぶり)、史上4校目の大学駅伝三冠達成。完全優勝をしての三冠は史上初。中央大学が予選会11位で敗退。連続出場記録が87で途切れた。総合成績による第5区の貢献度が大きすぎる等の理由により往路の小田原中継所を箱根寄りの位置に変更。4区が20.9km、5区が20.8kmになる。それまでの第4区・第5区の区間記録、往路・総合記録は参考記録とされた。 2018年 平成30年 第94回 青山学院大学 04年連続04度目 青山学院大学が史上6校目の4連覇。初優勝からの4連覇は史上3校目(56年ぶり)。現コース初の総合成績10時間台を記録。 2019年 平成31年 第95回 東海大学 初優勝 22 第95回を記念して全22チームで実施。シード校10校と選抜チーム以外の11校を予選会で選考。日本大学は関東インカレ成績枠として出場。 2020年 令和2年 第96回 青山学院大学 02年ぶり05度目 20 7区間で13選手が区間新記録を樹立。東京国際大学(総合5位)と創価大学(総合9位)がシード権を獲得。 2021年 令和3年 第97回 駒澤大学 013年ぶり07度目 新型コロナウイルス感染拡大防止の為、沿道応援の自粛を要請。前回大会でシード権を獲得した創価大学が史上19校目の往路優勝・総合2位と大躍進。 2022年 令和4年 第98回 青山学院大学 02年ぶり06度目 駿河台大学 新型コロナウイルス感染拡大防止の為、前回大会に続き沿道応援の自粛を要請。大会最多優勝の中央大学が10年振りにシード権を獲得し、古豪復活を印象付ける。青山学院大学が復路記録・大会記録を更新した。
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「世界車いすカーリング選手権」の記事における「歴代大会」の解説
各大会の開催地およびメダル獲得国は次の通り。 年日程開催地優勝準優勝3位2002(英語版) 1月21日 - 1月26日 スイス (ズールゼー) スイス カナダ スコットランド 2004(英語版) 1月19日 - 1月24日 スイス (ズールゼー) スコットランド スイス カナダ 2005(英語版) 1月17日 - 1月22日 スコットランド (グラスゴー) スコットランド デンマーク スイス 2007(英語版) 2月17日 - 2月24日 スウェーデン (ソレフテオー) ノルウェー スイス スコットランド 2008(英語版) 2月2日 - 2月9日 スイス (ズールゼー) ノルウェー 韓国 アメリカ合衆国 2009(英語版) 2月21日 - 2月28日 カナダ (バンクーバー) カナダ スウェーデン ドイツ 2011(英語版) 2月22日 - 3月1日 チェコ (プラハ) カナダ スコットランド ノルウェー 2012(英語版) 2月18日 - 2月25日 韓国 (春川市) ロシア 韓国 中国 2013(英語版) 2月16日 - 2月23日 ロシア (ソチ) カナダ スウェーデン 中国 2015(英語版) 2月7日 - 2月14日 フィンランド (ロホヤ) ロシア 中国 フィンランド 2016(英語版) 2月21日 - 2月28日 スイス (ルツェルン) ロシア ノルウェー 韓国 2017(英語版) 3月4日 - 3月11日 韓国 (江陵市) ノルウェー ロシア スコットランド 2019(英語版) 3月3日 - 3月10日 スコットランド (スターリング) 中国 スコットランド 韓国 2020(英語版) 2月29日 - 3月7日 スイス (ヴェッツィコーン(英語版)) ロシア カナダ スウェーデン 2021(英語版) 10月23日 - 10月30日 中国 (北京) 中国 スウェーデン ロシアカーリング連盟
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「世界ミックスダブルスカーリング選手権」の記事における「歴代大会」の解説
数: 本戦の参加チーム数。 回開催年開催地数決勝戦3位決定戦優勝スコア準優勝3位スコア4位1 2008(英語版) ヴィエルマキ(英語版) 24 スイス 5–4 フィンランド スウェーデン 9–2 ノルウェー 2 2009(英語版) コルティーナ・ダンペッツォ 27 スイス 7–4 ハンガリー カナダ 6–5 中国 3 2010(英語版) チェリャビンスク 23 ロシア 9–7 ニュージーランド 中国 8–7 スペイン 4 2011(英語版) セントポール 24 スイス 11–2 ロシア フランス 8–6 スウェーデン 5 2012(英語版) エルズルム 27 スイス 7–6 スウェーデン オーストリア 12–7 アメリカ合衆国 6 2013(英語版) フレデリクトン 27 ハンガリー 8–7 スウェーデン チェコ 8–1 ノルウェー 7 2014(英語版) ダンフリーズ 34 スイス 8–6 スウェーデン スペイン 7–4 ハンガリー 8 2015(英語版) ソチ 30 ハンガリー 6–5 スウェーデン ノルウェー 9–4 カナダ 9 2016(英語版) カールスタード 42 ロシア 7–5 中国 アメリカ合衆国 9–7 スコットランド 10 2017(英語版) レスブリッジ 39 スイス 6–5 カナダ 中国 6–2 チェコ 11 2018 エステルスンド 40 スイス 9–6 ロシア カナダ 8–3 韓国 12 2019 スタヴァンゲル 48 スウェーデン 6–5 カナダ アメリカ合衆国 5–4 オーストラリア 13 2020 ケロウナ 20 新型コロナウイルス感染症の流行の影響により中止 14 2021 アバディーン 20 スコットランド 9–7 ノルウェー スウェーデン 7–4 カナダ 15 2022 ジュネーヴ 20 スコットランド 9–7 スイス ドイツ 7–5 ノルウェー
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歴代大会
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北の界王死んじゃった記念エイジ766開催。 優勝者無し(孫悟空、パイクーハン共に失格)。ベスト4:マーライコー、トルビー。ベスト8:タピカー、フーログ、アークア、オリブー。 大会名称不明エイジ774(『復活のフュージョン!!悟空とベジータ』)開催。 優勝者無し(悟空とパイクーハンの決勝戦の最中、閻魔界の異変の調査に向かったため中断)。
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歴代大会
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「世界ミックスカーリング選手権」の記事における「歴代大会」の解説
大会の一覧および結果は次の通り。 回開催年日程開催地チーム数決勝戦3位決定戦優勝スコア準優勝3位スコア4位1 2015(英語版) 9月12日 - 9月19日 スイスベルン 36 ノルウェー 5–3 スウェーデン 中国 5–4 ロシア 2 2016(英語版) 10月14日 - 10月22日 ロシアカザン 37 ロシア 5–4 スウェーデン スコットランド 8–4 韓国 3 2017(英語版) 10月6日 - 10月14日 スイスシャンペリー(英語版) 37 スコットランド 8–5 カナダ チェコ 7–6 ノルウェー 4 2018(英語版) 10月13日 - 10月20日 カナダケロウナ 35 カナダ 6–2 スペイン ロシア 8–7 ノルウェー 5 2019(英語版) 10月12日 - 10月19日 スコットランドアバディーン 40 カナダ 6–5 ドイツ ノルウェー 6–5 韓国 2020 10月10日 - 10月17日 スコットランドアバディーン 中止 中止 2021 中止 スコットランドアバディーン 6 2022 10月15日 - 10月22日 スコットランドアバディーン
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歴代大会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 21:49 UTC 版)
()内はキャッチフレーズ 第1回: 2005年2月12日 ゲストランナーとして、増田明美が10kmマラソンに出場。 第2回: 2006年2月26日 (1粒の汗が、ダイヤモンドになる日。) ゲストランナーとして、谷川真理が10kmマラソンに出場。 第3回: 2007年2月25日 前年まで行われていたハーフマラソンに代わり10マイルの部が新設される。ゲストランナーとして、瀬古利彦が10kmマラソンに出場。 第5回: 2009年2月22日 ゲストランナーとして、千葉真子が出場。 第8回: 2012年2月26日 「浜松市制100周年記念大会」として開催。10マイル、10kmの代わりに浜松市役所をスタートとするハーフマラソンが実施される。 第10回: 2014年2月23日 交通規制範囲が更に広がり、鍛冶町通りも対象となる。また、例年迂回運転のみだった遠鉄バスが交通規制時間帯に限り初めて減便ダイヤでの運行となる。
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