歴代塾頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 02:06 UTC 版)
荘勇雄 桂小五郎 井汲唯一 太田市之進 渡辺昇 佐藤常次郎 原保太郎 特に桂小五郎は藩命で帰藩するまでの5年間(1853年 - 1858年)、塾頭・師範代を務め続けるほどの腕前であった。 桂小五郎の前の塾頭だった大村藩士・荘勇雄は、大村騒動で同じく元塾頭の渡辺昇らに命を狙われ、斎藤新太郎に匿われたが、渡辺らは大村藩に仕えている斎藤歓之助を人質にして斎藤弥九郎を脅し、荘を捕らえることに協力させた。潜伏先に踏み込まれた荘は自害した。 仏生寺弥助は、19歳(17歳とも)で免許皆伝を得、桂や斎藤歓之助を凌ぐ腕前であったが、粗野な性格であったため塾頭になれなかったとされる。
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