歴代城主と子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:11 UTC 版)
城主は代々、児山三郎左衛門ノ尉を名乗った。文献等を突合すると、10代程度続いたと推測できる。城主の墓は華蔵寺にはなく、1980年代に古山小学校周辺で行われた土地区画整理事業の際に見つかった10基ほどの五輪塔が城主の墓ではないかと目されている。 初代:児山朝定 2代:児山朝行 推定6代:児山宗晴 推定10代:児山兼朝 郷土史家の小林昌三九は、児山氏の末裔が現代に残っているのではないかと考え、栃木県内に11軒ある児山姓の家に電話をし、つながった8軒すべてが福島県南会津郡の田島町(現・南会津町)か下郷町にルーツがあることを突き止めた。そして児山姓が両町に集中していることを電話帳で知り、1989年(平成元年)7月に両町の児山姓の家を訪ねて回った。その結果、先祖が児山城に連なる家系で当地へ逃げ延びてきたのではないかと考えている人に出会ったことや、児山姓の人々が家屋・人柄ともに立派であること、仏壇や墓を大切にしていること、各大字に児山姓が1戸か2戸しかなく同姓で婚姻すると災いが起こると伝承してきたことなどを総合し、彼らが児山城主の子孫であると小林は確信した。
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