アルメニア アルメニアの概要

アルメニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/01 19:32 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アルメニア共和国
Հայաստանի Հանրապետություն
アルメニアの国旗 アルメニアの国章
国旗 国章
国の標語:Մեկ Ազգ , Մեկ Մշակույթ
(アルメニア語: 一つの国家、1つの文化)
国歌Մեր Հայրենիք(アルメニア語)
我が祖国
アルメニアの位置
公用語 アルメニア語
首都 エレバン
最大の都市 エレバン
政府
大統領 アルメン・サルキシャン
首相 ニコル・パシニャン英語版
面積
総計 29,800km2138位
水面積率 4.7%
人口
総計(2017年 2,900,000[1]人(133位
人口密度 112人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2013年 4兆2,729億[2]ドラム
GDP (MER)
合計(2013年 104億[2]ドル(134位
GDP (PPP)
合計(2013年231億[2]ドル(131位
1人あたり 7,034[2]ドル
独立
 - 日付
ソビエト連邦より
1991年9月21日
通貨 ドラム (AMD)
時間帯 UTC +4DST:なし)
ISO 3166-1 AM / ARM
ccTLD .am
国際電話番号 374

国名

正式名称はアルメニア語(アルメニアアルファベット)で、Հայաստանի Հանրապետություն(ラテン文字転写: Hayastani Hanrapetut'yun)。通称、Հայաստան(Hayastan)。

英語の公式表記は、Republic of Armenia。通称、Armenia

日本語の表記は、アルメニア共和国。通称、アルメニア

アルメニア人は自らをհայ(hay)ハイ(複数形はհայեր(hayer)ハイェル、またはհայք(hayk')ハイク)、国をハヤスタン、またはՀայք(Hayk')ハイクと呼ぶ[3][4]

正式名称Hayastani Hanrapetut'yunの語源は、アルメニア人の始祖ハイク・ナハペトとペルシャ語で国を示す接尾語スターン (地名)から来ている[5]。 アルメニアは、ハイ族の王アルメナクから来ている。

歴史

先史時代にはクラ・アラクセス文化英語版があったことが知られており、文明の早い時期から車輪が使われていた。

紀元前6世紀頃には国際的な商業活動を盛んに行っていたと言われ、紀元前1世紀アルメニア高原を中心にアルメニア王国を築き繁栄した。しかしローマ帝国パルティアサーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもあった。

1世紀頃にはキリスト教の布教(十二使徒聖タデヴォス聖バルトゥロメウスが伝道し、殉教した)、2世紀にはアルメニア高地の各地にキリスト教徒がかなりの数に上ったと伝える(カエサリアのエウセビウス(260–339年)『教会史』)。

紀元301年には世界で初めてキリスト教国教とした[6]

405/406年、アルメニア文字メスロプ・マシュトツ(361–440)によって創始された。

その後サーサーン朝ペルシアの支配下に入り(en:Persian Armenia)、更にアラブの侵攻を受けるが(en:Ostikanate of Arminiya)、9世紀半ばにはバグラト朝英語版が興り(en:Kingdom of Armenia (Middle Ages))、独立を回復。

しかしバグラト朝も長くは続かず、セルジューク朝en:Seljuq Armenia)、en:Zakarid Armeniaモンゴルen:Mongol Armenia)・ティムール朝en:Turkmen Armenia)などの侵入が相次いで国土は荒廃。このため10世紀に多くのアルメニア人が故国を捨てる(ディアスポラ)ことになった[7]

20世紀初頭のアルメニア人の居住地域(濃い水色)

1636年にアルメニアはオスマン帝国en:Armenians in the Ottoman Empire)とサファヴィー朝ペルシアen:Armenians in the Persianate)に分割統治された。

1826年に始まった第二次ロシア・ペルシア戦争の講和条約・トルコマンチャーイ条約1828年)によってペルシア領アルメニアはロシア領となる。

19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され(アルメニア人虐殺)、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込んだ。

ロシア革命後に民族主義者によりアルメニア第一共和国が樹立されるが、赤軍の侵攻により崩壊し、1920年アルメニア社会主義ソビエト共和国が成立した。1936年まではザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を構成していた。

1988年アゼルバイジャン共和国にあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニアに帰属替えを求めるアルメニア人の運動が起り、これに反発したアゼルバイジャン人との緊張の中で衝突が起り、両国の本格的な民族紛争(ナゴルノ・カラバフ戦争)に発展した。

1991年ソ連保守派のクーデターが失敗した為、同年9月にアルメニア社会主義ソビエト共和国は「アルメニア共和国」として独立を遂げた[8]。10月17日、大統領選挙でレヴォン・テル=ペトロシャンが圧勝した。

しかしカラバフを巡るアゼルバイジャン人との紛争は現在も続いている。1991年12月21日独立国家共同体(CIS)に加盟、同年12月25日付でソ連邦は解体・消滅しアルメニアは晴れて独立国家となった。




  1. ^ アルメニア基礎データ=外務省” (英語) (2014年10月). 2019年2月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2014年11月9日閲覧。
  3. ^ 伝説ではこのハイ族の族長アルメナケが一族を率い、自らをと名乗り、一族をアルメニア族と名乗った事が、アルメニアの起源とされている
  4. ^ 造山運動に伴う火山活動でできた石が豊富であり、石の国=カラスタンとも呼ばれる(中島偉晴、メラニア・バグダサリアン編著 『アルメニアを知るための65章』 明石書店 2009年 20ページ)
  5. ^ Armenica.org:Chronology
  6. ^ そのため、エルサレム聖墳墓教会の塗油台の壷は特別に2個おく事が認められている。他は、ローマコンスタンティノポリスアレクサンドリアアンティオキア、エルサレムの五大総主教座(ローマはカトリック教会、残りは東方正教会)、及び、コプト教会のアレクサンドリア総主教座が各1個。合計8個
  7. ^ その中の一部は11世紀にトルコ南東部のキリキアに移住しキリキア・アルメニア王国を建国、14世紀末まで独立を保った
  8. ^ 9月21日、「アルメニアの独立」は、国民投票で承認された。
  9. ^ 吉村貴之「アルメニア / 『第二共和国』の政治 - 安定か停滞か」『アジ研ワールド・トレンド』第8巻第4号(通巻第79号)、アジア経済研究所広報部、2002年4月、 30頁、 ISSN 13413406NAID 40005089033
  10. ^ アルメニア選挙、改革派が圧勝 対ロ関係維持が焦点”. 2019年3月19日閲覧。
  11. ^ アルメニア基礎データ”. 2019年2月16日閲覧。
  12. ^ Anaïs Coignac (2014年1月28日). “男だけが消えた 旧ソ連の小さな国”. ニューズウィーク. http://www.newsweekjapan.jp/picture/126657.php 2014年7月31日閲覧。 
  13. ^ MARRIAGE REGISTRATION IN ARMENIA, YOUR JURISCONSULT.
  14. ^ メラニア・バグダサリヤン「教育問題」/ 中島偉晴、メラニア・バグダサリアン編著 『アルメニアを知るための65章』 明石書店 2009年
  15. ^ 中島偉晴、メラニア・バグダサリアン編著 『アルメニアを知るための65章』 明石書店 2009年 20–21ページ
  16. ^ 家屋などの倒壊により約2万5千人が死亡、被災地支援に向かった軍用輸送機Ил-76が墜落、兵士69人を含む78名全員死亡。


「アルメニア」の続きの解説一覧



アルメニアと同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アルメニア」の関連用語

アルメニアのお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



アルメニアのページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアルメニア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2019 Weblio RSS