アララト山とは? わかりやすく解説

アララト山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/09/18 23:19 UTC 版)

アララト山/アール山
Ağrı Dağı
Արարատ
左が小アララト山、右が大アララト山
標高 5,137 m
所在地 トルコの旗 トルコ
位置 北緯39度42分07秒 東経44度17分54秒 / 北緯39.70194度 東経44.29833度 / 39.70194; 44.29833座標: 北緯39度42分07秒 東経44度17分54秒 / 北緯39.70194度 東経44.29833度 / 39.70194; 44.29833
種類 成層火山
アララト山の位置(トルコ内)
アララト山
アララト山
アララト山の位置(コーカサス山脈内)
アララト山
アララト山
アララト山の位置(中東内)
アララト山
アララト山
プロジェクト 山
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大アララト山
大アララト山
小アララト山
小アララト山
トルコ
アルメニア
イラン
ナヒチェヴァン
Saz湖
アララト山付近の地図の拡大

アララト山(アララトさん、アルメニア語: Արարատ、ペルシア語: کوه آرارات)またはアール山(トルコ語: Ağrı Dağı、アゼルバイジャン語: Ağrı dağı、クルド語: Çiyayê Agirî/Чьйайе Агьри/چیایێئا گری)は、トルコ共和国の東端にある標高5,137mの山であり成層火山である。

主峰の東南にあたる標高3,896mの頂上を小アララト山(Küçük Ağrı Dağı、Փոքր Մասիս)と呼んでおり、それに対して標高5,137mの主峰は公式には大アララト山(Büyük Ağrı Dağı、Մեծ Մասիս、ビュクアール山)という。アルメニアとの国境から32km、イランとの国境から16kmである。

概要

『旧約聖書』「創世記」のノアの箱舟が大洪水の後、流れ着いたとされるアララト山をこの山に見たて、12世紀以降にヨーロッパ人により命名された。 13世紀の旅行家マルコ・ポーロも『東方見聞録』の中で、アルメニアの地にある「ノアの箱舟の山」について言及している。[1] 現在のアララト山頂から見つかった古い時代の木の化石や、航空写真から見出だした方形の船の跡らしいものをノアの箱舟の痕跡だとし、ノアの箱舟伝説が実証されたと主張する人もいる。 紀元1世紀のフラウィウス・ヨセフス(Flavius Josephus)の著書『ユダヤ古代誌』において、ノアの箱舟が「アルメニアのある山の頂」に留まったと記載がある。[2]

アララト山は古くからアルメニア人の多く居住してきた地域(大アルメニア)の中心にあたり、アルメニア民族のシンボルとされる。オスマン帝国がこの地域を支配した時代まではアララト山の麓にはクルド人やトルコ人と入り混じりながらも数百万人のアルメニア人が暮らしてきたが、オスマン帝国末期、とくに第一次世界大戦中の強制移住によりトルコ領内からはほとんどアルメニア人はいなくなったとされる。

初登頂は1829年、フリードリヒ・パルロットとハチャトゥル・アボヴャンのグループによる。

その後、1920年のセーヴル条約に基づき、旧ロシア帝国領側に住むアルメニア人がアララト山の麓まで領土に含めたアルメニア国家を独立させる運動に乗り出したが、旧オスマン帝国領側に獲得した領土はトルコ革命軍によって奪還され、ロシア側も赤軍の侵攻によってソビエト連邦に組み入れられた。これ以降、アララト山はトルコ領となるが、1991年のソ連解体によって独立したアルメニアはこのトルコとソ連によって引かれた国境を承認していない。アルメニア・ソビエト社会主義共和国時代においてもアルメニア人のシンボルであることは変わらず、国章にアララト山が用いられていた。独立後のアルメニアの国章も盾の中央にアララト山をあしらっており、アルメニア人虐殺とあいまって、領土要求を警戒するトルコとの間で水面下の対立が続いている。

眼下の視界
航空機から見下ろしたアララト山
トルコ国内から見たアララト山
アルメニアから見たアララト山、手前はトルコ国境付近にある修道院 (Khor Virap)
アルメニアの首都エレバン市内から見たアララト山
ナヒチェヴァン自治共和国(アゼルバイジャンの飛び地)から見たアララト山
大アララト山(中央)と小アララト山(左) - NASAランドサットデータによる合成画像
アララト山の3D画像
1993年発行のアルメニアの100ドラム紙幣に描かれたアララト山

地質

溶岩と砕屑流の岩質はデイサイトから玄武岩まで様々である。付近を通る横ずれ断層と、その結果生じた地質学でいう上のプルアパート堆積盆地に生じた火山活動が活発化し、少なくとも紀元前2500年前から幾度となく大噴火が生じたと推定されている。最新の活動は1840年で、大地震を伴い火砕流などにより最大1万人が犠牲になった。

脚注

  1. ↑ マルコ・ポーロ, The Travels of Marco Polo, Book 1, Chapter 3 (or 4)
  2. ↑ Josephus, Ant. Jews 1.3.5 (90)

関連項目

外部リンク


アララト山

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「ムーの白鯨」の記事における「アララト山」の解説

トルコに位置するノアの洪水伝説の地。9話の舞台となった。作中では山頂近くにノアの箱舟の跡なる窪みが登場した。麓の村には3万年前の世界で消息を絶ったケインの遺品が残されていた。

※この「アララト山」の解説は、「ムーの白鯨」の解説の一部です。
「アララト山」を含む「ムーの白鯨」の記事については、「ムーの白鯨」の概要を参照ください。

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