どうき‐じだい【銅器時代】
銅器時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/15 02:22 UTC 版)
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銅器時代(どうきじだい)は、石器の使用に併行して金属器が使用された、人類文化の発展段階を指す用語である。金石併用時代、純銅器時代とも呼ばれる。青銅器時代に先行し、錫を含まない自然銅を鍛造成形して使用した段階である。
概要
銅器時代は中東で始まった。この期間は、伝統的な三時期法(石器時代、青銅器時代、鉄器時代)の例外に当たる過渡的なものであり、新石器時代と青銅器時代の間に位置する。 銅が広く利用されるより前に、錫等で合金化される試みが極めて急速に始まったため、銅器文化及び銅器時代の区分は困難である。
このためこの区分は、主に紀元前4千年紀前後の南東ヨーロッパ、西アジア及び中央アジアに用いられるだけである。またその場合も、一般的にヨーロッパ考古学では「銅器時代」という用語を好む一方、中東の考古学では「金石併用時代」という語句が同義として用いられる。
ヨーロッパにおける銅器時代の好例として、アルプスのエッツタール渓谷で発見されたアイスマンがある。彼は紀元前3300年頃の人間と推定されているが、銅製の斧と燧石ナイフを所持しており、銅器時代への過渡期であったと考えられる。銅の使用に関する知識は金属自体よりはるかに広く普及し、ヨーロッパの戦斧文化では、鋳造の跡まで石に刻んで模造した、銅斧に似せた石斧を使用している。ヨーロッパのビーカー文化人は、最初に南西アジアに都市化を採用した文化同様、金石併用文化であったと考えられている。ヨーロッパ中の多くの巨石記念物がこの時期建設されたが、これはインド・ヨーロッパ祖語が話された時期とほぼ同時代であることを示唆している。
アスコ・パルポラ[1]によると、銅器時代である紀元前4300年-3200年の間、インダス文明地域の土器は、南トルクメニスタンや北イランとの類似性を示しており、この事実は無視できない人口移動と交易の存在を示唆しているという。
ヨーロッパによる征服時点で、既に銅と銅合金を使用していたアメリカ文明には、通常銅器時代の区分は適用されない。それでも、オールド・コッパー・コンプレックス(現在のミシガン州、ウィスコンシン州に位置する)では、銅を工具、武器その他の道具に利用されたことを示す遺跡もある。これらの遺跡から出土した人工物は、紀元前4000年から紀元前1000年頃のものと推定され、全世界でも最も古い遺跡の1つとして知られている。
脚注
- ^ アスコ・パルポラ「インダス文字解読の現状について(Study of the Indus script)」『創設50周年記念第50回国際東方学者会議紀要』pp. 28-66, 財団法人東方学会(東京)、2005年
外部リンク
銅器時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:49 UTC 版)
詳細は「銅器時代」を参照 銅は自然銅として自然中に存在しており、最初期の文明のいくつかにおいても知られ先史時代から使われてきた金属である。銅の使用には少なくとも1万年の歴史があり、紀元前9000年の中東で利用され始めたと推測されている。イラク北部で紀元前8700年と年代決定された銅のペンダントが出土しており、これは確認される最古の銅だと言われている。金および隕鉄(ただし鉄の溶融は出来ていない)だけが、人類が銅より前に使用していたという証拠がある。銅の冶金学の歴史は、1. 自然銅の冷間加工、2. 焼きなまし、3. 製錬および4. インベストメント鋳造の順序に続いて発展したと考えられる。東南アナトリアにおいては、これら4つの冶金技術はおよそ紀元前7500年頃の新石器時代の初めに若干重複して現れる。農業が世界中のいくつかの地域(パキスタン、中国およびアメリカ大陸を含む)でそれぞれ独立して発明されたのと同様に、銅の溶錬もいくつかの異なる地域で発明された。それはおそらく、紀元前2800年頃の中国、西暦600年頃の中央アメリカ、および西暦9から10世紀頃の西アフリカでそれぞれ独立して発明された。インベストメント鋳造は紀元前4500から4000年頃に東南アジアで発明され、また、放射性炭素年代測定によって英国チェシャーのアルダリー・エッジ(英語版)にある銅鉱山が紀元前2280年から紀元前1890年のものであると確かめられた。紀元前3300年から紀元前3200年頃のものと見られるミイラのアイスマンは、純度99.7 %の純銅製の斧の頭とともに発見された。彼の髪に高純度のヒ素が見られたことから、彼が銅精錬に関わっていたのではないかと考えられている。ミシガンおよびウィスコンシンのオールドカッパー文化(英語版)(古代北米におけるネイティブ・アメリカンの社会。銅製の武器や道具を広く利用していた)における銅の生産は紀元前6000年から紀元前3000年の間の年代を示している。これらのような銅と関わった経験が他の金属の利用の発展の助けとなり、特に、銅の溶錬から鉄の溶錬(塊鉄炉(英語版))の発見に至った。
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「銅器時代」の例文・使い方・用例・文例
- 銅器時代
- クレタの青銅器時代文化の、クレタの青銅器時代文化に関する、または、クレタの青銅器時代文化に特徴的な
- 銅器時代の三日月形装飾金属
- 紀元前2500年から1100年ごろに栄えたギリシア本土の青銅器時代の文化
- インダス谷の青銅器時代の文化で、およそ紀元前2600年−1750年から繁栄した
- クレタの青銅器時代の文化で、紀元前3000年−1100年に繁栄した
- 南エーゲ海のキクラデス島の青銅器時代の文明で、作品が紀元前3000年−1100年に繁栄した
- 青銅器時代文化がおよそ紀元前2000年から紀元前1400年まで栄えたクレタ島の古代の町
- 青銅器時代に続く時期
- 考古学における銅器時代という時代
- 青銅器時代という時代
- その穴は紀元前3500から3000年までの青銅器時代初期に食料の貯蔵に使用されており,数百個の陶器の破片が見つかった。
- イスラエル考古学庁の職員によると,今回の発見はテルアビブが青銅器時代初期にエジプト人が居住していた最北の地だったことを示しているという。
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