旧石器時代から銅器時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 14:20 UTC 版)
「ユーフラテス川」の記事における「旧石器時代から銅器時代」の解説
ユーフラテス川流域における初期の定住はその上流域に限られていた。この地域は肥沃な三日月地帯として知られている。アシュール文化の石製遺物はサジュル川流域と、シリア砂漠の中央にあるエルコウム(アルカウム)(英語版)の遺跡から発見されている。後者は450,000年前に遡るホモ・エレクトスの遺物と一緒に残されている。タウルス山脈とシリアのユーフラテス河谷の上流域はアブフレイラ、ジェルフル・アフマル、テッレル・ムレイベト、そしてネヴァル・チョリ(英語版)のような初期の定住村落が紀元前8,000年紀以降形成された。アブフレイラは当初狩猟採集民が定住を開始し、後に最初期の農民たちも居住した。灌漑を知らない初期の農業共同体の立地は天水農業が可能な地域、即ちシリアとトルコのユーフラテス川上流域に限られていた。紀元前7千年紀初頭に土器の導入が行われたことに特徴づけられる後期新石器時代の村落はこの地域全体で発見されている。メソポタミアの下流域への居住は紀元前6千年紀に開始した。この地域の降水量は換装農業を行うには不十分であるため、これは一般的に灌漑の導入に関連したものである。テッレッ・サウワーン(英語版)を含むいくつかの遺跡で灌漑の痕跡が見つかっている。紀元前5千年紀の間か後期ウバイド期には北部シリアには小さな村落が点在し、そのうちのいくつかは10ヘクタール以上の大きさに成長していた。イラクではエリドゥやウルのような場所ではウバイド期の間に既に居住が始まっていた。粘土で作られたボートの模型がハーブール川沿いのテッル・マシュナカ(英語版)で発見されている。これは河川輸送がこの時代に既に行われていたことを示す。概ね紀元前4千年紀に相当するウルク期には本当の意味での都市がメソポタミア全域に現れる。テッル・ブラークとウルクは100ヘクタール以上にその大きさを成長させ、記念碑的な建造物も見られる。メソポタミア南部の土器、建築様式、そして円筒印章が、遥かトルコとイランにまで普及することは、一般的にメソポタミアの都市群に原材料を供給することを目的とする広範な貿易体系が、物質的な形で表れているものであると解釈されている。シリアのユーフラテス川沿いにあるハッブーバ・カビーラ(英語版)はウルクの植民都市として解釈される定住地の代表的な例である。
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