旧石器時代〜中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 04:22 UTC 版)
「高安 (高畠町)」の記事における「旧石器時代〜中世」の解説
高畠町は約9,000年前の縄文時代草創期の遺跡をはじめ多くの遺跡が発見されている。現在、高安では縄文時代の遺跡は発見されていないものの、昭和期に高安の中心よりやや北寄りに位置する字寺前の屋代川の南方に位置する丘陵の南向き斜面にて中世の遺跡「高安窯跡群」が発見されている。発見されたのは7世紀後半~8世紀初頭に操業されていた須恵器窯跡5基、9世紀後半~10世紀前半の炭窯跡1基の計6基。これは山形県では最古級の須恵器と瓦だった。 高安は出羽国が建置される712年(和銅5年)までは陸奥国置賜郡に所属。平安時代中期頃に藤原氏の荘園が形成された後は、皇室領を経て平泉藤原氏の配下に置かれ、鎌倉時代に入ると大江氏が置賜を領して長井氏を称した。以上が中世の高安及び高畠町が所属した領地の変遷。 初めて高安という地名が文書に現れたのは、1534年(天文3年)の伊達稙宗安堵状という文書。そこには「屋代の庄こうやす北の在家」と書かれており、その当時はまだ漢字で表記されていなかった。
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