UNICORNとは? わかりやすく解説

unicorn

別表記:ユニコーン

「unicorn」の意味・「unicorn」とは

「unicorn」は、一般的には一本の角を持つ伝説上の生物を指す英語の単語である。その姿は馬に似ており、頭部長くて直線的な角が一本だけ存在する。この生物は、中世ヨーロッパ神話伝説頻繁に登場し純粋さ純潔さ象徴とされている。また、現代ではスタートアップ企業の中で評価額10億ドル上の企業を指すスラングとして使われる

「unicorn」の発音・読み方

「unicorn」の発音は、IPA表記では/juːnɪkɔːrn/となる。IPAカタカナ読みでは「ユーニコーン」となる。日本人発音するカタカナ英語では「ユニコーン」が近い。

「unicorn」の定義を英語で解説

「unicorn」は英語で"a mythical creature resembling a horse, with a single horn in the middle of its forehead"と定義される。これは「一本の角が額の中央にある、馬に似た神話上の生物」という意味である。また、ビジネス用語としては"a privately held startup company valued at over $1 billion"と定義される。これは「評価額10億ドル上の非公開スタートアップ企業」という意味である。

「unicorn」の類語

「unicorn」の類語としては、神話伝説の生物を指す「mythical beast」や「legendary creature」がある。また、ビジネス用語としては「high-value startup」や「billion-dollar company」が同じ意味を持つ。

「unicorn」に関連する用語・表現

「unicorn」に関連する用語としては、「horn」(角)、「mythology」(神話)、「folklore」(民間伝承)、「startup」(スタートアップ)、「valuation」(評価額)などがある。これらの単語は、「unicorn」の語源使用状況理解する上で重要である。

「unicorn」の例文

1. "The unicorn is a mythical creature that is often depicted as a horse with a single horn."(ユニコーンは、一本の角を持つ馬のように描かれることが多い神話上の生物である。)
2. "In the startup world, a unicorn is a company that has reached a valuation of over one billion dollars."(スタートアップ世界ではユニコーン評価額10億ドル以上に達した企業を指す。)
3. "The unicorn is a symbol of purity and grace in many cultures."(ユニコーン多く文化純粋さ優雅さ象徴である。)
4. "The term 'unicorn' was first used to describe high-value startups in 2013."(「ユニコーン」という言葉は、初め2013年高額なスタートアップを表すために使われた。)
5. "The unicorn is often depicted in medieval tapestries."(ユニコーン中世タペストリーによく描かれている。)
6. "The startup has joined the ranks of unicorns with its latest round of funding."(そのスタートアップ最新資金調達ラウンドユニコーン仲間入り果たした。)
7. "The unicorn is a popular motif in children's literature."(ユニコーン子供文学人気モチーフである。)
8. "The unicorn is one of the most recognizable mythical creatures."(ユニコーンは最も認識しやすい神話上の生物一つである。)
9. "The company has become a unicorn thanks to its innovative technology."(その企業革新的な技術おかげでユニコーンになった。)
10. "The unicorn is often associated with magic and miracles in folklore."(ユニコーン民間伝承では魔法奇跡としばしば関連付けられる。)

ユニコーン【unicorn】

読み方:ゆにこーん

ヨーロッパ伝説上の動物。馬の体で、ねじれた1本の角(つの)をもつ。角に解毒する力があると信じられた。一角獣(いっかくじゅう)。

ユニコーン企業

「ユニコーン」に似た言葉

ユニコーン企業

読み方ユニコーンきぎょう
別名:ユニコーン
【英】unicorn

ユニコーン企業とは、創業10年未満スタートアップ企業で、株式市場未上場、かつ企業評価10億ドル以上に達しているテクノロジー企業を指す用語である。2010年代前半米国ベンチャーキャピタリスト提唱した

ユニコーン企業と呼ばれるには「創業10年未満」「未上場」「評価額10億ドル以上」「テック系企業」という4つの条件すべてに該当している必要がある創業11年目に突入したり、上場果たしたりすると、他の条件満たしていても「ユニコーン企業」の定義からは外れる。

ユニコーン」とは西欧における伝説的な生き物幻獣)である。創業まもなく大成功収めるスタートアップ企業ユニコーンなぞらえて表現し得るほど稀少であるという含意があるとされる

企業評価額100ドル突破するユニコーン企業を「デカコーン企業」、同じく1000ドル突破するユニコーン企業を「ヘクトコーン企業」と呼ぶ場合がある。これは「ユニコーン」の「ユニ」(もともと「1」の意)を10倍(deca)、100倍hecto)に換えたもじり表現である。


ユニコーン 【unicorn】

ヨーロッパで力と純潔象徴とされる一角獣。馬の額に長い角を生やし山羊の髭、割れたひづめなど、さまざまの説がある。その角には毒を消す力があるとする。インド産との説もある。中国には一角獣として麒麟がある。→ 麒麟

UNICORN

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/05 15:34 UTC 版)

UNICORN
別名 ユニコーン
出身地 日本広島県[1]
ジャンル
活動期間
  • 1986年 - 1993年
  • 2009年 -
レーベル
事務所 ソニー・ミュージックアーティスツ
公式サイト UNICORN.JP
メンバー
旧メンバー 向井美音里(キーボード)
UNICORN
YouTube
チャンネル
活動期間 2012年 -
ジャンル 音楽
登録者数 約10.1万人
総再生回数 約5533万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年11月9日時点。
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UNICORN(ユニコーン)は、日本のロックバンド。1986年に広島県広島市にて結成し、1987年にメジャーデビュー。1993年解散。2009年に再結成し活動を再開した。

概要

1987年、アルバムBOOM』でデビュー。所属事務所はCSアーティスツ(現:ソニー・ミュージックアーティスツ)。契約レコード会社はCBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックレコーズ)。初期の音楽プロデューサー笹路正徳。バンド名は、イギリスのロックバンドT・レックスアルバムユニコーン』に由来している[3]

デビュー当初はビートロックの一派とされていたが、笹路の弟子で当初はアシスタントとして参加していた阿部が、脱退した向井に代わり新メンバーとして加入後の3rdアルバム『服部』からは変化が現れた。音楽性の異なるメンバー全員が作詞作曲ボーカルを担当できることから[3]、作風の幅が広がり、それまでになかった語彙や題材を用いた歌詞、ジャンルを問わない音楽性を発揮[出典 1]。またライブにもメンバーのキャラクターを活かした寸劇が取り入れられるなど、バンドブームの中心的グループとして活躍した[出典 2]。当時のバンドの中でも抜きん出た演奏力を持つバンドとも評された。1990年には、4thアルバム『ケダモノの嵐』が第32回日本レコード大賞アルバム賞を受賞した。

1992年に5人それぞれのソロシングルリリースと、1993年1月「EBI奥田阿部西川手島」名義でミニ・アルバム『UNICORN』(形態は8cmシングル)をリリースののち、2月にリーダーの西川(現:川西)が脱退。解散前最後の作品となった8thアルバム『SPRINGMAN』リリースと全国ツアー「UNICORN TOUR 1993 “4946”」を経て、同年9月21日に解散を発表した。

解散後はソロや新たなバンドでの活動、他のミュージシャンのプロデュース等、各自が音楽活動を続けていた中、2009年1月に再始動を発表。同年リリースされたアルバム『シャンブル』はオリコン1位を記録した[注釈 1]

2024年現在も継続的にリリース、ライブを展開している。特に再始動後は、各メンバーが担当パートに捉われずさまざまな楽器を演奏し、歌唱するメンバーも曲ごとに入れ替わり、全員がリードボーカルをとっている。

バンドリーダーは当初川西が務めていたものの、解散前に脱退。2009年川西を含めて活動再開したが、リーダーは阿部(現:ABEDON)となっている。

代表曲は「Maybe Blue」「大迷惑」「スターな男」「働く男」「すばらしい日々」「WAO!」など。

メンバー

下記は基本パートであり、レコーディングやライブでは各メンバーが楽曲によってさまざまな楽器を担当している。また作詞・作曲も全員が手がける。

旧メンバー
  • 向井美音里(むかい みどり、1965年4月27日 - 、広島県出身)
    キーボード担当。
    1988年、2度目のツアー終了後、健康上の理由で脱退。89年、EBIと結婚し2児の母となるが、98年に離婚。02年、音楽業界から離れる。[要出典]
サポートメンバー
  • 古田たかし(ふるた たかし、1958年7月6日 - 、東京都出身。当時・Dr.StrangeLoveメンバー)
    ドラム担当。川西脱退後、1993年のツアー「4946」にてサポートを務める。
    ユニコーン解散後、奥田のソロ活動時のサポートメンバーにもDr.StrangeLoveで参加することになる。2009年の再始動ライブ「蘇える勤労」にゲスト出演し、ツインドラムで川西と共演した。
  • 橘あつや(SPARKS GO GO
  • 小畑ポンプすかんち

メンバーの変遷

バンド内ユニット・企画

※メンバー2名以上で構成されるユニット

  • 「民生くんとアベくん」 - 奥田・阿部(解散まで、 フジテレビ系『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演)
  • 「しのコーン」 - 手島・EBI、篠原ともえ(1997年に結成され、ツアーをまわった)
  • 「電大」 - 川西・手島・EBI(2012年に結成された広島電機大学出身の3人によるバンド)
  • 「阿部民バンド」 - 奥田・阿部、八熊慎一(SPARKS GO GO)、YO-KING桜井秀俊真心ブラザーズ)、木内健(2013年「ワシモ半世紀」に出演したユニット)
  • 「なにわンダーたこ虹バンド」 - 川西・手島、上野一郎、TACOS NAOMI(たこやきレインボーのバックバンド)
  • ABEDON AND THE RINGSIDE」 - ABEDON・奥田、八熊慎一(SPARKS GO GO)、斎藤有太、木内健(2016年に結成されたユニット)
  • 「むねきんトリオ」 - 奥田・ABEDON、斎藤有太(氣志團 presents企画「ア・ベストテン」から派生したアイドルユニット)

略歴

結成から一時解散まで

  • 1986年3月、川西、手島が中心となって「ユニコーン」を結成。手島が、ライブハウスの演奏で目をつけていたEBI(堀内)を勧誘し、川西が旧知の向井を誘って加入。2度の勧誘を経て最後に奥田が加入。12月、CBSソニーオーディション決勝にて合格。12月、CBSソニーオーディション決勝にて合格[出典 3]
  • 1987年10月21日、1stアルバム『BOOM』でデビュー[9]
  • 1988年1月、向井が健康上の理由から脱退。以後のレコーディングとライヴには、笹路正徳、阿部義晴がサポートメンバーとして参加。5月、阿部が正式加入。
  • 1989年7月10日、初の日本武道館でのライヴを行う。
  • 1990年、4thアルバム『ケダモノの嵐』が第32回日本レコード大賞アルバム賞を受賞する。
  • 1991年8月23日、 EBIがアルバム『MUSEE』でソロデビュー。10月22日、ユニコーンでは最長のツアー「舞監なき戦い」開始(1992年3月19日まで)。
  • 1992年8月から10月にかけて、EBI、奥田、阿部、西川、手島の順で5人がそれぞれソロシングルをリリース。
  • 1993年1月21日、前年のツアー中からメンバーと自分の音楽性のずれに悩んだ結果の決断、として川西が脱退をファンクラブ号外にて発表。同年2月6日付で正式脱退。当時制作中だったアルバム『SPRINGMAN』のレコーディングには河合マイケルが、アルバムを受けたコンサートツアー「UNICORN TOUR 1993 “4946”」には古田たかしがサポートメンバーとして参加。
  • 1993年9月21日、ニッポン放送「オールナイトニッポン」にて解散を発表。同番組内にて奥田は解散理由を『SPRINGMAN』制作で達成感があり、同バンドで次にやることが思い浮かばない、スポーツ新聞に書かれているように「力出し切った」ためであると述べた。 なお後年、奥田は2008年に後述する再結成決定の席[注釈 3]で「あの時解散したのは(メンバー間で)いざこざになるのが嫌だったから」、阿部は2021年に「僕らは実験をやろうとしたけど、若くてお互いの作品に抵抗感を感じることもあった。それが表に出てしまうこともあったから解散という結果になった」[11]と、川西が脱退時に挙げた理由が、最終的に解散に繋がったとの見解を示している。

活動再開について

  • 2002年、結成15年を記念して刊行された書籍『GOLDIES but OLDIES 1987-1993』のインタビュー企画に5名がそれぞれ登場。再結成については手島は前向き、川西と阿部は後ろ向きなコメント[注釈 4]を残す。
  • 2005年10月、雑誌『@BOOING』に掲載されていた、吉田豪によるバンドブーム時代のミュージシャンへのインタビュー[注釈 5]に、阿部が登場してユニコーン時代を回想。再結成は「(してもいいと思うが)今やりたいことかといえばそうではない」「誰かが声を掛けないとやらないと思うよ。たぶん俺は声掛けないけどね」と、2002年に比べてやや軟化したコメントを残す。
  • 2006年9月、 阿部、誕生40周年記念ツアー「阿部義晴音楽祭〜仲間とノリノリ40祭〜」を開催し、ゲストとして奥田民生と、川西が在籍していたジェット機が登場。アンコールセッションでは奥田・川西・阿部らで「スターな男」などユニコーンの楽曲を披露。
  • 2007年7月15日、「Jメン」の通称で知られるユニコーン時代からのスタッフの結婚パーティーの余興で、仕事のため披露宴を欠席した川西を除いたメンバー4人が、主賓の「ユニコーンがいい」との希望で揃って数曲を演奏。川西に代わってドラムを担当したのは、披露宴に出席していた古田たかし。EBIは「久しぶりに集まって、とても楽しくできた」と述べている[注釈 6]。この時点で阿部は、イベントでの共演などから「今現在の自分たちでやるユニコーンで曲をつくるのはどうか?」[注釈 7]という興味を感じるなど心境が変化しており、再結成に動き始める。
    11月、阿部が川西に「今の5人で曲を作るのに興味がある」[12][注釈 8]と相談をもちかける。再結成という言葉は先に進むというイメージを持てず嫌い[注釈 9]として再結成に否定的なスタンスを崩していなかった川西も「話を聞いて、新しいバンドを始めるのと同じで面白そうだ」[12][注釈 10]と感じ承諾。二人に打診された奥田も承諾する。
  • 2008年1月、阿部の提案により、当時のスタッフを含めたメンバー5人による新年会を開き、正式に再結成について話し合いが行われ、「とりあえず曲を書いて集まろう」と全員が快諾した[注釈 11]。 4月までに22曲のデモテープが集まり、5月から一部の関係者以外には完全シークレットによる新曲のレコーディングを開始し、10月に完成。結局12月末[注釈 12]までマスコミにバレることはなかった。

活動再開後

  • 2009年元旦、公式サイトオープンと同時にメンバーによる新年の挨拶動画が公開された。1月5日、再始動とともに、シングルとアルバムのリリース及び全国ツアーの開催が発表された。
    2月、再始動後初のシングル「WAO!」、アルバム『シャンブル』発売。3月5日 山形より、全国ツアー「蘇える勤労」スタート。
  • 2011年10月25日・26日、19年振りにJUN SKY WALKER(S)との対バンをGolden Circleとして日本武道館にて開催。[13]
  • 2012年2月、川西、手島、EBIの3人により新バンド「電大」が結成され、ミニアルバムの制作と全国ツアーの開催が発表される。
  • 2014年、阿部がアーティスト名を「ABEDON(あべどん)」に改名。
  • 2015年7月、川西が脳梗塞(ラクナ梗塞)と診断され、2か月ほど静養が必要なことが判明。このためユニコーンは、夏に予定されていたすべてのフェスおよびイベント出演をキャンセルした。同年10月2・3日にパシフィコ横浜で開催されたライブイベント「ユニコーン EBI50祭 “海老乃大漁祭”」にて復帰。
  • 2017年10月にデビュー30周年を迎え、12月にABEDONによる全曲リマスタリングボックス「UC30 若返る勤労」をリリースし、同月より全国ツアー「UC30 若返る勤労」を開催。
  • 2018年、ファンクラブ「UCFC ビジーファイブ」を発足。ファンクラブツアーを開催。
  • 2019年は再始動10周年、現メンバーとなって初のアルバム『服部』リリースから30周年、川西の生誕60周年を迎えることから、これらの数字を足した“ユニコーン100周年”と銘打ち、「働き方改楽 −なぜ俺たちは楽しいんだろう−」のスローガンを掲げ、3月にアルバム『UC100V』を発売。4月から12月までに及ぶ全国ツアー「ユニコーン100周年ツアー“百が如く”」をスタート。ツアー中にアルバム『UC100W』を制作、10月に発売したため、ツアー後半はセットリストを変更して公演を行った。なお、このツアーは100周年にちなみ、1公演100分というルールを設けてライブが行われた。
  • 再始動後は定期的にアルバムリリースとライブツアーを敢行。ツアーのない年はバンドとしての新曲リリースやイベント出演等と並行して、メンバー個々の活動を行っている。

エピソード

結成の経緯

  • 川西と手島は「THE STRIPPER」というバンドで一緒に活動していたが[出典 4]、音楽性の違いにより2人そろって脱退した。その後、手島はプロのミュージシャンになることを志し、ライブハウスでアルバイトをしつつ多数のバンドを掛け持ちする。一方で川西は音楽を一度やめ、就職する。
  • バンドをやめサラリーマンとなった川西だったが、当時奥田の所属していたバンド「READY!」の解散ライヴのサポートドラマーを頼まれ参加。バンド熱が戻った川西は新たなバンドを結成すべく手島に声をかけたが「サラリーマンと組む気は無い」と言われたため脱サラし、勧誘に成功した。次に手島が目をつけていたベーシスト堀内(EBI)を勧誘。実は川西、手島の大学の後輩だった。
  • READY!を解散した奥田は、友人のベーシストである山中真一と新たなバンドを作ることを約束していた。そのため、川西からの最初のオファーを断ったのだが、山中が別のバンド(後のレプリカ)を始めたため、2度目のオファーでユニコーンへの加入を決意した[15]。この奥田加入日は1986年3月23日で[9]、これがユニコーンとしての結成日となる[出典 5]。このメンバーでの初ライブは1986年5月22日[9]。手島がアルバイトをしていたライブハウス・広島ウッディストリート(田中町→立町)[出典 6]や、並木パラスト、広島県民文化センターなどでライブを行う[9]

デビュー後

  • 1988年4月17日、名古屋公演中に奥田が腰を痛めてしまう(以後完治することなく、持病となっている)。翌日の大阪公演は、痛み止めを使って行われた。[17]
  • アルバム『服部』発売当時、全国の服部さんをライブに招待する企画があり、日本武道館の客席に「服部様ご一行」と垂れ幕がかかった一角を設け、服部姓のファンが集結した[18]
  • 阿部はライブツアー『嵐の獣』の公演中(1991年1月8日、宇都宮市文化会館)、カンフーのパフォーマンスに失敗し、脱臼。すぐさま病院に運ばれ、公演は途中で中止となる。同年2月28日、同会場で行われた振替公演では、中止になった後の曲目から演奏された[19]

「バンド御三家」

解散中の交流

  • 阿部がMCを務める音楽番組「VIDEO JAM」に各メンバーがゲスト出演している。
  • 1994年、阿部のアルバム「 」に川西が参加。
  • 1994年、奥田のシングル「愛のために」に川西がドラムで、アルバム『29』では「tamitron」として阿部が参加。
  • 1997年、手島・EBIと篠原ともえで「しのコーン」を結成。
  • 1999年、阿部のアルバム「RAIN」に奥田、川西が参加し、3人での「忍者ロック」が新規収録されている。
  • 2006年9月、 阿部、誕生40周年記念ツアー「阿部義晴音楽祭〜仲間とノリノリ40祭〜」に奥田と川西(「ジェット機」のメンバーとして)が参加。
  • 2007年7月15日、 ユニコーン時代からのスタッフ(通称:Jメン)の結婚パーティーの余興に奥田、阿部、EBI、手島が参加。
  • 2008年5月24日、Zepp NAGOYAで行われた星野楽器の創業100周年イベント『百年の鼓動』のアンコールで、奥田・川西・阿部が同じステージに立ち、ユニコーンの曲4曲と奥田民生の曲1曲、計5曲を演奏した。

再始動後

  • アルバム『シャンブル』レコーディング中、川西が再始動にあたりバンド名を変えようと提案したところ、即却下された。ちなみに、バンド名候補として「ペガサス」「シリウス」「UNICoooooRN (GReeeeNのもじり)」などがあったという[22]
  • Yahoo!インタビュー ではメンバーはユニコーンを存続させる旨の発言をしている。テレビ朝日ドスペ2・復活記念特番 蘇えるユニコーン」(2月15日放送)では「もはや解散なんてことはないと思う。やったりやらなかったりしていいわけだから」(奥田)との発言があり、また、フジテレビ僕らの音楽」2009年2月20日放送分では「誰かが『やってくれ』といったらやる」(奥田)とも発言している。
  • 新たに完成したMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に1年間限定で「ユニコーーーーーーン」とかかれた40メートルの巨大看板を設置、それにちなんで4月26日の広島対阪神戦にてユニコーンのメンバーが始球式をすることが決定[23]。始球式をEBIが担当したが、EBIの投げたボールが当時、腰痛であった阪神・赤星憲広の腰に直撃、EBI・奥田が謝罪するという事態となった。
  • 再始動後はライブ、メディア出演、アーティスト写真などにおいて基本的にメンバー全員が揃いの衣装に身を包んでいる。

影響

ディスコグラフィ

シングル

リリース日 タイトル 最高順位 タイアップ・備考
1 1989年4月29日 大迷惑 12位 -
2 1989年9月1日 デーゲーム 11位 坂上二郎とユニコーン」名義
3 1990年7月21日 働く男 3位 フジテレビ系『夢で逢えたら』主題歌
4 1990年10月21日 命果てるまで 10位 -
5 1991年1月21日 スターな男 6位 フジテレビ系『夢で逢えたら』主題歌
RCCテレビ街頭TV 出没!ひな壇団』オープニング曲(2015年 - 2021年)
6 1991年6月21日 ブルース 4位 -
7 1991年10月25日 ヒゲとボイン 23位 -
8 1992年12月2日 雪が降る町 4位 -
9 1993年4月21日
2006年3月24日(再発)
すばらしい日々 6位
181位(再発)
映画『ヒナゴン』主題歌(2005年)
SONY DHハンディカム『HC3』CMソング(2006年)
WOWOWミッドナイト☆ドラマ藤子・F・不二雄のパラレル・スペース』主題歌(2008年)
キリンビバレッジ「おいしい免疫ケア」CMソング(2024年)
企画 1996年11月1日 雪が降る町 "more bell mix" 38位 -
10 2009年2月4日 WAO! 3位 日本コカ・コーラアクエリアス」CMソング
11 2009年10月7日 半世紀少年 3位 川西幸一50歳記念ライブ「チョットオンチー栄光の50年」テーマソング
スッキリ!!』10月度エンディングテーマ
12 2010年6月9日 裸の太陽 7位 日本コカ・コーラ「アクエリアス」CMソング
13 2011年4月27日 デジタルスープ/ぶたぶた 7位 「デジタルスープ」:三井のリハウスCMソング
「ぶたぶた」:映画「これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫」主題歌
14 2012年6月22日 Feel So Moon 5位 日本テレビ系「宇宙兄弟」オープニングテーマ
【完全生産限定盤】
15 2016年6月8日 エコー 20位 TBS系ドラマ「重版出来!」主題歌
【完全生産限定カセットテープ】
16 2018年6月27日 OH! MY RADIO+Live Tracks [UC30 若返る勤労] 11位 J-WAVE(81.3FM)30th ANNIVERSARY SONG
17 2019年8月28日 でんでん+Live Tracks[100周年ツアー"百が如く"] 25位 映画「引っ越し大名!」主題歌

配信曲

リリース日 タイトル 収録曲 タイアップ・備考
2013年12月18日 手島いさむ50祭 ワシモ半世紀 ゴジュから男 手島いさむ50祭テーマソング。会場入場者のみCD配布。後に一般配信された。
新・甘えん坊将軍
〜21st Century Schizoid Man
2016年4月1日 奥田民生50祭 もみじまんごじゅう 私はオジさんになった 奥田民生50祭テーマソング。会場入場者のみダウンロードID配布。後に一般配信された。
ロック!クロック!オクロック!
2016年4月15日 EBI50祭 海老乃大漁祭 TAIRYO EBI50祭テーマソング。会場入場者のみダウンロードID配布。後に一般配信された。
VERTIGO
2016年12月7日 かきまZ! かきまZ! 関ジャム 完全燃SHOW出演時に55分で作られた楽曲。
ギンギラギンのスニーカー
2017年3月1日 ABEDON50祭 “サクランボー/祝いのアベドン” RAMBO N°5 ABEDON50祭テーマソング。会場入場者のみCD配布。後に一般配信された。
シングルとして発売された「半世紀少年」と、上記4名の「50祭」テーマ曲はまとめてCD化され、2017年3月8日に『半世紀 No.5』が発売。
50/50
2020年12月11日 TIME-TO-MORE TIME-TO-MORE 佐賀県上峰町源為朝プロジェクト」テーマソング。
2023年10月11日 ええ愛のメモリ ネイビーオレンジ (AI VOCAL) 配信限定EP。メンバー5人が過去の自作曲を模して作った新曲5曲を、彼らの歌声を学習したAIが歌唱したバージョン[64]
米米夢 (AI VOCAL)
オラ後半戦いくだ (AI VOCAL)
モッカ幸せ (AI VOCAL)
OAW! (AI VOCAL)
2024年7月3日 マチュリー マチュリー UNICORN MACHURI 『LIVE 1173』テーマソング。チケット購入者のみCD配布。

オリジナル・アルバム

リリース日 タイトル 最高順位
1 1987年10月21日 BOOM 77位
2 1988年7月21日 PANIC ATTACK 18位
3 1989年6月1日 服部 2位
4 1990年10月1日 ケダモノの嵐 1位
5(MINI) 1990年11月1日 おどる亀ヤプシ 2位
6(MINI) 1990年12月1日 ハヴァナイスデー 2位
7 1991年9月30日 ヒゲとボイン 2位
8 1993年5月21日 SPRINGMAN 1位
9 2009年2月18日 シャンブル 1位
10 2011年5月25日 Z 2位
11(MINI) 2011年8月31日 Z II 3位
12 2014年3月26日 イーガジャケジョロ 3位
13 2016年8月10日 ゅ 13-14 1位
14 2019年3月27日 UC100V 5位
15 2019年10月2日 UC100W 8位
16 2021年8月18日 ツイス島&シャウ島 6位
17 2023年11月15日 クロスロード 9位

再発盤

リリース日 タイトル等
1995年12月13日 「BOOM」〜「SPRINGMAN」廉価盤再発
「おどる亀ヤプシ+ハヴァナイスデー」
「ユニコーンのゴールデン・ハーフ・スペシャル」発売
2007年12月19日 「BOOM」〜「SPRINGMAN」 紙ジャケット仕様再発(完全生産限定盤・リマスタリング無)

ベスト・アルバム

リリース日 タイトル 備考
1993年11月21日 THE VERY BEST OF UNICORN 解散後にリリースされた初のベスト・アルバム。
1994年4月21日 THE VERY RUST OF UNICORN 初のライブ盤とベスト盤の2枚組。
1995年12月13日 ユニコーンのゴールデン・ハーフ・スペシャル 再発シリーズ企画のベスト盤。収録曲とそのカラオケバージョンが収録されている
1999年1月30日 STAR BOX SME RecordsSTAR BOXシリーズの一環
2001年12月5日 STAR BOX EXTRA ソニー・ミュージックハウスSTAR BOX EXTRAシリーズの一環
2002年12月18日 ULTRA SUPER GOLDEN WONDERFUL SPECIAL
ABSOLUTE COMPLETE PERFECT
SUPREME TERRIFIC ULTIMATE...
15周年企画盤として完全生産限定。
「ベスト盤」2枚 +「ソロ・UNICORN」+ DVDの4枚組。
2009年3月18日 I LOVE UNICORN 〜FAN BEST〜 再結成後に発売されたファン投票によるベスト盤。
2012年12月19日 Quarter Century Single Best 「Quarter Century Box」収録のシングルリマスターコレクションの単品版。Blu-spec CD2

ライブ・アルバム

リリース日 タイトル 備考
2009年12月23日 勤労ロードショー 〜LIVE IN JAPAN〜 "蘇える勤労"ツアーのライヴ盤
2012年12月19日 Quarter Century Live Best 「Quarter Century Box」収録のオールタイム・ライブベストの単品版。Blu-spec CD2
2017年6月28日 D3P.LIVE CD "第三パラダイス"ツアーのライブ盤

その他のアルバム

リリース日 タイトル 備考
1992年2月21日 OLDIES BUT GOLDIES メンバー選曲による洋邦オムニバスアルバム。
1993年1月21日 UNICORN EBI奥田阿部西川手島」名義でのソロ楽曲集。箱型ケースによる8cmCD
1995年12月13日 おどる亀ヤプシ+ハヴァナイスデー 再発シリーズ企画盤で2枚のミニ・アルバムを1枚にしたもの
2007年10月24日 ユニコーン・トリビュート 初のトリビュート・アルバム。奥田民生監修。
2009年7月22日 URMX 初の公式リミックス盤。
2009年8月5日 南極料理人」サウンドトラック 阿部義晴/ユニコーン」名義で発表した映画『南極料理人』のサウンドトラック。
「サラウンド」(『シャンブル』収録)が主題歌に起用され、劇中の使用曲は阿部が作曲。劇伴曲と主題歌を収録した全10曲入りのサウンドトラック。
2012年10月25日 Quarter Century Box デビュー25周年(実働10年)を記念したBOX。
完全生産限定盤、"4CD+DVD"、"4CD+Blu-ray"の2形態で発売。
2012年12月5日 UNICORN SME ERA
- remasterd BOX
解散までのオリジナル・アルバム8枚のリマスター盤+「URMX」+ DVDの10枚組。期間限定生産
2013年3月6日 ユニコーン・カバーズ トリビュート・アルバム第二弾。再結成し活動中となったため"カバー"としている。Blu-spec CD2
2015年3月18日 残念な夫。 サウンドトラック 主題歌・劇中歌を担当したドラマ『残念な夫。』のサウンドトラック。劇中で使用されたユニコーン楽曲を収録。
2017年3月8日 半世紀 No.5 メンバーの50歳を祝う記念ライブ「50祭」の各公演ごとのオリジナルテーマ曲を収録した企画盤。
2017年12月6日 UC30 若返る勤労 UNICORN デビュー30周年記念 コンプリート リマスタリング ボックス。ABEDONによる全曲リマスタリング。

映像作品

映像単体でのリリース

(ビデオクリップ集はタイトルに「1/2」が付く)

リリース日 タイトル 備考
VHS:1989年2月1日 / DVD:2000年12月6日 MOVIE 1988年大阪MUSEホールにて収録した、UNICORN 1st Live Video
VHS:1989年11月1日 / DVD:2003年3月19日 MOVIE2 〜 WORLD TOUR 1989 服部 UNICORN WORLD TOUR'89“服部”から1989/4/29の日比谷野音、7/10 日本武道館でのLIVEを収録。
VHS:1990年5月21日 / VHS廉価版:1997年8月21日 MOVIE2 1/2 初のビデオクリップ集。
VHS:1991年7月1日 / DVD:2003年3月19日 MOVIE3 嵐の獣 90~91「嵐のケダモノツアー」より横浜アリーナ公演を中心に収録。
VHS:1992年3月25日 / DVD:2003年3月19日 MOVIE4 舞監なき戦い 3Dメガネが波紋を呼んだ。
VHS:1993年10月21日 / DVD:2003年3月19日 MOVIE5 UNICORN TOUR 1993 “4946” 1993年に行ったラストツアー「UNICORN TOUR 1993“4946”」の中から、日本武道館、広島サンプラザホールでのライブの模様を収録。
VHS:1993年11月21日 / VHS廉価版:1997年8月21日 MOVIE5 1/2 ビデオクリップ集。
VHS:1994年4月21日 / DVD:2000年7月5日 MOVIE6 THE VERY RUST OF UNICORN VIDEO Vol.1 1986年3月22日の夜から、1991年1月8日に行なわれたライブの11曲目までを収録したユニコーンのドキュメンタリー。
VHS:1994年5月21日 / DVD:2000年7月5日 MOVIE7 THE VERY RUST OF UNICORN VIDEO Vol.2 1991年1月8日に行なわれたライブの11曲目から、1993年9月21日深夜までを収録したユニコーンのドキュメンタリー。
VHS:1997年2月21日 / DVD:2003年3月19日 MOVIE8 THE ANOTHER SIDE OF LIVE 「4649ツアー」の中から、1993年6月29日沖縄市民会館で披露した「アナマリア」や「MAY BE BLUE」のビデオクリップを収録。
DVD:2000年12月6日 / DVD廉価版:2003年12月17日 MOVIE9 1/2 「大迷惑」「働く男」ほか「MAYBE BLUE」などの秘蔵映像を併録したユニコーンのスペシャル企画クリップ集。
DVD:2006年3月24日 UNICORN THE BOX Wonderful Days MOVIE 10 UNICORN TOUR 1993 “4946”FINAL」含むDVD10枚組。
再始動後
DVD2枚組:2009年6月17日 / Blu-ray Disc:2009年7月22日 MOVIE12 UNICORN TOUR 2009 蘇える勤労 2009年4月1日に横浜アリーナで行われたライブの模様を収録。
DVD:2010年4月7日 勤労ロードショー 〜MADE IN JAPAN〜 DVD4枚組<「MOVIE 15」〜「MOVIE 18
DVD / Blu-ray Disc:2012年6月13日 MOVIE23 / ユニコーンツアー2011 ユニコーンがやって来る zzz... ユニコーン再始動後2枚目となるアルバム「Z」&「ZII」リリースツアーから、さいたまスーパーアリーナでのライブを映像化。
DVD / Blu-ray Disc:2013年12月4日 MOVIE26 手島いさむ50祭 ワシモ半世紀 日本武道館で行われた、手島いさむの50歳の誕生日を祝う「手島いさむ50祭 ワシモ半世紀」の模様と、ゲストも交えて披露された全22曲と、特典映像を収録。
DVD / Blu-ray Disc:2014年12月17日 MOVIE28 / ユニコーンツアー2014 イーガジャケジョロ 6月に行われた幕張メッセ公演を収録。
DVD / Blu-ray Disc:2015年9月30日 MOVIE29 奥田民生50祭“もみじまんごじゅう” 奥田民生50歳記念ライブの模様と、真心ブラザーズとのユニットやくるり・岸田繁らと結成した特別バンドの楽曲を含む全42曲を収録。
DVD / Blu-ray Disc:2016年2月24日 MOVIE30 / ユニコーン EBI50祭“海老乃大漁祭” EBIの50歳記念ライブの模様を収録。新旧の楽曲を披露した興奮のステージを収録。私立恵比寿中学をはじめ、豪華ゲストも多数出演。
DVD / Blu-ray Disc:2016年12月7日 MOVIE32 / ABEDON50祭“サクランボー/祝いのアベドン” ABEDONの50歳記念イベントの模様を収録。ABEDON50のテーマ曲をはじめ、メンバーそれぞれの50祭曲を熱演。盟友たちと共に披露したライブも収録。
DVD / Blu-ray Disc:2017年6月28日 D3P.UC 同年9月から12月まで開催した全国23ヶ所34公演におよぶ全国ツアーのロードムービー。全公演完全密着したドキュメンタリーとライブ映像を収録。
DVD / Blu-ray Disc:2020年4月22日 MOVIE 38 ユニコーン100周年ツアー"百が如く" 「日本武道館公演(100分)」と「大阪フェスティバルホール公演(100分)」、メンバー5人による100周年イヤーの軌跡を追った「100分のドキュメンタリー映像」をコンパイルした3枚組映像作品でのリリース。
Blu-ray Disc:2022年2月16日 MOVIE40 ユニコーンツアー2021“ドライブしようよ” ツアー最終公演・日本武道館でのライブの模様と、ドキュメント映像の2枚組。
Blu-ray Disc:2022年12月28日 M.V.P. XXXV デビュー35周年として、オールタイム・ミュージックビデオ集と、無観客ライブ「カモナマイハウス」、2022年ツアー「EBI&UNICORN “狙ったエモノは逃さねぇ”」の映像を収録した3枚組。
Blu-ray Disc:2024年7月24日 MOVIE42 ユニコーン2023-2024ツアー「クロスロード」 ツアー最終公演・山形・やまぎん県民ホールでのライブの模様と、ドキュメント映像の2枚組。
CD初回特典の映像ディスク

ミュージック・ビデオ

監督 曲名
板屋宏幸 「I'M A LOSER」「ペケペケ」「大迷惑」「デーゲーム」「働く男」「命果てるまで」「ブルース」「ニッポンへ行くの巻」「ヒゲとボイン」「雪が降る町」「すばらしい日々」「WAO!
大沢組 「AGONY」「SAMURAI 5」「Z LIFE」「さらばビッチ」「ウルトラヘブン スーパーマイルド」「手島いさむ物語」「頼みたいぜ」
大沢昌史 「HELLO from DVD「TOUR 2009 蘇える勤労」」「ひまわり」「デジタルスープ」「レディオ体操」「手島いさむ大百科」「素浪人ファーストアウト from DVD「TOUR 2009 蘇える勤労」」「半世紀少年」「裸の太陽
山岸聖太 「ぶたぶた」
関和亮 Feel So Moon
山城竹識(45ど)・森川耕平(45ど) KEEP ON ROCK'N ROLL
時崎豊(ハウフルス 「あなたが太陽」「俺のタクシー」「はいYES!」
谷山剛(EPOCH) 「すばやくなりたい」「風と太陽」
ABEDON 「OH MY RADIO」「ZERO」
不明 「Concrete Jungle〜Hystery Mystery」「Maybe Blue」「Pink Prisoner」

タイアップ一覧

使用年 曲名 タイアップ
1989年 Maybe Blue TBSドラマ23『ウッチャンナンチャンの純愛の街』主題歌
1990年 働く男 フジテレビ系『夢で逢えたら』オープニングテーマ
スターな男 フジテレビ系『夢で逢えたら』オープニングテーマ
1992年 雪が降る町 TBS系『突然バラエティー速報!!COUNT DOWN100』エンディングテーマ
1996年 雪が降る町 "more bell mix" NHK-FMミュージック・スクエア』1996年12月度エンディングテーマ
2005年 すばらしい日々 BS-iドラマ『恋する日曜日(セカンドシリーズ)』第3・4回「すばらしい日々」主題歌
ビデオプランニング配給映画『ヒナゴン』主題歌
2006年 SONY「デジタルハイビジョンハンディカム HC3」CMソング
2008年 WOWOWミッドナイト☆ドラマ藤子・F・不二雄のパラレル・スペース』主題歌
2009年 WAO! 日本コカ・コーラアクエリアス」CMソング
HELLO 東京メトロ「TOKYO HEART」CMソング[65]
サラウンド 東京テアトル配給映画『南極料理人』主題歌[66]
半世紀少年 日本テレビ系『スッキリ!!』10月度エンディングテーマ
2010年 裸の太陽 日本コカ・コーラ「アクエリアス」CMソング[67]
2011年 デジタルスープ 三井のリハウスCMソング
ぶたぶた 東映配給映画『これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫』主題歌
2012年 Feel So Moon 読売テレビ・日本テレビ系アニメ『宇宙兄弟』オープニングテーマ(第1話 - 第13話)
おかしな2人 フジテレビ系『ピカルの定理』コーナー「なでピこJAPAN 又穂希」使用BGM(2012年 - 2013年)
2013年 すばらしい日々 TBS系ドラマNEO放課後グルーヴ』第5話挿入歌
2014年 あなたが太陽 資生堂ANESSA」CMソング
早口カレー ワーナー・ブラザース映画配給アニメ映画『宇宙兄弟#0』主題歌
Feel So Moon
2015年 はいYES! フジテレビ系水10ドラマ残念な夫。』主題歌
スターな男 RCCテレビ街頭TV 出没!ひな壇団』オープニングテーマ(2015年 - 2021年)
2016年 エコー TBS系火曜ドラマ重版出来!』主題歌
マイホーム ファントム・フィルム配給映画『お父さんと伊藤さん』エンディングテーマ
2018年 OH! MY RADIO J-WAVE 30th ANNIVERSARY SONG
2019年 55 三菱電機「夢を追う人」篇 TV-CMソング
でんでん 松竹配給映画『引っ越し大名!』主題歌
2021年 TIME-TO-MORE 佐賀県上峰町ショートムービーアニメ『鎮西八郎為朝』主題歌
2024年 アルカセ 映画『あまろっく』主題歌[68]

ライブ・コンサートツアー

タイトルと日程
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
2009年
2011年
2013年
2014年
2015年
2016年
ツアー2016「第三パラダイス」
2017年 ユニコーンツアー2017「UC30 若返る勤労」
2018年 ファンクラブツアー「UCFC ビジーファイブ 2018」
2019年 ユニコーン100周年ツアー"百が如く"
2020年 ユニコーン×WOWOWオリジナルライブ「カモナマイハウス」
2021年 UNICORN TOUR 2021「ドライブしようよ」
2022年 "ドライブしようよ"スピンオフツアー「EBI & UNICORN "狙ったエモノは逃さねぇ"」
川西誕生祭 言うのんが 遅うなってしもーてすまんのー 笑うて許して遊びに来んさいやー わがまま言うてライブにしてもろうたけんねー
UNICORN記念特番~5人でノリノリ35祭~
2023年 手島いさむ還暦祭「ちょうはつすることてしがごとし」
ユニコーン2023-2024ツアー「クロスロード」

出演イベント

関連項目

  • SPARKS GO GO - CSA時代からの盟友。奥田と「THE BAND HAS NO NAME」、阿部と「ABEX GO GO」のユニットを組む等親交が深い。
  • レピッシュ - メンバー同士音楽番組で共演するなど交流がある一方、奥田[69]、阿部[70] はレピッシュに対してライバル視していた面もあった。後に阿部とMAGUMIとの会話が再始動のきっかけのひとつとなった[71]
  • JUN SKY WALKER(S) - 音楽誌で度々合同取材や企画があり、再始動後も「ジュンスカ×ユニコーン」の企画を行った。また、川西と宮田和弥が中心となってバンド「ジェット機」を結成した。
  • 井上陽水 - 陽水の長男がユニコーンの大ファンであり、長男が聴いていた「雪が降る町」を気に入ったことから、奥田と陽水の交流が始まった。バンド解散後、井上陽水奥田民生として2枚のアルバムを発表するに至る。

脚注

注釈

  1. ^ 再結成グループによるアルバムの首位獲得はかぐや姫の『かぐや姫・今日』以来、30年10か月ぶりで史上2組目となった。また、前回の首位から今回の首位獲得までの14年10か月というインターバル期間は、CHAGE and ASKAの8年6か月を上回り、19年半ぶりに記録を更新した。
  2. ^ 再結成後のレギュラーラジオJ-WAVE「OH! MY RADIO」2009年7月29日の放送にて「肝心な時に居ないからリーダー失格」と奥田民生が発言。メンバーも正式に決まったと同じく発言。これ以前の再結成最初のツアーでは、メンバー紹介を手島が担当して再結成前と同様に川西がリーダーのままで紹介していたので、それ以降に阿部にリーダー交代となった模様である。
  3. ^ シングル「WAO!」初回特典DVD内に、メンバーが酔いながらも議論している当日の映像が一部納められている。
  4. ^ 特に阿部は「ありえない」と明言した。
  5. ^ 阿部へのインタビュー含め、書籍『BAND LIFE』(2008年)にまとめられている。
  6. ^ シングル「WAO!」初回特典DVDのインタビュー内での発言。
  7. ^ 阿部は解散後のインタビューで「過去にとらわれるのは嫌だ」、シングル「WAO!」初回特典DVDのインタビュー内では「また活動するなら、世の中に新しいものを提示できるものでないと思っていた」と別の言い方で表現している。
  8. ^ シングル「WAO!」初回特典DVDのインタビュー。
  9. ^ シングル「WAO!」初回特典DVDのインタビュー。
  10. ^ 川西はそれまでもインタビューで「(万が一でも再結成するなら)"一夜限り"とか記念ごとでの再結成はしたくない」と述べていた。再結成が決まった2008年新年会でも、メンバーに向けて同様の発言をしている。
  11. ^ シングル「WAO!」初回特典DVDに収録されたメンバーインタビューで、手島は「(遅刻して新年会に行ったら)もうやることが決まってた。(もとから再結成に前向きだった)自分としては異論はなかったけど」と述べている。
  12. ^ 12月28日付の東京スポーツにより再結成がスクープ。3日後のCOUNTDOWN JAPAN08-09にて告知フライヤーが配布される。
  13. ^ ヒダカトオルは「僕らがまず目指したのはユニコーンみたいな感じ。」と発言している[35]

出典

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  4. ^ a b c d e “「大迷惑」が生まれるきっかけは一人のレコード会社社員の転勤だった!” ユニコーン初のシングルとして、発売当時メンバーの口から語られたこのエピソード。 発売から18年、ついにその社員が登場。ユニコーンのデビュー時に宣伝として参加したスタッフが当時を語る。 “民生のボーダーTシャツは、もともと僕の私物を着たのが始まりだった!” あの時期のユニコーンをポップでストリート感のある宣伝マンが語る。スタッフに衝撃が走ったいきなりの“川西・モヒカンで登場”事件。 バンドリーダーが取った行動の裏には何があったのか・・・。 当時、ポジティブな若手宣伝マンだった社員が19年前のあの事件を語る。今年10月に発売された週刊誌FLASHに、“メンバーが軌跡を全解説『ユニコーン』復活祭!!”という見出しで取材を受けたメンバー4人。 そのインタビューを行ったのは当時からユニコーンが好きだったFLASH編集者。彼に取材をして最も驚いた事を聞いてみたところ、『セルフセレクション』と『セフレ』くらい違ったそうである。 - 公式エピソード
  5. ^ a b c d 80年代のバンドブームを牽引したユニコーンとその楽曲の魅力とは?”. music.jp. エムティーアイ (2016年6月29日). 2025年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月31日閲覧。
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  7. ^ 再結成後のレギュラーラジオJ-WAVE「OH! MY RADIO」2009年7月29日の放送にて奥田民生が発言。
  8. ^ S.F.Wツアー中のみ。EBIの代わりに加入したという設定で改名しており、PATiPATiの取材やサインもこの名前を使用していた。なお「源造」はカメラ好きであった為に「現像」からきている(「どしたん。」ISBN 4789708454 より)。
  9. ^ a b c d e f g ユニコーンに、あなたの思い、届けました(^ら^)v │日刊わしら - HIROSHIMA DAILY WASHIRA”. 本名正憲. 2025年1月31日閲覧。
  10. ^ BUCK-TICK、THE BLUE HEARTSらが築いた礎 バンド活況の扉を開いた80年代後半のロックシーン
  11. ^ 定塚遼 (2021年9月2日). “ユニコーンはなぜ、あのとき解散したのか リーダーに聞いてみた(会員制記事)”. asahi.com(朝日新聞デジタル). https://www.asahi.com/articles/ASP8063JHP80UCVL008.html 2022年7月18日閲覧。 
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出典(リンク)

参考文献

外部リンク


ユニコーン

(UNICORN から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 01:26 UTC 版)

ユニコーン英語: Unicorn, ギリシア語: Μονόκερως, ラテン語: Ūnicornuus)は、一角獣(いっかくじゅう)とも呼ばれ、額の中央に一本のが生えたに似た伝説の生き物である。語源はラテン語の ūnus 「一つ」と cornū 「角」を合成した形容詞 ūnicornis (一角の)で、ギリシア語の「モノケロース」(モノセロス[1] から来ている。非常に獰猛であるが人間の力で殺すことが可能な生物で、処女の懐に抱かれておとなしくなるという。角には蛇などの毒で汚された水を清める力があるという。海の生物であるイッカクの角はユニコーンの角として乱獲されたとも言われる。

ドメニコ・ザンピエーリ(1581 – 1641) 「処女と一角獣」 フレスコ画、1604 – 1605年、ファルネーゼ宮ローマ

形態

コンラート・ゲスナー(1516 – 1565) 『動物誌 第1巻 胎生の四足動物について』より、彩色木版画、1551年、チューリッヒ

ユニコーンは、そのほとんどが、ライオン牡ヤギ顎鬚、二つに割れた[2] を持ち、額の中央に螺旋状の筋の入った一本の長く鋭く尖ったまっすぐなをそびえ立たせた、紺色の目をした白いウマの姿で描かれた。また、ヤギヒツジシカに似た姿で描かれることもあった。角も、必ずしもまっすぐではなく、なだらかな曲線を描くこともあれば、弓なりになって後ろの方へ伸びていることもあり、の上に生えていることもあった。ユニコーンは、山のように大きいこともあれば、貴婦人の膝に乗るほど小さいこともあった。時には様々な動物の体肢を混合させてできた生き物であった。ユニコーンと水には医薬的、宗教的な関係があるため、魚の尾をつけて描かれることもあった。アジアでは時おり翼を生やしていることすらあった。体の毛色も白色、ツゲのような黄褐色、シカのような茶色と変わっていったが、最終的には、再び輝くばかりの白色となった。

中世ヨーロッパの『動物寓意譚』(ベスティアリ, Bestiary, 12世紀)の中で、モノセロスとユニコーンはしばしば同じものとして扱われるが、中にはそれぞれを別のものとして扱うものもある。その場合、モノセロスはたいがいユニコーンより大きく描かれ、角も大きく非常に長い。またモノセロスの挿絵には処女が一緒に描かれていない。

フランスの小説家のフローベール(1821 – 1880年)が『聖アントワーヌの誘惑』(La Tentation de saint Antoine, 1874年)第7章の中で一本の角を持つ美しい白馬としてユニコーンを登場させ、現在ではその姿が一般的なイメージとなっている。

生態

アルベルトゥス・マグヌス著、ヴァルテルム・リュフ訳 『動物について』(ドイツ語版)より、木版画、1545年、フランクフルト・アム・マイン
モレット・ダ・ブレシア 「一角獣を連れた聖ユスティナと寄贈者」 油彩画、1530 – 1534年頃、美術史博物館ウィーン

ユニコーンは極めて獰猛で、力強く、勇敢で、相手がゾウであろうと恐れずに向かっていくという。足が速く、その速さはウマシカにも勝る。角は長く鋭く尖っていて強靭であり、どんなものでも突き通すことができたという。例えば、セビリア教会博士聖イシドールス([560? – 636年)が著した『語源集』(Etymologiae, 622 – 623年)第12巻第2章第12 – 13節には、ユニコーンの強大な角の一突きはゾウを殺すことができるとある。このユニコーンとゾウが戦っている挿絵が『クイーン・メアリー詩篇集』(The Queen Mary Psalter, 1310 – 1320年頃、大英図書館蔵)に載っている[3]。また、ドイツのスコラ哲学者、自然科学者のアルベルトゥス・マグヌス(1193? – 1280年)は『動物について』(De animalibus, 年代不詳)第22巻第2部第1章第106節で、ユニコーンは角を岩で研いで鋭く尖らせて、戦闘に備えているという[4]大ポンペイウス(前106 – 48年)はユニコーンをローマに連れて来て見世物にさせたという[5]

ユニコーンの角には水を浄化し、毒を中和するという不思議な特性があるという。さらに痙攣やてんかんなどのあらゆる病気を治す力を持っているという。この角を求めて人々は危険を覚悟で、ユニコーンを捕らえようとした。グリム童話の『勇ましいちびの仕立て屋』(KHM 20)には、仕立屋が国を荒らすユニコーンを捕まえる場面が出てくる。仕立屋は、ユニコーンを激怒させると素早く樹の後ろに隠れた。そこへ怒り狂うユニコーンが仕立屋をめがけて突進して来るが、その武器である貴重な角をうっかり樹に突き刺してしまう。こうしてユニコーンは、縄で縛られ、王の所に連れて行かれた。エドマンド・スペンサー(1552? – 1599年)の『妖精の女王』(第1章5歌10連)に出て来るライオンも、この方法を使ってユニコーンを出し抜いている。

ユニコーンを捕らえるもう一つの方法は処女の娘を連れて来てユニコーンを誘惑させて捕まえるというものである。不思議なことにユニコーンは乙女に思いを寄せているという。美しく装った生粋の処女をユニコーンの棲む森や巣穴に連れて行き、一人にさせる。すると処女の香りを嗅ぎつけたユニコーンが処女に魅せられ、自分の獰猛さを忘れて、近づいて来る。そして、その処女の膝の上に頭を置き眠り込んでしまう。このように麻痺したユニコーンは近くに隠れていた狩人達によって身を守る術もなく捕まるのである。しかし、もし自分と関わった処女が偽物であることがわかった場合は、激しく怒り狂い、自分を騙した女性を殺してしまうという。

処女を好むことから、ユニコーンは貞潔を表わすものとされ、さらにはイエス・キリスト聖処女マリアの胎内に宿ったことや、角を一本だけ有するユニコーンと「神のひとり子」 (unigentitus) とのアナロジーから、キリストにも譬えられた[6]。しかし一方で、「悪魔」などの象徴ともされ、七つの大罪の一つである「憤怒」の象徴にもなった。レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452 – 1519年)は『動物寓意譚』の中で「ユニコーンはその不節制さのために自制することを知らず、美しき処女への愛のために自分の獰猛さと狂暴さを忘れて乙女の膝の上に頭を乗せ、そうして狩人に捕らえられる」と言っている。ここではユニコーンは「不節制」(intemperanza)を象徴するものとされた[7]フランス文学者啓蒙思想家ヴォルテール(1694 – 1778年)は『バビロンの王女』(La Princesse de Babylone, 1768年)第3章の中で、ユニコーンを「この世で最も美しい、最も誇り高い、最も恐ろしい、最も優しい動物」(C'est le plus bel animal, le plus fier, le plus terrible et le plus doux qui orne la terre)として描いている。

ユニコーンの角

ユニコーンの角。実際はイッカクの牙である。16世紀前葉、ウィーン

ユニコーンの角(アリコーン, alicorn[8])には解毒作用があると考えられ、教皇パウルス3世(1468 – 1549年)は大枚をはたいてそれを求めたという。また、フランス宮廷では食物の毒の検証に用いられたと伝えられる。言い伝えによれば、ユニコーンの角は毒に触れると無毒化する効果があるとされたが、後に毒物の成分が含まれた食物に触れると、汗をかくとか色が変化するなどの諸説も生まれたようである。ドイツ中世の詩人ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルチヴァール』には、聖杯王アンフォルタスに仕える家臣は、毒を塗った槍を受けて局所に傷を負った王の苦痛をいやすために様々な処置を施したが、一角獣については、その「角の下の部分で、ちょうど前頭骨の上部にあたる場所に生じるざくろ石を取り出した。そして石で王の傷を外から軽くこすって、傷口に押し入れた」(482,28-483,3)と記されている[9]

しかしこれらは北海に生息するイッカク(ウニコール)の角(実際にはである)であった。これにより後々まで、ウニコールの名称で貴重な解毒薬や解熱剤・疱瘡の特効薬として珍重され、イッカククジラの角は多数売買された。しかし一部には、これらウニコールと偽って、セイウチの牙を売る事例も後を絶たなかったようだ。またその一部はオランダ経由で、江戸時代日本にも輸入されていた。

当時の医学書には、真面目にウニコールの薬効に関しての記述があった程である。特に疱瘡の治療薬という部分に関しては、ペストの流行により、非常に高価であったにもかかわらず、飛ぶように売れたという記録も残っている。

これは元々、中国で毒の検知にサイの角を用いたのが伝播の過程で、一部の夢想家によって作り変えられたもののようだが、実際問題として、当時用いられた毒物でも、酸性やアルカリ性の毒物の場合は、動物性タンパク質の変化により、黄変するなりして、毒の検知に役立ったと思われる。またウニコールは動物性由来カルシウム器質なので、同様に上記の毒物には黄変する・脆くなるのでその代用とされた。同様の理由によりのスプーンもイオン交換により変色するので中世以降は貴族のカトラリーには毒を感知するための銀器が多く使われるようになった。また中国ではサイの角の粉末を解熱剤・精力増強剤として扱っているが、興味深いことに、ウニコールが西欧から持ち込まれた際に、龍の角とも蛇の角とも言われ、解毒や毒の検知に非常に珍重されたとのことである。

古典文学

ヨーロッパにユニコーンを最初に伝えたのは、ギリシアクニドス島生まれの医師歴史家クテシアス(前4世紀後半)である。彼がペルシアアルタクセルクセス・ムネモン(在位 前404 – 358)の医師を8年間、務めていたときの見聞をもとに書いた『インド誌』(Τα Ἰνδικά, 前390年頃)第45節には、次のように記されている。

インドには、ウマぐらいの大きさか、もしくはそれ以上の大きさの野生のロバがいる。その体は白く、頭は暗赤色で、目は紺色、そして、額に縦 1 キュビット(約 44.46 センチメートル)ほどの長さの一本のを持つ。角の根元、額から約 2 パーム(約 14.25 センチメートル)の所は純白で、真ん中は黒く、尖った先端は燃えるような深紅色である。角で作った杯を飲用に用いれば、痙攣を起こすことも、てんかんにかかることもなくなり、毒物に対しても免疫効果があり、服毒前もしくは服毒後にこの杯を使って、酒なり、水なり、何がしかの飲み物を飲んでおけばよい。家畜化されたロバ、他国の野生のロバ、その他の単蹄の動物すべてには、アストラガロス[10] も、胆嚢もないが、インドのロバは両方とも持っている。そのアストラガロスは、私が見てきたものの中で、最も美しく、大きさや形はウシのそれに似ている。鉛のように重く、隅々に至るまで肉桂色である。この動物は、非常に力強く、足が速く、ウマを含め、いかなる動物にも追いつかれることはない。初めのうちは、ゆっくりだが、長く走ればそれだけ歩様は驚くほど増し、どんどん速くなる。これを捕まえる唯一の方法は次の通りである。仔を連れて餌場に現れた時を狙い、大勢の騎馬で取り囲めば、仔を見捨てて逃げることはせず、角を突き出して戦い、蹴り上げ、噛みつき、殺し、狩人にもウマにもすさまじい攻撃を仕掛ける。だが結局は矢や投げ槍が当たって死ぬ。生け捕りにすることはできない。その肉はひどく苦く、食すこともままならないので、角とアストラガロスのためだけに狩られる。--クテシアス 『インド誌』第45節

ユニコーンについての最初の記述は、現在のものとほぼ同じである。一本の角、解毒効果、俊敏さと獰猛さ、そして、周到な策を巡らして出し抜かなければ真っ向から向かって行っても捕獲できないということなど、既にこの時代からユニコーンの基本的な特徴についてほとんど記されていることがわかる。しかしクテシアスは実際にはインドに行ったことがなかった。

アリストテレス(前384 – 322)は、クテシアスからの報告を引用して『動物部分論』(Περι ζώων μορίων, 前350年頃)第3巻第2章の中で、次のように述べている。

角のある動物の大部分は先の割れたを持つが、インドロバと呼ばれる動物は単蹄であるにもかかわらず、角があると伝えられている。これらの動物の大部分は、左右二本の角を持つが、中には、たった一本しか角を持たないものもいる。例えば、オリックスといわゆるインドロバで、前者は、先の割れた蹄を持つが、後者は単蹄である。このような動物は頭の真ん中に角が生えている。--アリストテレス 『動物部分論』第3巻第2章

オリックス(ゲムズボック)(Oryx gazella)

さらに、この後、アリストテレスはユニコーンについての理論まで唱えている。すなわち、インドロバのような単蹄目が一角であることは、双蹄目の動物の場合よりも自然なことであり、それは蹄や爪が角と同じ物質でできているからであり、その原料を蹄に与える場合、その分を角から取ってくることになるからだと言っている。逆に、ウシシカヤギなどの角のある動物の大部分は、原料が角に使われるので、双蹄になると言う。しかし、アリストテレスは例外として双蹄だが、一角であるオリックスを挙げている。実際、オリックスは双角であるが、左右の角の付け根が近いので、真横から見ると一本に見えるのである。

同じようなことが『動物誌』(Περί ζώων ιστορίας, 前343年頃)第2巻第1章にもあり、単蹄で双角の動物は一つも見られないが、単角で単蹄のものは、インドロバのように少しはあるとし、単角で双蹄のものはオリックスとしている。また、アストラガロスについても述べられており、ここでも、クテシアスの報告が引用されている。

クテシアスの報告から約100年後、もう一人のギリシア人が、今度は実際にインドに旅をした。シリアセレウコス1世(前358? – 281 / 280)の特派使節メガステネス(前350頃 – 280頃)である。大使としてチャンドラグプタの首都パータリプトラに駐在し、帰国後『インド誌』(Τα Ἰνδικά, 前290年頃)を著す。その中に、インドのユニコーンについての記述があり、彼はこのユニコーンを現地の言葉に従い、「カルタゾーノス」と名付けた。ただし、この獣はクテシアスの一角ロバとは異なった姿をしている。

インドのある地域(私が話すのは最も内陸の地域である)には、人を近寄せない野獣で一杯の山地があり、そこには、イヌヤギウシヒツジといった私達の知っている動物も生息しているが、人に飼い馴らされることなくその辺りを自由に野生のままで歩き回っている。その数は非常に豊富であると、インドの作家も学者も述べ、その事はバラモンも認めているので明らかである。彼によるとここには、現地の人々にカルタゾーノス(καρτάζωνος)と呼ばれる一本の角のある動物がいると言う。十分に成長したウマほどの大きさで、たてがみを持ち、羊毛のような柔らかい毛で黄みがかった赤い色をしている。素晴らしい形状の肢をしており、とても足が速い。その肢は関節がなく、ゾウのようで、尾はブタのように渦巻き状である。角は眉毛の間に生え、滑らかではないが、螺旋状の筋が入っており、色は黒い。その角は非常に鋭く尖っており、強靭であると言われる。私が聞いた話では、この動物はとてつもなく大きく、耳障りな声を出すと言う。他の動物にはやさしく、近づくことを許すが、同種族の動物には好戦的な態度を見せると言う。雄は生まれつき好戦的で、互いに角で激しく突いて戦うだけではなく、雌に対しても敵意のようなものを示すと伝えられており、そこで激しい戦いが、しばしば弱者が死に至るまで繰り広げられる。確かに、体中に強大な力を持ち、その角の力に耐えられるものはいない。閑静な草地で草を食い、単独行動を好む。ただ繁殖期になるとこの獣は雌との付き合いを求め、雌に対してもやさしくなり、それどころか、雌とともに草を食むことすらある。繁殖期が終わり、雌が身ごもると、インドのカルタゾーノスは再び獰猛になり、単独行動をする。幼獣はまだ幼い時にプラシアの王の所へ連れて行かれ、祝典や頌詞の日の見世物で互いを戦わせ力強さを見せると言われる。成獣が今までに捕獲されたことは一度もない。--メガステネス 『インド誌』第15章

メガステネスの報告の中で、角に螺旋状の筋が入っていることが初めて述べられ、のちにユニコーンの古典的イメージの中に入り込んでいく。ユニコーンの鳴き声についても、その後のいくつもの報告の中で受け継がれ、反響を呼ぶことになる。獰猛なユニコーンも、雌がいるとおとなしくなることについて最初に示したのも、メガステネスである。これらの報告は実見に基づいたものではないが、他の人間、とくにバラモンの学者を引き合いに出すことで、正当化している。しかしこの報告の中のゾウの肢とか、ブタの尾などと言った表現は、サイを思わせるものであるが、サイについては別の章で報告されており、そこには、ゾウとの戦いの様子が記されている。ここに記されているサイがその敵の腹を引き裂くという残酷な戦いの記述はのちにユニコーンの性質に転化されることになる。

古代ローマ帝国最大の政治家にして軍人のカエサル(前102 / 100 – 44)は『ガリア戦記』(Commentarii de Bello Gallico, 前52 – 51年)第6巻第26節の中で、ゲルマーニア(Germania, ほぼ現在のドイツ)のヘルキューニアの森(Hercynia Silva, ゲルマーニアにある大森林で現在のドイツ中南部の山岳地帯の総称)に生息するユニコーンについて述べている。

シカの姿をしたウシがいて、その両耳の間の額の中央から一本の角が、我々に知られているものよりも長く、真っ直ぐに突き出ている。その先端は手や枝のように大きく広がっている。雌も雄も特徴は全く同じで、角の形も大きさも同じである。--カエサルガリア戦記』第6巻第26節

しかし、ここに出て来るユニコーンは明らかにヘラジカトナカイを思わせるが、ヘラジカ(Alces)についてはその後の第27節に記されている[11]

地理学者ストラボン(前64? – 後21?)は『地理誌』(Γεωγραφικά, 年代不詳)第15巻第1章第56節の中で、カフカース(コーカサス)に牡鹿のような頭を持つ一本の角]あるウマがいることを言っている。

古代ローマ博物学者、政治家のプリニウス(22 / 23? – 79)はユニコーンについて、『博物誌』(Naturalis historia, 77年)第8巻第31(21)章第76節の中で、角の解毒効果などの不可思議な現象を述べることなく、慎重に、簡潔にまとめている。

インドには、単蹄で、一本の角を持つウシもいる。それから、アクシス(Cervus axis)という名の野獣は、子鹿のような毛に、多くの白い斑がある。この動物はリーベル神(古いイタリアの神、バックス神と同一視される)にとって神聖なものと見なされ、宗教儀式の際に捧げられる。オルサエアのインド人はサルの一種を追い詰めている。それは全身、白い体である。しかし、最も獰猛な動物はモノケロース(monoceros, 一角獣)と呼ばれる野獣で、牡鹿の頭、ゾウの肢、イノシシの尾を持つが、体のその他の部分はウマの体に似ている。太いうなり声をあげ、2 キュビット(約 88.92 センチメートル)の長さの一本の黒い角が額の真ん中から突き出している。この動物を生け捕りにすることは、不可能だと言われる。--プリニウス博物誌』第8巻第31(21)章第76節

ここに出て来る角の長さは、クテシアスの言う一角ロバの二倍である。インドロバについては、第11巻第106(46)章第255節に「角のある動物はみなほとんど蹄が割れており、単蹄で双角の動物はいない。インドロバは一本の角のある唯一の動物で、オリックスは単角であり、双蹄でもある。インドロバは距骨を持つ唯一の単蹄の動物である。」とあり、同じようなことが第11巻第45(37)章第128節にも見られる。いずれもアリストテレスからの引用である。

その後、ユニコーンについてのギリシア人達の報告を後期ローマを通じて中世初期のキリスト教作家達へと伝えたのは古代ローマの著述家プラエネステアエリアヌス(ギリシア語名 アイリアノス、170頃 – 235)である。彼の著作『動物の特性について』(Περὶ Ζῴων Ἰδιότητος, 220年頃)第3巻第41章と第4巻第52章には、クテシアスを引用しつつも、新たに二、三の細かな点が追加され、より詳しく説明されている。例えば、第3巻第41章では「インドに生息する一本の角のあるウマとロバについて言う。これらの角からインド人達は杯を作り、誰かが致命的な毒を入れ、それをある人が飲んだとしても、その人に害はない。というのはウマの角もロバの角も毒を解毒する力があるからだそうだ。」と言い、クテシアスを引用しながら、新たに一本の角のあるウマを付け加えている。第4巻第52章にも一角のロバとウマが紹介され、アエリアヌスはロバだけを詳しく述べている。内容的にはほとんどクテシアスの報告と同じだが、角の長さはさらに伸びて、1.5 キュビット(約 66.69 センチメートル)の長さとなっている(こういった角の延長は、もっと後代の作家達も時おり行う)。距骨は肉桂色ではなく、隅々まで真っ黒なものとされている。また、ユニコーンの角から作られた杯を使うのは最も身分の高いインド人だけであるということも書かれ、「彼らは金の輪を間隔を置いてその角のまわりにはめ込んだ。それは美しい彫像の腕を帯で飾るようだ」と言っている。この慣習は長い間受け継がれ、ヨーロッパルネサンス期には金銀による装飾を施したユニコーンの角の器が作られた。アエリアヌスの報告で昔から変わらないことは、ユニコーンの足が速いということで、彼は「それを追いかけることは、詩的に言えば、到達不可能なものを追いかけるということである」と言っている。さらに第16巻第20章では、メガステネスの内容を引用してカルタゾーノスについて述べている。

ローマ時代末期に、ギリシアの哲学者、テュアナのアポロニオス(40頃 – 20頃)がユニコーンを目撃していた。そのことが、ギリシアの著作家フィロストラトス(170頃 – 247)の『テュアナのアポロニオスの生涯』(Τα εις τον Τυανέα Απολλώνιον, 1 – 2世紀)第3巻第2章に報告されている。それによると、インドを訪れたアポロニオスはヒュファーシスの沼沢池で一本の角を持つ野生のロバを見たと言う。角の解毒効果についても彼は聞いており、彼の弟子がユニコーンの角についてどう考えるべきかと尋ねた時、彼は「インドの王達がここでは不死であると聞けば、私はそれを信じるだろう。というのも、私やあるいは他の者にこのように健康的で治療力のある飲み物を提供できる者が、毎日自分のためにこれを注ぎ、酔いに至るまでこの角の酒杯から飲まないはずがないからだ」と答えている。

3世紀に古代ローマの著述家、文法家のガイウス・ユリウス・ソリヌス英語版(3世紀)は大プリニウスの『博物誌』から地誌上の珍奇な事物や事柄を抜粋して集め、記述した著作『奇異なる事物の集成』(Collectanea rerum memorabilium, 250年頃)を発表した。この書[6世紀頃に改訂、増補され、『博物誌』(Polyhistor)として上梓されている。ここにも、ユニコーンについての記述が第52章第39 – 40節にある。

しかし、最も恐ろしいのは、モノセロス(monoceros, 一角獣)で、これは恐ろしいうなり声を上げ、ウマの体、ゾウの肢、ブタの尾、シカの頭を持つ怪物である。その額の中央から、素晴らしい輝きのある一本の角が突き出し、その長さはほぼ 4 ペース(約 118.36 センチメートル)で、それは非常に鋭く、何であろうと一撃で、容易に刺し通す。生きているものを人の力で手に入れることはなく、少なくとも殺すことはできても、捕まえることはできない。--ソリヌス 『奇異なる事物の集成』第52章第39 – 40節

大プリニウスと比較してみるといくらかの言葉遣いの違いが見られることがわかる。まず、プリニウスはモノセロスのことを fera (野獣)と言っているが、ソリヌスは monstrum (怪物)と言っている。こういった誇張した表現はその後も繰り返し使われる。ユニコーンの鳴き声もプリニウスは mugitu gravi (太いうなり声)だが、ソリヌスは mugitu horrido (恐ろしいうなり声)となっている。角の記述にも誇張した表現を見つける。プリニウスは普通の cornu nigrum (黒い角)とあるが、ソリヌスによれば、splendore mirifico (素晴らしい輝きのある)角だと言う。おまけに、角はとにかくとても鋭く、何でも一撃で切断することができるという。角の長さも、4 ペース(約 118.36 センチメートル)まで引き伸ばされている。このソリヌスの記述はのちに中世ヨーロッパの『動物寓意譚』(ベスティアリ, Bestiary, 12世紀)の原典の一つになる。 12世紀・13世紀ヨーロッパ各国で人気を博した、「インド」の謎のキリスト教王国を支配する司祭ヨハネことプレスタージョンの手紙には、自国で所持している一角獣はライオンと戦うが、ライオンは戦いが近づくと上記グリム童話「勇ましいちびの仕立て屋」(KHM 20)の主人公のように、堅固な高木の脇に陣取り、攻めてくる一角獣をかわし、一角獣が木に突き当てた角を引き抜くことができないところを仕留める。しかし、樹木のない所では一角獣がライオンを倒すと記されている[12]

旧約聖書

旧約聖書にもかつてはユニコーンが存在していた。以下にユニコーンが載っていたころの聖書の一つである5世紀のウルガタ聖書からユニコーンが出てくる箇所を列挙する。([弧]の数字は現在の聖書における詩篇の篇数を示す)

  • 神は彼らをエジプトから導き出された、その勇敢さは一角獣のようだ--『民数記』第23章第22節
  • 彼の威厳は初子の雄牛のようであり、その角は一角獣のようだ。それで彼は国中の民を突き刺し、その全てを地の果てにまで及ぶ--『申命記』第33章第17節
  • 一角獣はあなたに仕え、あなたの飼い葉桶のそばに留まるだろうか。あなたは一角獣に手綱をつけて、畝を作らせることができるだろうか、あるいはあなたに従って谷を耕すだろうか。その力が強いからと言って、あなたはこれに頼むだろうか、またあなたのために働かせるのか。あなたはこれに頼って、あなたの穀物を打ち場に運び帰らせるだろうか--『ヨブ記』第39章第9 – 12節
  • 獅子の口から我が身を救いたまえ、一角獣の角から弱き我が身を護りたまえ--『詩篇』第21(22)章第22(21)節
  • 主のみ声は香柏を折り砕き、主はレバノンの香柏を折り砕かれる。主はレバノンを子牛のように躍らせ、シリオンを若い一角獣のように躍らせる--『詩篇』第28(29)章第5 – 6節
  • しかし、あなたは私の角を一角獣の角のように高く上げ、新しい音を授けられました--『詩篇』第91(92)章第11(10)節
  • 主の剣は血で満ち、脂肪で肥え、子羊と山羊の血、雄羊の腎臓の脂肪で肥えている。主がボズラで犠牲の獣をほふり、エドムの地で大いに殺されたからである。一角獣は彼らと共にほふり場に下り、子牛は力ある雄牛と共に下る--『イザヤ書』第34章第6 – 7節
オーロックス(Bos primigenius)。ヘブライの伝承に登場する、雄牛に似た獣レ・エム(רְאֵם)のモデルとされている。

現代の聖書では「一角獣」の箇所が「野牛」と訳されているため「一角獣」という訳語は見つからない。しかし当時はこのように「野牛」ではなくはっきりと「一角獣」と記されていた。紀元前3世紀中葉に古代エジプトプトレマイオス2世(前308 – 246)の命によってアレクサンドリア近郊のファロス島に送られた72人のユダヤ人学者達は、72日間で原本のヘブライ語旧約聖書をギリシア語に翻訳し、ギリシア語版旧約聖書『七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)』を作った。この時ユダヤ人学者達は原文のヘブライ語の「レ・エム」(רְאֵם, rěēm, 野牛)という単語に「モノケロース」(μονόκερως, monokerõs, 一角獣)、すなわち「一角獣」という訳語を当てた。古代ヘブライ語聖書の中で、レ・エムは「力」を象徴する隠喩として述べられている。ヘブライ伝承でレ・エムは狂暴な、飼いならすことのできない、壮大な力を持った機敏な動物で強力な角を持っているという。これに相当するのがオーロックス(Bos primigenius)である。この見解はアッカド語の「リム」(rimu)から裏付けられる。リムは、力の隠喩として使われ、力強く、獰猛な、大きな角を持つ野牛である。この動物は古代メソポタミア美術の中で、横顔で描かれ、あたかも一本の角を持った牛のように見える。しかしこのころ、「レ・エム」の語に相当する野生の野牛、オーロックスは既に絶滅していて、誰も実物を見ることはできなかった。こうして、この『七十人訳聖書』から、ユニコーンは聖書の中に入った。ラテン語訳聖書『ウルガタ聖書』(405年ごろ完成?)はこれを引き継いだ。382年の教皇ダマスス(在位 366 – 384)の命により、当時の大学者聖ヒエロニムス(342? – 420)が中心となって完成させた。従来のラテン語訳聖書の大改訂版である。彼は「一角獣」を表すのに三つの単語を並列的に使った。すなわちギリシア語の「モノケロース」(monoceros, 一角獣)、「リノケロース」(rinoceros[13], 鼻の上に角を持つ者、サイ)、そしてラテン語の「ウーニコルニス」(unicornis, 一角獣)を無作為に用いた。この使用は何百年もの間、慣習的なものであり続けた。ルター(1483 – 1546)も『七十人訳聖書』や『ウルガタ聖書』と同様に訳した。イギリス国王ジェームズ1世(在位 1603 – 1625)の命によって、五十数人の聖職者や学者からなる翻訳委員が、1607年から1611年の間に完成させた英訳聖書『欽定訳聖書』(1611年)では、「ユニコーン」(unicorn, 一角獣)という訳語が使われた。実際にはサイやレイヨウに比定され、キュヴィエ(1769 – 1832)はその存在を否定した。

原文のヘブライ語聖書では、一度だけ額に一本の角の生えた動物が出てくる。預言者ダニエルが自分がスサの城砦に誘拐される幻想について語る『ダニエル書』第8章である。しかし、この無敵の一角獣も現在では「野牛」と訳されてしまっている。ダニエルはベルシャザル第3年にウライ川のほとりで二本の角のある雄羊を幻視する。

私が目を上げて見ると、見よ、一頭の雄羊が川(ウライ川)の前に立っているのが見えた。それには二本の角が生えており、二本とも長いが、片方はもう片方より長く、長い方は後から伸びたものであった。私は、その雄羊が西に、北に、南に突き進むのを見た。いかなる獣もこの雄羊には太刀打ちできず、その手から救い出せる者もいなかった。そして、この獣は自分の欲することをなし、大いに高ぶった。--『ダニエル書』第8章第3 – 4節

そこへ西から一頭の雄山羊がやって来た。

そして、私がずっと思い巡らしていると、見よ、一頭の雄山羊が西の方から全地の表を飛び渡って来たが、その肢は土を踏まなかった。これは目の間に堂々たる一本の角を持っていた。そしてこの雄山羊は、二本の角を持つ雄羊の所までやって来た。雄山羊は猛烈な怒りを抱いて雄羊に向かって走って来た。そして私は雄山羊と雄羊がぶつかり合うのを見た。雄山羊は雄羊に対して激しい敵意を示し、これを打ち倒して、二本の角を折ったが、雄羊は立ち打つことができなかった。こうして雄羊を地に投げ倒し、踏みつけたが、その手から救い出せる者はいなかった。そして、その雄山羊は大いに高ぶった。しかしこの雄山羊が最強になったとき、その大いなる角は折れ、四本の堂々たる角が生え、天の四方の風に向かった。--『ダニエル書』第8章第5 – 8節

この幻視はこの後、ある声によって預言者ダニエルに、「ギリシアの王」すなわちアレクサンドロス3世(大王)によるメディア王国ペルシア帝国の破滅を意味するものと告げられる。つまり強大な角を持つ雄山羊の最初の一本の角はアレクサンドロス大王を表し、その後に生えた四本の角はアレクサンドロスの後継者を名乗るディアドコイの王たちを表している。

ノアの方舟に乗らないユニコーン

ユニコーンは飼い馴らしのきかない、たいへん凶暴な、無敵の、それゆえに自らの力を過信する傲慢な野獣だった。ユダヤ神話系の話が残る東欧の民話には高慢な性格のユニコーンが出てくる。その一つのポーランド民話ではユニコーンはノアの方舟以前の動物とされている。

ノアがあらゆる獣のつがいを方舟に入れた時、ユニコーンもまた受け入れた。ところがユニコーンは他の獣を見境もなく突いたので、ノアは躊躇なくユニコーンを水の中に投げ込んだ。だから今ではユニコーンはいない。--『ポーランド民話』

小ロシア民話でもユニコーンはこれと似たようなことをしている。自らの傲慢さのために自滅してしまうのである。

ノアが全ての獣を方舟に受け入れたとき、獣達はノアに服従した。ユニコーンだけがそうしなかった。ユニコーンは自らの力を信じ、「私は泳いでみせる」と言った。四十の昼と夜の間、雨が降った。鍋の中のように水は煮え立ち、あらゆる高みが水に覆われた。そして方舟の舷側にしがみついていた鳥たちは、方舟が傾くと沈んでしまうのであった。しかし、かのユニコーンは泳ぎに泳いでいた。だが鳥達がユニコーンの角に止まったとき、ユニコーンは水中に没してしまった。だからユニコーンは今日ではもう存在しないのだ。--『小ロシア民話』

1576年に印刷された絵入り聖書にトビーアス・シュティマー(Tobias Stimmer, 1539 – 1584年)が描いた木版画には、ユニコーンのつがいがその高慢さから、方舟に背を向けて、あとに残る様子が描かれている[14]

フィシオロゴス

処女とユニコーン。聖ソフィア聖堂で典礼に使用された「フルードフ詩篇」より、細密画、9世紀、ビザンチン、モスクワ歴史博物館蔵。

ユニコーンのヨーロッパ伝承の三つ目の経路は、初期のキリスト教徒達の教本となった『フィシオロゴス』(Φυσιολόγος, 「自然を知る者、博物学者」)と呼ばれる博物誌である。この書は、動物(空想上の動物を含む)、植物、鉱物を紹介して宗教上、道徳上の教訓が、『旧約聖書』、『新約聖書』からの引用によって表現されているものであり、のちの中世ヨーロッパで広く読まれる『動物寓意譚』の原典になったと言われるものである。原本はギリシア語で書かれ、各章には、まず聖書の言葉が述べられ、その後にその生き物についての自然科学的な解説が続き、最後には道徳的な教えが述べられている。その第22章では以下のように書かれている。

詩篇作家(ダヴィデ)は言う。「主は私の角をモノケロース(一角獣)の角のように高く上げられる(『詩篇』第92章第10節)」と。フィシオロゴス(博物学者)はモノケロースが次のような性質を持つと言う。モノケロースは小さな獣で雄ヤギぐらいだが、途方もない勇気の持ち主であり、非常に力強いため、狩人も近づくことができない。それは頭の真ん中に一本の角を持っている。

さてどうしたらこれを捕まえられるだろうか。美しく装った汚れのない処女を近くに連れて来ると、それは彼女の膝に飛び乗って来る。そこで彼女はそれを飼い馴らし、王たちの宮殿へ連れて行くのである。

この生き物は、わが救世主の姿に引き写すことができる。なぜか。私達の父の角がダヴィデの家から蘇り、救いの角となられた(『ルカによる福音書』第1章第69節)。天使の力ずくでは、彼を打ち負かすことはできなかった(『ペテロの手紙一』第3章第22節)。彼は真実かつ純潔な処女マリアの胎内に宿った(キリスト受肉)。言葉は肉となり、私達の内に宿ったのである(『ヨハネによる福音書』第1章第14節)。--『フィシオロゴス』第22章

『フィシオロゴス』に載っているユニコーンの姿は古典文学の作家達が言うようなものと全く異なり、ウマでもロバでもなく、メガステネスの言うゾウの肢も持っていない。さらに、ユニコーンは処女によってのみ捕まえることができるという伝説も生まれた。この伝説の起源は、紀元前2000年頃に古代オリエントで成立したと言われる『ギルガメシュ叙事詩』にあると考えられている。ここに出て来る半獣半人のエンキドゥには一本の角は生えていないが、物語の構造は処女がユニコーンを誘惑する話とよく似ている。エンキドゥは、ウルクの王ギルガメシュの暴虐を鎮めるために神々の命により、女神アヌンナキによって土から作られた。しかし作られたばかりのエンキドゥは、獣たちとともに暮らしてばかりいたため、宮仕えの遊女、つまり神聖娼婦が派遣され、彼を誘惑し、六日と七晩の間交わい合い、獣達から引き離し、本来の目的地、王都ウルクへと連れていく。そこでギルガメシュとエンキドゥは激しく戦うが、やがて和解し両者は盟友となる。

この形式の神話はその後、インドへと伝わり、変形され、4世紀のサンスクリット文学の『マハーバーラタ』第3巻第110 – 113章に出て来るリシュヤシュリンガ(ऋष्यशृंग, 「鹿の角を持つ者」)の説話の形式をとる。梵仙(カーシャパ)ヴィヴァーンダカが湖畔で修行をしていると天女ウルヴァシーが舞い降りて来た。ヴィヴァーンダカは彼女の美しさに見とれて思わず精を漏らしてしまった。ところがそばで水を飲んでいた牝鹿がこれを一緒に飲み込んでしまい、やがて一人の息子を生んだ。この息子は人間の姿をしていたが、額の中央に一本の角が生えていた。それゆえ彼は「リシュヤシュリンガ」(鹿角仙人)と呼ばれた。彼は父の他は人間を目にすることなく、修行を積んだ。さてこの頃、アンガ国は12年間に及ぶ大旱魃に苦しんでいた。ある時アンガ国王ローマパーダの夢枕にインドラ神が立ち、リシュヤシュリンガを王都に連れて来れば旱魃は止むであろうと告げる。そこで王は大仙のもとへ遊女(または王女)を派遣する。女性達は父以外の人間を見たことのないリシュヤシュリンガをまんまと誘惑し、王都に連れて来る。大仙が王都に足を踏み入れるや大雨が降り、旱魃は解消する。このリシュヤシュリンガの遊女による誘惑と災厄の解消が西へ伝わり、ユニコーンの処女による捕獲、角による解毒と形を変え、『フィシオロゴス』からヨーロッパに伝わっていった。

聖バシリウス(330? – 379年)が書いたと言われている後代の『フィシオロゴス』には、『詩篇』第22章第21節の中でダヴィデがユニコーンからの魂の救いを祈っている詩篇について次のように述べている。「一角獣は人間に対して悪意を抱いている。一角獣は人間を追いかけ、人間に追いつくや、その角で人間を突き刺し、食べてしまうのである……よいか、人間よ、汝は一角獣から、すなわち悪魔から身を守らねばならぬ。なぜなら、悪魔は人間に悪意を持ち、人間に邪悪なることをなすためにこそ送られて来たのだから。昼も夜も悪魔はうろつきまわり、その詭弁で人間を貫き通しては、神の掟から人間を引き離すのだ」このようにユニコーンは救世主の象徴であると同時にその敵対者の悪魔の象徴でもあった。中世ではこのような「両義性」というのは珍しいことではなかった。バシリウスの『フィシオロゴス』にはゾウとユニコーンの友情の話も載っている。「ゾウには関節がないので、木に寄り掛かって眠る習性を持つ。そこで狩人達がその木に切り込みを入れておくと、ゾウは大きなうなり声をあげながら木とともにひっくり返る(カエサルの著作『ガリア戦記』第6巻第27節では関節のないヘラジカが同じように狩られる)。隠れていた場所から狩人達が急ぎやって来て、無防備に横たわるゾウの顎から象牙を引っこ抜き、急いで逃げてしまう。それは狩人達がユニコーンに急襲され、その餌食とならないようにするためである。しかしユニコーンの到着が間に合えば、ユニコーンは倒れたゾウの傍らにひざまずき、その体の下に角を差し入れ、ゾウを立たせるのである」ここでもまたユニコーンは救世主の象徴となっている。つまり「われらが主イエス・キリストは王者の角として表されている。われらすべての者の王は人間が倒れているのを、そしてその人間が慈悲に値するのをご覧になると、そこへやって来られ、その者を抱き起こすのである」この『フィシオロゴス』はアレゴリーに重点を置きユニコーン自体ではなく、その性質からたとえられている。「ユニコーンは良き性質と悪しき性質を持っている。良き性質はキリストおよび聖人にたとえられ、悪しき性質は悪魔や悪しき人間にたとえられる」

ユニコーンに関する話を載せた『フィシオロゴス』の断片はもう一つある。「ある地方に大きな湖があって、野の獣達が水を飲もうと集まる。しかし動物達が集まる前に、ヘビが這い寄って来て、水に毒を吐く。動物達は毒を感じると、もう飲もうとしない。彼らはユニコーンを待っているのである。そしてそれはやって来る。ユニコーンはまっすぐ水の中まで入る。そうして角で十字を切ると、もう毒の力は消え失せて、彼は水を飲む。他の動物達もみんな飲む」ギリシア人達がインドから聞き伝えた角の解毒作用が再び登場している。

人を追いかけるユニコーン

バールラームがヨサファートの洗礼の心構えのために話した寓話の中に、人を追いかける獰猛なユニコーン(当初はサイだったかもしれない)が出て来る[15]。この伝説が語られる異本は13 – 14世紀の聖人伝集のいくつかに存在する。また、ボーヴェのヴァンサン(1190? – 1264年)の『自然の鏡』(1245 / 1250年)のような百科事典的な作品にもある。以下に述べるのは、ジェノヴァ大司教ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230? – 1298年)が13世紀に書いた『レゲンダ・アウレア』(Legenda aurea, 1267年ごろに完成)の第174章 「聖バルラームと聖ヨサパト」の中のものである。

昔、セナールという国の近くの砂漠にバールラームという名の男が住んでいた。彼は多くのたとえ話をして、この世の偽りの快楽に陥らぬよう人々に説教を行っていた。このようなわけで、彼はある男のことについて語った。その男はユニコーンに食べられないようにと、男を食べようとしているユニコーンから急いで逃げようとして、深淵(または井戸)に落ちてしまう。それでも男は灌木の枝につかまることができた。だが、彼の足は滑りやすく、もろい場所に置かれていた。怒り狂うユニコーンが上から男を見下ろしている一方で、男の下の方には恐ろしいドラゴンが火を吹き、口を大きく開けて、男が落ちてくるのを待っているのが見えた。さらに滑りやすい足場の四方からは、四匹のヘビが体を伸ばし、頭を突き出していて、男がつかまっている灌木の根元には、黒いネズミと白いネズミの二匹が根元をかじっており、今にも引きちぎれそうであった。ところが男が上を見上げると、灌木の小枝から蜜が一滴垂れているのが目に入った。そこで男は自分の身に迫るあらゆる危機を忘れて、その蜜の甘さに束の間酔いしれるのである。このユニコーンというのは、人間を至る所追いかけて来る死である。深淵はこの世であり、あらゆる災いに満ちている。灌木は人間の命を意味し、それを昼と夜という時間が白と黒のネズミのようにかじっており、必ず落下することになる。四匹のヘビは身体を表しており、身体は四元素から成り、その秩序が乱れたとき、四元素は解体せざるを得ない。ドラゴンは人間を今にも飲み込もうとしている地獄の入り口である。しかし、蜜は、この世のはかない快楽である。この快楽に人間はふけり、全ての危機を忘れるのだ。--ヤコブス・デ・ウォラギネレゲンダ・アウレア』 第174章 「聖バールラームと聖ヨサファート」

このたとえ話では『詩篇』第22章第21節のユニコーンのようにいついかなるところでも人間に追い迫ってくる「死」の象徴と考えられていた。後代の『フィシオロゴス』のユニコーンが人間を追いかけ、人間に追いつくと食べてしまうという話の出所は、この話ではないかといわれている。

他地域に伝わる一本の角を持つ馬

中国

𩣡もしくは䑏疏という一本角の馬が、古代中国の様々な事柄を書いた地誌山海経』や郭璞の書いた『江賦』などの古代の本に記されている。

日本

南島雑話』に牝馬に角が生えた逸話が収録されている。

馬の角一夜に生じ一夜に落と云。西(にし)間切篠川(しのかわ)村の百姓の飼処の駄馬なり。新納仁郎買て大和に持帰る。 長さ五寸、四角立、如レ図。

西間切篠川に、少し気たらはん嶌人次郎と云もの、人の下人となりて馬の飼けるに、女馬一夜に弐つ角を生み、又一角を生る。処の駄馬も常に馬に異る形ちはよく、却(かえつ)て馬形常並より劣れり。新納仁郎其角買て、大和に持登る。[16]

ロシア

  • インドリク英語版 ‐ ロシアに伝わる聖なる山に棲んでいる一角獣。

紋章獣としてのユニコーン

イギリスの国章
スコットランド王家の紋章

スコットランド王家の象徴にもなっており、グレートブリテン王国成立以後、現在のイギリス王家の大紋章には、ユニコーンがシニスターに、イングランド王家の紋章にも用いられているレパード(獅子)がデキスターにサポーターとして描かれている。

ロンドンの薬局協会の紋章には、二頭の金のユニコーンがサポーターとして描かれているが、ライオンの尾ではなくウマの尾である[17]

シエナパリオ祭には、ユニコーンの紋章を持つコントラーダ(小地区)がある。

伝承

ユニコーンは古代ヨーロッパに住んでいたケルト民族キリスト教の伝来以前に信仰していた、ドルイド教民間伝承として伝えられた怪物とも考えられている。

ケルトにもともとユニコーンの伝承があったとされることもあるが、実際には存在しないようである。しかし近い地域においてイッカクの角がユニコーンの角とされていたりもした。

したがってユニコーンの伝承は、周辺地域における角を持つ動物(サイ、オリックス、オーロックス、アイベックス、ヘラジカ、トナカイ、イッカクなど)の逸話がヨーロッパに伝わって一つに統合された結果であると考えることができる。

ユニコーンを題材にした作品

脚注

  1. ^ ギリシア語 Μονόκερως = μόνος 「一つ」+ κέρας 「角」
  2. ^ 偶蹄目の蹄。よく「割れている」と誤解されるがそうではなく、ヒトで言えば中指と薬指に相当する。
  3. ^ ゾウと戦うユニコーン。『クイーン・メアリー詩篇集』(The Queen Mary Psalter)第100葉裏より、1310 – 1320年頃、大英図書館蔵。
  4. ^ プリニウスの『博物誌』(Naturalis historia)第8巻第29(20)章第71節アエリアヌスの『動物の特性について』(Περὶ Ζῴων Ἰδιότητος)第17巻第44章 では、サイゾウとの戦いに備え、角を岩で研ぐとある。
  5. ^ アルベルトゥス・マグヌス 『動物について』(De animalibus)第22巻第2部第1章第106節「ユニコーンについて」 より。
  6. ^ 尾形希和子 『教会の怪物たち』 講談社〈講談社メチエ〉、2013年、90頁。
  7. ^ レオナルド・ダ・ヴィンチ一角獣をつれた貴婦人」 1470年代、ペン画、アシュモレアン博物館、オックスフォード
  8. ^ Odell Shepard, The Lore of the Unicorn, London: Merchant Book Company Limited, 1996. シェパードは一角獣の方を unicorn、その武器である角の方を古いイタリア語の形式の alicorno (ポルトガル語では alicornio)に基づいて、alicorn と使い分けている。
  9. ^ ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ『パルチヴァール』(加倉井粛之、伊東泰治、馬場勝弥、小栗友一 訳) 郁文堂 1974年 ISBN 4-261-07118-5。改訂第5刷 1998年、256頁上・下、482-483詩節。
  10. ^ アストラガロスΆστραγάλους)とは、くるぶしの間にある距骨(ターロス、Talus)と呼ばれる動物の骨の部分で、古代ギリシア人やローマ人は、この骨をサイコロとして使っていた。
  11. ^ ここに出て来るヘラジカ(Alces)には、後肢の膝関節がなく、一度横たわると二度と起き上がれないと言う(カエサル『ガリア戦記』第6巻第27節)。これと似た話が プリニウスの『博物誌』第8巻第16(15)章第39節 にも見られる。そこにはアクリス(Achlis)というヘラジカに似た生き物が紹介されているが、後肢の関節を持たないことなどカエサルの言うヘラジカ(Alces)と内容が一致している。
  12. ^ 逸名作家『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』(池上俊一訳)講談社学術文庫 2009 (ISBN 978-4-06-291951-7)、122頁。
  13. ^ 中世のラテン語訳聖書では h が付いたり付かなかったりする。
  14. ^ ノアの方舟に乗らないユニコーンたち。Tobias Stimmer, Neue künstliche Figuren Biblischer Historien, Basel 1576 の中の木版画。ユニコーンのつがいが、ノアの方舟に乗り込むことを拒否している。
  15. ^ バールラームとヨサファートの物語は、中世ヨーロッパにおいて、沢山の異本が知られており、6世紀のビザンチンに起源を持つという。さらに、いくつかの物語は、仏陀の生涯にかなり類似しているという。
  16. ^ 『東洋文庫 432南島雑話2 幕末奄美民族誌』平凡社、53,142頁。 
  17. ^ The Worshipful Society of Apothecaries of London

出典

古代

中世

近世

参考文献

関連項目

モデルとされる動物

外部リンク


UNICORN

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/12 13:33 UTC 版)

アーコン」の記事における「UNICORN」の解説

移動歩行3マス戦闘においては、角から発する飛び道具であるエネルギーボルトを使用する

※この「UNICORN」の解説は、「アーコン」の解説の一部です。
「UNICORN」を含む「アーコン」の記事については、「アーコン」の概要を参照ください。

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