伊能忠敬 おもな測量器具

伊能忠敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 12:52 UTC 版)

おもな測量器具

距離測定

佐原駅前の床には、かつて伊能忠敬の実物大の歩幅(約70cm)が表示されていた。(2008年撮影)

歩測

歩いた歩数をもとに距離を計算する方法である。主に第一次測量のときに採用した。

忠敬の歩幅について、井上ひさしは小説『四千万歩の男』を執筆する際に、「二歩で一間」(一歩約90cm)と仮定した。測量中に忠敬の歩いた距離はおよそ35,000キロメートルで、換算するとおよそ4,000万歩となる[331]

しかしその後、実際の歩幅はそれよりも小さいことが明らかになった。昭和63年(1988年)、伊能忠敬記念館に勤めていた佐久間達夫は、来館者に忠敬の歩幅について尋ねられたのをきっかけに歩幅の調査を行った。そして、忠敬が書いた『雑録』の中に、「1町に158歩」という記述を発見した。佐久間はこの記述と、忠敬が使っていた「折衷尺」(130.303cm)をもとに、忠敬の歩幅を約69cmと導き出している[332]

間縄・鉄鎖

第二次測量からは歩測の代わりに、間縄と呼ばれるや、鉄を使って距離を求めるようになった。

第二次測量では麻の縄を使って海岸線を測量した[333]。しかし縄は伸び縮みして正確な距離が測れなかったため、第三次測量からは新たに考案された鉄鎖が使われた。鉄鎖が使えないような場所では引き続き間縄が使われたが、藤づるを編んだ藤縄や、を裂いて編んだ鯨縄を使うといった工夫を加えた[334]

鉄鎖は、両端を輪のように加工した長さ一尺の鉄線を60本つないだ鎖で、伸ばすと長さは十間となる。間縄は古くから使われていた方法だが、高橋至時によると、鉄鎖は忠敬が初めて考案したものである(ただし異説もある)[334]。鉄鎖も使っていくうちに摩耗するため、間棹で毎日長さを確認していた。間棹とは長さ二間の木の棹で、両端に真鍮帽をかぶせている[334]

量程車

伊能忠敬の量程車(複製)。国立科学博物館の展示。

量程車とは車輪歯車のついた箱状の測量器具である。地面に置いて車輪を転がしながら進むことによって、車輪に連動した歯車が回り、移動した距離が表示されるようになっている。中国では古くから存在し、日本にもすでに伝わっていた[335]。忠敬は第二次測量の途中で高橋至時から量程車を受け取り、これを使って測量してみたが、海岸線などの砂地や、凹凸のある道では、距離が正確に測れなかった。したがって、以後は名古屋、金沢の城下など、限られた地域のみで使われ、西日本の測量においては全く使用されなかった[336][337]

方位測定

方位の測定は大中小3種類の方位盤および半円方位盤にて行った。

小方位盤

小方位盤は杖の先に羅針盤をつけたものである。彎窠(わんか)羅針、杖先羅針とも呼ばれる[338]

羅針盤は杖を傾けても常に水平が保たれるようになっており、精度としては10分(6分の1度)単位の角度まで読むことができた[339]。平地では三脚に固定して使用し、傾斜地では杖を地面に突き立てて使用した[338]

小方位盤自体は当時よく使われていた器具だったが、忠敬は羅針の形や軸受けの材質を変えるなどの工夫を加えた。小方位盤は忠敬の測量器具の中で最も重要なものと言われており、西日本を測量するころになると10個ほどを持っていっている[338][340]

小方位盤は主に導線法と交会法において使われた。導線法で使う際には正・副2本の羅針盤を使って2点の両方から角度を測り、その平均を取るようにしていた[341]

大・中方位盤

伊能忠敬が使用したとされる大・中方位盤。大谷亮吉著『伊能忠敬』(1919) p.322 より。

大方位盤と中方位盤は実物が残っていないために詳細は定かではないが、『量地伝習録』で解説がなされている。それによるとこの方位盤は、脚のついた円形の盤の中央に望遠鏡を設置したものである。円盤には方位を測るための磁石が取りつけられるようになっており、また円盤の周囲には、角度が分かるように目盛りのついた真鍮の環が組み込まれている。さらに円盤の上には指標板というものが置かれており、これは望遠鏡と連動して円盤状を回転できるようになっている[342]。大方位盤と中方位盤は大きさが異なるだけで、外形や使用方法はほとんど変わらないといわれている。円盤の直径は大方位盤が2尺6寸、中方位盤が1尺2寸である[343]

これらの方位盤は、富士山など、遠くの目標物の方角を測るのに用いられた。円盤内の方位磁針の向きと、真鍮の環に刻まれた北を示す目盛りの向きを合わせてから、望遠鏡を目標物の向きに合わせる。すると、指標板が求める方角を指し示す[344]

大方位盤は精密な測定ができるため、高橋至時はこれを使って正確に方位を求めるべきだと主張した。しかし忠敬は、「正しい位置に設置するための器具が不十分なので精度向上は見込めない」と反論した[345]。また、大方位盤は運搬に手間がかかるという問題もあった。そのため第一次測量では使用せず、第二次測量でも途中で江戸に送り返している。その後、第五次、第六次測量では使用されたが、第七次、第八次測量では持参していない[344]

中方位盤は大方位盤と比べて小型なため、第二次測量以降に持ち出され使われている。第五次測量以降の記録では中方位盤の名前は見られないが、忠敬は中方位盤のことを小方位盤と記すこともあるため、本当に使用されなかったかどうかは定かでない[346]

半円方位盤

半円方位盤はその名の通り半円形の方位盤である。大・中方位盤と同じように、目盛り付きの真鍮板と方位磁針が付属している。また半円盤の上に視準器があり、これを半円盤上で回転させて目標物に合わせることで方角を求める[347]

この方位盤は十分単位で角度目盛がついていて、目測では分単位の角度を求めることができたが、構造が単純で偏心による誤差が生じやすかった[347][348]。しかし小方位盤と比べると細かな方位が求めやすく、大・中方位盤と比べて持ち運びやすいという利点もあった。そのため遠くの山などを測る目的で、第四次測量以降は頻繁に使うようになった[348]

傾斜・高度測定

象限儀のレプリカ(佐原駅北口付近)

坂道の傾斜や星の高度は象限儀を使って求めた。象限儀の種類としては杖先小象限儀、大象限儀、中象限儀がある。

杖先小象限儀

2点間の距離を導線法により求めても、その2点間が坂道になっていると、地図に表すとき距離が異なってしまう。この補正は、はじめのうちは目測で傾斜角を測って補正していたが、第三次測量からは杖先小象限儀を使うようになった[349]

この象限儀は長さ一尺二寸で、三脚に据えて、梵天を持っている人の目を目標にして測った。測った角度は割円八線対数表と呼ばれる三角関数の対数表を利用して距離に換算した[350][351]

大・中象限儀

恒星の南中高度を測るための象限儀は、大(長さ六尺)、中(長さ三尺八)の2種類が使われた。構造はどちらも同じである[352]。大象限儀は江戸に常設しており、全国測量では中象限儀を持ち出した[353][354]。この象限儀は、刻まれた目盛りによって一分単位の角度を読み取ることができ、目測を加えると十秒または五秒程度の単位まで測ることができた[355]

象限儀は地面に対して正確に垂直になるように設置しなければならない。そのため設置にあたっては本体以外に多数の木材が必要となり、全部合わせると、解体して運んでも馬一頭では積みきれないほどの大きさになった[322][356]

時間測定

日食・月食が起きた時刻は、垂揺球儀によって求めた。垂揺球儀は振り子の振動によって時間を求める器具である。仕組みとしては振り子時計と同じで、日本でも麻田剛立によって既に使われていた[357]。忠敬が使っていた垂揺球儀は現存しており、歯車を組み合わせることで十万の桁まで振動数が表示されるようになっている。振り子は1日におよそ59,500回振動するため、最大で約17日連続稼働できる[358]

日食・月食の前日までに、観測地において予め垂揺球儀を駆動させて1日の振動数を求めておく。そしてその数値と、南中から日食・月食開始までの振動数をもとにして、日食・月食が起こった時刻を求めることができる[359]


注釈

  1. ^ 地元などでは親しみと尊敬の念をこめて「いのう ちゅうけい」とも称されている[1]
  2. ^ 本段落の内容については当時の複数の文献でも多少の差異がある。詳しくは渡辺編(2003) pp.76-81を参照
  3. ^ 忠敬の分家としては、子孫に金沢工業大学土木工学科客員教授の伊能忠敏らがいる(伊能(1991))。
  4. ^ 清宮家は伊能家とは直接の血縁はないものの、清宮家の初代当主は伊能三郎右衛門家2代目である景常の後妻の連れ子であり、継父の支援で清宮家を興したと伝えられ、両家はそれ以来の深い関係を有していた(千葉県(2008) p.346-347)。
  5. ^ 海保景文に伊能景晴(茂左衛門家当主、楫取魚彦の曾孫にあたる)の次女を娶せて、三郎右衛門家の祭祀を継がせた(『千葉縣香取郡誌』(1921年刊行の復刻版)、崙書房、1972年、P782-783.「伊能景晴」)。
  6. ^ シーボルト事件」において、紅葉山文庫にある伊能図を写させたことが原因で、何人か罪に問われ死亡している。
  7. ^ 作者は忠敬本人という説もあるが、小島一仁はこれに反論し、息子の景敬によるものではないかと述べている。

参照元

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