発言集
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中上健次全発言 -1970〜1978(1978年 集英社)戦後文学の流れから(秋山駿・田久保英夫・上総英郎)/闇の力──ディオニソスを求めて(小川国夫)/痩せたソクラテスより太った豚になれ(三上寛)/剝き出しにした生きざまを書く(佐木隆三・秋山駿)/次代の書き手はどこにいるか(岡松和夫・岡田睦・高橋昌男・高橋三千綱・立松和平・秋山駿)/人間──土に還るもの(深沢七郎)/文学と死をみつめて(藤枝静男)/出よ、大犯罪小説(中村雄二郎・秋山駿)/話題の写真をめぐって(中平卓馬・渡辺勉・中村立行)/土と「マレビト」(黒田喜夫)/われらが太宰治(長谷川和彦・三上寛・正津勉)/青春とは通り魔だったか(なだいなだ)/歌え、歌は力だ(宇崎竜童)/小説家の覚悟(古屋健三)/俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、──。(村上龍)/市民にひそむ差別心理(野間宏・安岡章太郎)/歴史をつかむということ(安岡章太郎)/風土を見る目(島尾敏雄)/文学の現在を問う(柄谷行人) 中上健次全発言II -1978〜1980(1980年 集英社)表現と発想(川村二郎)/七〇年代を爆弾でぶっ飛ばしてやるぞ(相倉久人)/俺がいちばん危険だ(黒田征太郎)/八〇年代文学は可能か(佐々木幹郎)/ひなた男の中身(秋吉久美子)/われらの文学的立場(津島佑子・三田誠広・高橋三千綱・高城修三)/根源での爆発、そして毒──セリーヌをめぐって(永川玲二・渡辺一民)/物語の定型ということ(松田修)/風土と出自の歌(水上勉)/制度としての物語(蓮實重彦)/読書鼎談(石原慎太郎・坂上弘)/文学の場としての吉野・熊野(前登志夫・右城暮石)/〈統覚〉をどこに置くか(入沢康夫・吉増剛造)/坂口安吾と現代(安岡章太郎)/新・悪漢学入門(唐十郎・村上龍)/小林秀雄について(柄谷行人)/物語りについて(円地文子)/アメリカへ──破壊への衝動(絓秀実)/奔放に生きれば幸せ(佐藤陽子)/あんたと私は兄妹みたい(沖山秀子)/多様化する現代文学(大江健三郎)/保田與重郎・賤者=賢者の文学(川村二郎) 『中上健次発言集成 1 - 6』中上健次著、柄谷行人・絓秀実編(1995年〜1999年 第三文明社)『中上健次発言集成 1(対談 1)』(1995年) 破滅と抑制―作家にとっての環境(丸山健二)/物語世界に逆巻く風(五木寛之)/物語の源泉(津島佑子)/作家と〈責任〉(野間宏)/われら二人、この生ぬるい時代に屹立する(立松和平)/悩む肉体・悩まない肉体──《肉体》の現在を間う(唐十郎)/母の地勢学──文学の現在(尹興吉)/血と風土の根源を照らす──『地の果て 至上の時』をめぐって(小島信夫)/マルチ物語論──『今昔物語集』『宇治拾遺物語』をめぐって(川村二郎)/同窓の頃の健次くん──紀州・初恋・恋愛詩(田村さと子) 『中上健次発言集成 2(対談 2)』(1995年) 大正行動隊と路地の論理──『無の造型』をめぐって(谷川雁)/中世ヨーロッパ被差別民・熊野(阿部謹也)/混風と声(吉増剛造)/今こそ等身大の「昭和史」を語れ(安岡章太郎)/暴力と性、死とユートピア──シナリオ『火まつり』と小説のあいだ(上野千鶴子)/物語とは何か──一回限りの神殺し(藤井貞和)/非行・戦後史・飽食日本(西部邁)/三浦和義の「物語」と「現実」(木村駿)/三島由紀夫の「復活」(坂本龍一)/転生・物語・天皇──三島由紀夫をめぐって(四方田犬彦)/ゾーンを生きる文学(ノーマ・フィールド)/日本という収容所列島(今村仁司) 『中上健次発言集成 3(対談 3)』(1996年) 穢れということ(ジャック・デリダ)/本当の歌にあいたい(都はるみ)/川端康成の妖と気(辻井喬)/感性について(島田雅彦)/今、言葉は生きているか(江藤淳)/さてもめずらし河内や紀州(朝倉喬司)/「マハーバーラタ」の音の森で(ピーター・ブルック)/南の熱い文学――大いなる母とマチョの世界(野谷文昭)/天皇裕仁のロゴス(岡野弘彦)/一つは音、一つは光、もう一つは色(陳凱歌)/批評的確認──昭和をこえて(柄谷行人) 『中上健次発言集成 4(対談 4)』(1997年) 日本文学の枠を超えて―『ベトナムから遠く離れて』を中心に(小田実)/ロシア、大いなる「問い」(レフ・ドージン)/存在の耐えがたきサルサ(村上龍)/女と男の関係性を超えて(松浦理英子)/東アジアの新しい世界観(金芝河)/知識の散財・想像力の解放──南方熊楠をめぐって(谷川健一)/今、書くことのはじまりにむかって(金井美恵子)/アラブをめぐるヨーロッパと日本(浅田彰)/湾岸危機と孤立する日本(本田靖春)/映画・差別・新宿(北野武)/路地の消失と流亡──中上健次の軌跡(柄谷行人) 『中上健次発言集成 5(談話・インタビュー)』(1996年) 【談話】宗教と労働/ふるさと私考/なぜ『紀伊物語』なのか/坂口安吾・南からの光/ペーパーマネーを俺は信じない/「熊野大学」構想を語る/【インタビュー】ジャズから文学へ、文学からジャズへ(小野好恵)/路地と神話的世界の光学──「地の果て 至上の時」を中心に(高橋敏夫)/『物語ソウル』と韓国(脇地炯)/小説の可能性と南方的想像力(筑紫哲也)/日本を根こそぎ否定する(つかこうへい)/果てしなきゾーン=ボーダー(絓秀実)/永山則夫の存在を否定した文学者たち(「月刊TIMES」編集部)/発熱するアジア(富岡隆夫)/夏芙蓉と金色の烏(藤森益弘)/日本語のダイナミズム(夏石番矢)/世界のなかの日本文学(三浦雅士)/シジフォスのように病と戯れて(渡部直己) 『中上健次発言集成 6(座談・講演)』(1999年) 【座談】市民にひそむ差別心理(野間宏・安岡章太郎)/パンソリのコスモロジー(大江健三郎・山口昌男・草野妙子)/人間の「根」に踏みこむ(安岡章太郎・水上勉)/エイズはここにいる(生井英考・三浦雅士)/故郷と俳句(山本健吉・森澄雄)/時代が模索する──「早稲田文学」創刊百周年に(三田誠広・絓秀実)/【講演】物語の定型/小説のヴァイブレイション/音が告知する/フォークナー衝撃/病いの果てに──ボルヘスとラテンアメリカ/初期の大江健三郎―『飼育』を中心に/小説家の想像力Ⅰ /いま、安吾が見える/私は〈日本〉人なのか/小説家の想像力Ⅱ 『中上健次[未収録]対論集成』中上健次著、高澤秀次編(2005年 作品社)【文学の最前線】創作合評 第七十三回(柄谷行人・川村二郎)/創作合評 第七十五回(柄谷行人・川村二郎)/文学と現在(吉本隆明)/今年に賭ける(鈴木貞美・立松和平・福島泰樹・三田誠広)/秘められた祭に惹かれて(石原慎太郎)/物語の復権(宮本輝)/創作と素材──「いつもと同じ春」、「地の果て 至上のとき」をめぐって(辻井喬)/明るい文学(辻井喬)/「戦後文学」は鎖国の中でつくられた(柄谷行人・青野聰・坂本龍一)/戦後文学の「内部」と「外部」(中野孝次・秋山駿・柄谷行人)/小説に今こそ「物語(ナラティブ)」の復権を──日米の”新古典派”大いに語る(ジョン・アーヴィング)/中上健次 現代文学の炎(見城徹)/今、三島由紀夫を語る(宮本輝)/膨張する境界(筒井康隆)/【「定型」の威力】西行・芭蕉・地の力(森澄雄・山本健吉・谷川健一・前登志夫・辺見じゅん)/天皇の手紙(岡野弘彦)/花と俳句(山本健吉・森澄雄・角川春樹)/時代のなかの定型を読む(前登志夫・岡井隆)/【同時代を撃つ】国家で世界を分ける時代は終った──同じ言葉をもつ人間を探せ!(池田満寿夫)/現実にとって知は何をなしうるか(前之園紀男・栗本慎一郎)/現代おんな事件簿(つかこうへい)/コスモポリタンの熱き魂(本田靖春)/東京対談(ベルナール・アンリ・レヴィ)/町がいつも学校だった(高平哲郎)/鯨に対する畏怖の念(ライアル・ワトソン)/[赤名リカ]待望論(坂元裕二)/【「韓国」への視線】なぜパンソリか(李三郎)/日韓交流の新時代(韓雲史)/神道の逆襲(高麗澄雄)/サムルノリ 音と舞(絓秀実・吉増剛造・藤縄善朗)/「サムルノリ高麗神社公演」をめぐって(藤縄善朗)/文化の基底にあるもの──韓国のシャーマニズム(金両基)/【熊野/民俗をめぐって】俗と聖の往還──講、まつり、ご利益(山本七平、神坂次郎、吉田敦彦)/やあ、「快縁ですね」(山本七平)/宇宙を走ってくる音・光、そして言葉(松長有慶)/「熊野再興」を語り合う(岸順三)/【芸能/文化の源流】演歌の向こうへ(朝倉喬司)/現代芸術 巨人の咆哮(李禹煥)/語り・芝居・トポス(村山道宣)
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発言集
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「お金をやたら投資しないでー貧しい人たちにするのは別だけど。そこではあなた方は、きっとその見返りを期待できるはずだから。」 「私を簡単に聖人などと呼んで欲しくないの。そんなに容易く人を片付けて欲しくないから。」 「(教会の中で)もし自分のコートを脱いで、それを貧しい人にあげる人を見たとしても、私は銀行の小切手をもっていて、盲目で弱っていて、体に障害のある人を見たことがない。」 「私たちはみんな久しく孤独というものを知っている。その唯一の解決が愛だということ、そしてそれが人と人とのつながりからやってくるということも学んだはずだ。」
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Computer World誌 (1992年10月)「VAX Man」より 「Microsoft NT…は、遠大なものになりつつある。UNIXの下にしいてある敷物をつかんで取ろうとしている」 「この10年で、99%のハードウェアやソフトウェアが基本的に小売店で売られるようになるだろう」 「25年後...コンピュータは電話機のようになるだろう。おそらく常に通信を行うようになるだろう…西暦2000年までにはネットワークのインフラが整備され、支払った分に応じた帯域幅を得て通信できるようになるだろう」 「以前『彼の未来予測は間違っていないが、実現時期を間違うことが多い』と言われたことがある」 DECで働いていたころのベルが言っていた格言: 「最も信頼のおける部品は、あなたが取り除いた部品である」 1982年2月10日、インテルのロバート・ノイスやゼロックスのデイビッド・リドルと共にワールドトレードセンターで Ethernet 2.0 規格を発表した際の発言: 「テレビのブロードバンドケーブルは何でも運ぶ下水管のようなものだ。何もかもそこに入れるのは簡単だが、分離して取り出すのは難しい」 「イーサネットは1980年代のUARTだ」 「…ネットワークはシステムになる」
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発言集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 22:15 UTC 版)
「ハンス=ウルリッヒ・ルーデル」の記事における「発言集」の解説
詳細は「wikiquote:ja:ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」を参照 「それにしても勘のにぶい軍用犬だ」(1944年3月20日、撃墜されソ連軍から逃亡中、ソ連軍の軍用犬に対して) 「今、このまま帰国する気持ちにはなれない」(1944年3月24日、満身創痍の状態にて帰還した際に) 「すべてが静かに、まるで死んだように見える」(1944年3月27日、戦車26輌撃破後の偵察飛行中にて) 「ガーデルマンは肋骨を三本折っていた。休養などはとっていられない。すぐに出撃だ!」(1944年11月、撃墜され自分も重傷を負った状態で帰還した際に) 「総統、もし私が飛行大隊と行動を共にするのが許されないのでしたら、私は受賞と昇進とを辞退申し上げたいと存じます」(1945年1月1日、黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字章の授章式でヒトラーに対して) 「イワンめ、また新型を造りおったか」(1944年10月末、発見したソ連軍の新型戦車に対して) 「よし行こう。すぐ退院だ」(1944年10月、入院先でソ連軍の侵攻を聞いて) 「ちょっと試験飛行をしただけです」(1945年、無断出撃について問い詰めてくる上官に対して) 「もうスキーも高飛びも出来ないが、脚が片方残っているからどうでもいい」(1945年2月9日、右脚を失った際に) 「ただ一つ大事なことは、この現在の危急存亡の時に際して、私が少なくとも数週間飛べないということだ」(1945年2月9日、同上) 「昨日と今日で、そう急に変わってたまるものか」(1945年5月7日、航空機でソ連軍包囲網を脱出しアメリカ軍へ投降しに向かう途中に襲ってきたソ連軍戦闘機に対して) 「ここはドイツだ。英語が話せたって、ドイツ語以外は喋ろうと思わない。どんな敬礼をしようと君らの知ったことではあるまい。我々はドイツ軍人としての敬礼法を教わり、それをそのままやっているだけの話だ。シュトゥーカ隊は空の戦いで敗れはせぬ。我々は囚人ではない。ドイツ兵は全ての戦闘に負けたものではなく、ただ物量の重圧に屈したからに過ぎない。我々がここに来たのも、ソ連地域にとどまるのを欲しなかったからだ。 ま、そんなことはどうでもいい。身体を洗わせてもらいたい。それから何か食べ物が欲しい」(1945年5月7日、降伏時にアメリカ軍将官と対面した際、英語を話せるかと通訳に問われたときの返答) 「真実を真実として告げるのが、なぜ典型的なのだろう。それが、どうして非難の口ぶりで語られねばならないのか」(降伏時にアメリカ兵から典型的なナチ将校だと罵られた時の返答) 「わたしには、これという秘訣はなかったのだが……」(1945年、敗戦後に「何故あのような遅い機体(Ju87)であれだけ出撃(2500回)し、生き残ることが出来たのか?」と尋問をする英米軍将校に対して) 「操縦が恐ろしく難しい機体」(Ju87G型について。事実、Ju87に37mm砲2門を搭載したことで飛行時の安定性は著しく低下しており、些細な操縦ミスでもバランスを崩し墜落する危険性があった。)
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発言集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 07:29 UTC 版)
作曲について「曲を書く事はそんなに難しい事じゃない。それが仕事だからね」 ギタリストとしての成功について「レス・ポールが言ってたけど、ラジオで流れてる自分のプレイを母親が聴いてそれが息子のだと分かるようになれば、ギタリストとしては一人前だ、って。僕もそれでいいんだと思うよ」 パンク・ロックについて「今振り返ってみればいくつかいい曲もあるけど、ほとんどがクソだね。ザ・ジャムなんかクソだった。ちょうど僕が自分のプレイについてまじめに考え始めた時期だけど、連中ときたらいかにヘタクソに曲を演奏するかを競い合ってるような感じだった。ほとんど得るものはなかったね」 バート・ヤンシュのプレイに言及して 「真に革新的な人なら誰でも、取り入れたものに対して自分なりの“捻り”を加えるだろうし、そうしてこそ、それらのものは新しく生まれ変わるんだ。」
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発言集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 20:25 UTC 版)
お花の家元、というと、おしとやかなイメージがあるかもしれませんが、ぼくは家元というものは、基本的にタフでないとできない、と思っています。花をいけるのも、ある程度、力仕事です。 (初めて花をいける時に周囲から)型にとらわれることなく、好きに、と。だから今思えば、びっくりするような花をいけています。たとえば、椿。椿はいけるのがとても難しく、いけばなの究極ともいわれる花材です。良い椿かどうか、茎の部分の線を見極め、葉を落とし、整理するのですが、ぼくは、落とすべき椿の緑の葉を堂々と使っていけた。椿を「線」ではなく、葉を使って「面」としてとらえたのですね。それを見た先生方は、笑いながら喜んでくれました。ぼくは、いじっぱりなところがあるので、もし型どおりにいけろ、と言われたらへそを曲げていたと思います。 小原流の魅力は、人と人とのつながりが強いところ。 いけばなとは、自分という人間を作る中での一つの重要なピースであり、切っても切れない存在です。 朝、いつもの道に花が咲いているのを見かけても、帰りもその姿を確認する人は少ない。でも意識して毎日見つづけていると、その変化と生命のサイクルに気づくはずです。芽吹いていても枯れていても、植物も人間も一瞬ごとに命の輝きがある。そこに尊さを覚える日本人の美意識を、いけばなを通して伝えていきたい。
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発言集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 08:44 UTC 版)
「アントニ・ファン・レーウェンフック」の記事における「発言集」の解説
「前に述べた観察では、私は他の人達が思っているよりもずっと多くの時間を費やしましたが、それを楽しんでいます。なぜそんなに苦労するのですか?とか、何の役に立つのですか?とか聞く人には関心がありません。というのも、このような人々のために書いているのではなく、ただ学問をする人に対してだけ書いているからです。」 「彼らが、こんな発見が不可能だと、批判しているように、私は、自分の書いたことが他の人に受け入れられないことを心配してはいます。しかし、私はこのような反論に邪魔されません。無知なる人々のあいだでは、私のことを魔法使いだと言っていますし、私がこの世には存在しない物を見せているとも言っています。しかし彼らは許されるべきでしょう、彼らはよく知らないからです。」 「男の精子に生きた生命体があるということを大学全体として信じない所があります。しかし、このことは私は気にしていません。私は自分が正しいということをよく知っているからです。」
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発言集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 00:46 UTC 版)
「吾々(われわれ)の時代にこの馬鹿な戦争をして、元も子もなくした責任をもっと痛烈に感じようではないか。日本の経済は根本的の立て直しを要求しているのだと思う」 「憲法にしろ色々の法規は、米国でさえ成立不可能な様なものをどしどし成立させ益々得意を増していった。一寸夢遊病者の様なもので正気かどうかも見当もつかなかったし、善意か悪意かの判断なんてもっての外で、ただはじめて化学の実験をした子供が、試験管に色々の薬品を入れて面白がっていたと思えばまあ大した間違いはなかろう」 「自分は必要以上にやっているんだ。占領軍の言いなりになったのではない、ということを国民に見せるために、あえて極端に行動しているんだ。為政者があれだけ抵抗したということが残らないと、あとで国民から疑問が出て、必ず批判を受けることになる」(日本国憲法制定を巡ってのGHQとの攻防の折、宮澤喜一に対して) 「この憲法は占領軍によって強制されたものであると明示すべきであった。歴史上の事実を都合よくごまかしたところで何になる。後年そのごまかしが事実と信じられるような時がくれば、それはほんとに一大事であると同時に重大な罪悪であると考える」 「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。日本も明治維新前までの武士階級等は、総ての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたき込まれたものらしい」 「新憲法のプリンシプルは立派なものである。主権のない天皇が象徴とかいう形で残って、法律的には何というのか知らないが政治の機構としては何か中心がアイマイな、前代未聞の憲法ができ上ったが、これも憲法などにはズブの素人の米国の法律家が集ってデッチ上げたものだから無理もない。しかし、そのプリンシプルは実に立派である。マッカーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか」 「私は、“戦後”というものは一寸やそっとで消失するものだとは思わない。我々が現在声高らかに唱えている新憲法もデモクラシーも、我々のほんとの自分のものになっているとは思わない。それが本当に心の底から自分のものになった時において、はじめて“戦後”は終わったと自己満足してもよかろう」 「占領下の日本で、GHQに抵抗らしい抵抗をした日本人がいたとすれば、ただ二人――一人は吉田茂であり、もう一人はこのぼくだ。吉田さんは、そのことが国民の人気を得るところとなりずっと表街道を歩いたが、もう一人のぼくは別に国民から認められることもなく、こうして安穏な生活を送っている。けれども一人くらいはこういう人間がいてもいいとおもい、別にそのことで不平不満を感じたこともないし、いまさら感ずる年でもないと思っている」 「税金がふえて、我々の生活が今よりぐっと苦しくなっても、なお外国の軍隊を国内に駐留させるよりもいいというのが国民の総意ならば、安保など解消すべし」 「今の政治家は交通巡査だ。目の前に来た車をさばいているだけだ。それだけで警視総監にはなりたがる。政治家も財界のお偉方も志がない。立場で手に入れただけの権力を自分の能力だと勘違いしている奴が多い」
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発言集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 02:59 UTC 版)
武田は「一言どころか三言多い」といわれるほど多弁で、また弁が立ったため数々の名言・格言を残した。 「体は馬の背、頭はスタンド」(騎手はレースの際、スタンドから観戦しているようなつもりでレースの流れを分析しつつ騎乗しなければならないという騎乗論) 「コダマは剃刀の切れ味、シンザンは鉈の切れ味」(自らが手がけた名競走馬2頭の切れ味の違いについて解説した言葉) 「シンザンがそう言ったから」(シンザン引退の理由を尋ねられて) 「シンザンの名を惜しむ」(名馬は体力、気力の衰えを露呈する前に引退させるべきだという持論を表した言葉) 「ゴールは100m先にあると思え」(騎乗論。レースにおける早すぎるスパートを戒める言葉) 「名誉が欲しければ馬は使うな、ゼニが欲しければオラ知らんよ」(人間の欲で馬を過剰に走らせるべきではないというのが持論だった) 「最近の騎手は馬を走らせるのが仕事だから走らせることを覚えたほうがいいと思っている。しかし馬に乗るには並脚の時間を多くして、心と心で通い合うようになっていることが一番必要」(騎手論) その他 「大地をゆるがす戦車がやってきた」(生涯最高という好調で西下してきたタケシバオーの調教の様子を見た時の発言) 「騎手の世界では野平祐二が、牧場の世界では吉田善哉が、競馬にオシャレの風を取り込んでくれた」(野平と吉田を賞賛しての発言) 「空を飛ぶような末足だった」(グリーングラスが菊花賞を制したことをフロック視する声を否定する発言)
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