ほっかいどう‐にっぽんハムファイターズ〔ホクカイダウ‐〕【北海道日本ハムファイターズ】
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北海道日本ハムファイターズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 09:45 UTC 版)
北海道日本ハムファイターズ(ほっかいどうにっぽんハムファイターズ、英: Hokkaido Nippon-Ham Fighters)は、日本のプロ野球球団。パシフィック・リーグに所属している。略称は「日本ハム」「日ハム」「ファイターズ」[2]。株式会社北海道日本ハムファイターズは、北海道日本ハムファイターズの球団運営会社でもある。
注釈
- ^ これは、読売ジャイアンツの前身の東京巨人軍が巨人の愛称で呼ばれることを受けて、鈴木惣太郎が「他の球団も巨人と同じように愛称で呼ぶことにしよう」と考え、大阪タイガースを猛虎、セネタースを青鞜、パシフィックを太平と命名した名残である。しかし、巨人以外の他球団が愛称で呼ばれることを拒否したため、定着しなかった。
- ^ 東急の参事で強羅ホテル社長・猿丸元が、小林次男(横沢三郎の兄)の仲介で、五島慶太と永田雅一を会わせてフィフティの合併、急映フライヤーズを誕生させた[8]。
- ^ この年の深見は西鉄で2本塁打、東急で23本塁打を放っており、2018年終了時点で日本プロ野球史上唯一の「同一年度に複数球団の在籍経験がある本塁打王」である。
- ^ 1985年2月、東映不動産株式会社に吸収され、東映興業不動産株式会社となる(東映興業不動産は、2006年11月に東映へ吸収され消滅)。
- ^ 西村は現在の日拓グループ社長でもある西村拓郎の実父で、拓郎の妻・神田うのの義父に当たる。
- ^ 同年11月10日付の朝日新聞が「日拓、日本ハムに身売り」とスクープした。
- ^ なお、退任した土橋は、フジテレビとニッポン放送の野球解説者を経てフジテレビと資本関係のあるヤクルトスワローズでコーチや監督を務めた。
- ^ 江夏はこの年、当時存在した全12球団からのセーブを達成。
- ^ 西崎は球団とのFA交渉を控えていた矢先、西崎本人は宣言せず残留するつもりだったのだが球団から突然のトレード通告に報道陣からのインタビューでもショックを隠しきれず会見では涙を流した。この年右投手では最多登板を果たした長冨も戦力外に近い形で金銭トレードに出され、金石が球団に「西崎・金石・長冨の放出は落合の高額年俸を捻出の為だけでは?」と詰め寄る場面があり(落合の年俸が3億円で、金石が1億5000万円・西崎が1億3000万円・長富が4800万円だった。)、広瀬も落合の入団で玉突き的にポジションを奪われ、契約更改で「複数年契約するべきだった」と後悔する場面があった
- ^ パ・リーグの他球団主管の札幌ドームの試合は日本ハム移転直後の2004年以後行われていない(西武球団も、その後親会社・西武鉄道の証券取引法違反問題や球団自体がアマ選手に「栄養費」名目で裏金を渡していた問題など不祥事が相次いで発覚したことから札幌開催どころでは無くなり、2008年シーズンからはチーム名を「埼玉西武ライオンズ」に改めて埼玉への地域密着を図る姿勢に転換したことで札幌開催を事実上放棄した)。セ・リーグでは巨人が2009年ごろまで夏季の北海道遠征をしていたが、2010年からはセ・リーグ球団の主管試合も組まれなくなった。
- ^ 継投による完全試合は参考記録である。
- ^ 田中賢介、工藤隆人、紺田敏正、鶴岡慎也。
- ^ 鶴岡慎也(捕手)、髙橋信二(一塁手)、田中賢介(二塁手)、小谷野栄一(三塁手)、金子誠(遊撃手)、稲葉篤紀、糸井嘉男(以上外野手)。
- ^ 前年の2012年からの連敗は13。
- ^ 金子千尋から登録名を変更。
- ^ 独立リーグも含めれば、他にも愛媛マンダリンパイレーツで選手兼投手コーチとして現役を続けている正田樹がいる。
- ^ 年間最高勝率は西武とのプレーオフで敗退した1982年を含む8回。
- ^ 2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延長戦が無かった。延長戦がある年では1984年の13分が最多。
- ^ 作道烝、大下剛史、大橋穣、張本勲、大杉勝男の5者。作道の本塁打は代打満塁本塁打。
- ^ 2010年シーズンに中日ドラゴンズが記録して以来。
- ^ 1942年シーズンに阪神軍が記録して以来。
- ^ 3位は1977安打の毒島章一。
- ^ 2004年までの12球団では唯一(球団最多勝利投手は162勝の土橋正幸)。
- ^ NPBでは継投によるノーヒットノーランは認められていない。
- ^ 当時ロッテは宮城球場を暫定的に本拠地としていたが、将来の首都圏への再移転を前提に約半数の試合を後楽園・神宮・川崎で開催していた。このため、ロッテ主催の日本ハム戦が後楽園や神宮で開催されることがあった(ジプシー・ロッテも参照)。
- ^ 対戦相手のロッテは、日本ハムがブラックを基調とした特別ユニフォームを着用するのに伴い、普段のブラックのビジター用ユニフォームではなく、ホーム用のストライプユニフォームを着用。
- ^ 当時の北海道の市町村の数。
- ^ 現在の北海道の市町村の数。
- ^ 2003年8月の東京ドームでのホームゲームは盆休みの3日間だけ(同月には札幌ドームでの地元お披露目を兼ねた6連戦をしたこともある)だった。
- ^ アメリカ合衆国ではオレゴン州・ポートランドで、1975年から1982年まで北米サッカーリーグのポートランド・ティンバーズとAAA級のパシフィックコーストリーグに所属するポートランド・ビーバーズが、また、2001年から現在までユナイテッドサッカーリーグのティンバーズと同じくビーバーズが、共にPGEパークをホームスタジアムとして使っている。アメリカではメジャーリーグベースボールとアメリカンフットボール・NFLの本拠地を共有する事例がある。
- ^ 日本ハムの場合、監督は現場の指揮・采配に集中、チーム編成は情報を共有しているフロントが担当、管理している。また、戦力は全選手が前提というシステムであるためBOSで好評価でも使われない(干されている)選手をフロントが強制的に一軍昇格させ、起用を巡って監督とトラブルになることも起きている。
- ^ 日本ハムの国内独立リーグ出身選手としては、海老原以前に2009年のドラフト会議で四国・九州アイランドリーグの徳島から支配下枠6位で指名した荒張裕司(2016年引退)がいた。
- ^ 土橋の場合、選手・コーチ時代から在籍を継続する形で務めた日拓時代の1度目の監督を辞任した後、野球解説者を務めたフジテレビ・ニッポン放送との縁でヤクルトでコーチ・監督を務めた経験があるため、指導者・職員を含めての他球団経験がない人物となれば皆無となる。
- ^ 1988年に中日から移籍。26年間中現役を引退するまで7年間在籍した。
- ^ 2004年にニューヨーク・メッツから移籍、2006年に現役引退するまで3年間在籍した。
- ^ セ・リーグでは巨人が「エース或いは4番を経験した巨人一筋の完全生え抜きOB」に事実上監督を限定している他(ただし、藤田元司のようにコーチでの他球団在籍経験者が就任した事例はある他、結果的に実現しなかったが、選手としては巨人の完全生え抜きで、他球団のコーチ・監督経験者である森祇晶や、外様の星野仙一の就任が取り沙汰されたことがあった)、広島も松田元がオーナー代行に就任して以降は監督だけでなくコーチも生え抜きを最優先する人事となっている。逆に阪神やDeNA、ヤクルトは日本ハムほど徹底していないが生え抜きにこだわらない姿勢が強く、中日のように2オーナー制と複数の新聞社の統合による経営陣内部の派閥の醸成の影響で、新愛知(大島家)系は生え抜きOB重視、名古屋新聞(小山家)系・東京新聞系は外様に寛容的といった二面性を持っている事例もある。一方パ・リーグでは球団の売却や合併が多かったこともあり、長期にわたってOBの監督にこだわっているのは大阪本拠時代の南海(福岡移転後は、南海時代からの杉浦忠〈コーチでは近鉄にも在籍〉・藤本博史〈現役晩節にオリックスにも在籍〉を除いてホークスで選手生活をスタートさせた生え抜き選手OBの監督が誕生していない)と、西鉄時代からの完全生え抜きの東尾修の監督就任以降、途中堤義明オーナー退任を挟んでの西武のみである。
- ^ アリストテレスが唱えた、人を説得し動かすための3要素。
- ^ アイヌ語で“ファイターズ”
- ^ 2014年からラッキー7では上杉周大(THE TON-UP MOTORS)、「We love HOKKAIDOシリーズ」ではFIGHTERS×YUKIMIKUとして地元出身(設定)の雪ミクのカバーバージョンが、それぞれ流されている。
- ^ 現在、札幌ドームでの主催試合の勝利時の試合後に流されている。
- ^ 現在、宮城球場限定の小谷野栄一の応援コールで同じスタイルが使われる。ただし、宮城球場では笛が使えないため、笛の代わりに太鼓を用いて「ドンドドンドドンドドン栄一」としている。
- ^ ダルビッシュ有は専用の応援歌が用意されていた。
- ^ 逆転・勝ち越しの時は、「ファイターズ讃歌」。
- ^ 東京ドームの主催試合のみ、基本的に移転前のスタイルが継続されている。ただし、2007年以降には太鼓を使うようになった。
- ^ 途中で男性パートと女性パートに分かれる。また、クライマックスシリーズ限定で関東以外の球場でも披露された。
- ^ 2008年と2009年のクライマックスシリーズと2009年の日本シリーズでは、両方とも使われた。
- ^ 2006年までは銀色だった。また、「WE LOVE HOKKAIDOシリーズ」では銀と青の2色で、2009年5月の「ファミリーシリーズ・さくらまつり」ではピンクメタリック、10月の「炎の最終シリーズ」ではレッドメタリックのテープが発射された。
- ^ 2012年の解禁時から2014年の途中までは金色の風船を飛ばしていた。
- ^ 前期に使ったユニフォームは基本的に東映時代のデザインを踏襲したものだが、袖や襟のラインに使われた赤と青が入れ替わるなど、若干のマイナーチェンジが施されていた。
- ^ 当時の中日ドラゴンズのホーム用ユニフォームのデザインに近い。
- ^ 投手:高橋直樹、捕手:加藤俊夫、一塁手:柏原純一、二塁手:富田勝、三塁手:古屋英夫、遊撃手:菅野光夫、外野手:ミッチェル・千藤三樹男で、外野手の残り1枠は阪急の福本豊。
- ^ この2人は怪我以外の理由で出場辞退した初のファン投票選出選手となった。
- ^ 札幌移転前のラッキー7のBGMであり、移転後も2008年までは5回裏に応援団のトランペット演奏で流していた。
- ^ 2011年は従来通り8試合を行う予定をしていたが、東日本大震災による計画停電の影響を受け、3月29日 - 3月31日の日本ハム主催の3試合が中止となり、その振替試合は全て札幌ドームで行われ、東京ドームでの主催試合は5試合となった。
- ^ 2016年も当初は従来通り8試合を行う予定であったが、2016年4月1日の対ソフトバンク戦については、当日に東京ドームでμ'sのファイナルライブが開催される予定であること、また静岡県と静岡市から公式戦開催の要請を受けたことにより、急遽日程を変更し、東京ドームから静岡県草薙総合運動場硬式野球場での開催に振り替えることになった。
- ^ 厳密に言えば、現在も東京都を保護地域とする巨人、ヤクルトの許可が必要となる。
- ^ 2020年も1試合予定されていたが中止となった。
- ^ 前身の後楽園を含め、オープン戦や1981年の日本シリーズなどで三塁側のベンチを使ったケースは多数ある。
- ^ 2005年のオープン戦で、このカードの東京ドームでの試合が組まれたケースはある。
- ^ 公式戦で実数に近い数値の発表を開始した2005年以前にも実数発表をおこなっていた日本シリーズでは、1985年の第4戦で51,554人という数字が残されている。球場改修を経た現在の最大収容人数は47,808人で5万人超にはならない。
- ^ 道内の中継局で唯一、長らく北海道移転後のチームのOBの解説者が居なかったが、2020年より田中賢介が解説者として就任した。
- ^ BS日テレでの放送分でも2022年5月20日放送分ではランニングスコアのみ『GO!GO!ファイターズ』がそのまま使われたが、その後の放送では『DRAMATIC BASEBALL 2022』に修正された(2022年5月28日放送分は、関東地区でも地上波放送の対巨人戦のためスコア表示の送り出しを日本テレビが担当)。
- ^ 広島ホームテレビと同内容の中継はJ SPORTSで視聴可能。
- ^ 阪神戦も同様の権利だが放送された実績がない。
- ^ これは、テレビ東京系列自体のゴールデンタイムにおける全国ネット番組の縛りが緩く、まとまったローカル差し替えが容易なためといえる。同じ系列のTVQ九州放送も同様の傾向で福岡ソフトバンクホークスの中継に積極的である。
- ^ 北海道放送は、パレードの時間帯はTBSテレビの『王様のブランチ』を放送。
出典
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北海道日本ハムファイターズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 08:06 UTC 版)
「球団旗」の記事における「北海道日本ハムファイターズ」の解説
1945年 - 1946年:上から青・白・赤の横線。青の部分に白字でセネタースの頭文字「S」。 1947年 - 1949年:球団名が東急フライヤーズとなる。上が赤・下が青のセパレート、右端に白の二等辺三角形。赤の部分に白字で「F」。球団名が急映フライヤーズとなった後も使用。 1950年 - 1973年:2リーグ分裂を機に球団旗を変更。右端の白の二等辺三角形はそのままだが、セパレートの色を上下逆に(上が青・下が赤)。青の部分に白字で「F」。東急、東映、日拓ホームと親会社が変わっても継続して使用される。 1974年 - 1976年:球団名が「日本ハムファイターズ」となり、デザインを一新。橙色地に白のライン。白の部分には親会社・日本ハムのブランドマーク(社章)と「ニッポンハム」ロゴ。その下に「Fighters」ロゴ。 1977年 - 2003年:大まかのデザインはそのままだが、「ニッポンハム」ロゴと「Fighters」ロゴを縮めたものに変更。 2004年 - 2021年:札幌移転に伴い、球団名が「北海道日本ハムファイターズ」となる。白地にペットマークの七芒星。下の部分は黒地に「HOKKAIDO NIPPON-HAM FIGHTERS」。
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北海道日本ハムファイターズ(札幌ドーム)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:57 UTC 版)
「ビジター応援席」の記事における「北海道日本ハムファイターズ(札幌ドーム)」の解説
2008年からライトスタンドの14ブロック中2 - 3ブロックが「ビジター応援自由エリア」とされ、日本ハムの応援が禁止となった。ビジターエリアは日によって違い、3連戦初戦の客入り次第で翌日以降のブロック数が変わったり、週末のロッテ戦などビジターファンの来場が多く予想される場合は4ブロック割り当てられることもある。開幕戦や本拠最終戦、阪神戦、巨人戦などは全席指定席となり(2012年より「プラチナ価格」となる)、「ビジター応援指定席」の名称になる。阪神戦では外野の可動式観客席と固定式観客席の間にある三角形の空間からライトポールまでの9ブロックと大幅に拡大されている。2008年の巨人戦は阪神戦と同様の大きさであったが、翌2009年からは他の球団と大差ないものになっている。 ポストシーズンにおいては2006年のプレーオフで先駆けて導入され、ライトスタンド1ブロックの上段の一部に「ビジター応援席」が設定された。 東京ドーム主催試合では外野席は全席自由席(2017年よりライトスタンド全席が指定席となる)で設定されていない。 2021年の東京ドーム主催試合ではレフトスタンドの2ブロック2022年の主催試合ではレフトスタンド3ブロックがビジター席となっている。
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北海道日本ハムファイターズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:33 UTC 版)
「野球ユニフォーム」の記事における「北海道日本ハムファイターズ」の解説
2005年5月28日のヤクルト戦(札幌市円山球場)で、日本ハムファイターズ時代の1979年から1981年までにホームゲームで使用されていた青い縦縞のユニフォームを復刻し、1試合限定で試合前の練習用ウェアとして上衣のみ使用した。
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北海道日本ハムファイターズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 21:23 UTC 版)
「東京ドーム」の記事における「北海道日本ハムファイターズ」の解説
移転前年の2003年11月に東京ドームで開催された東京時代最後のファンフェスティバルで球団社長(当時)の今村純二が「移転後も、東京ドームで12から15試合を引き続き開催します」とファンの前で宣言した。東京ドームでの開催を継続する理由として、東京都にも球団事務所がある事、二軍施設は隣県の千葉県鎌ケ谷市のまま継続されている事に加え、旧来の東京のファンの存在を考慮したものなどが挙げられた。 2004年は東京ドームでの主催試合が12試合行われ、2005年は10試合、2006年から2019年までは毎年7〜9試合の主催試合が組まれた。2020年は、当初の発表では東京オリンピック・東京パラリンピック開催に伴う他球団の主催試合との兼ね合いで、4試合の開催予定に留まり、その4試合もコロナウイルスによる影響で開催されなかった。2021年は同年に延期となった東京オリンピック・東京パラリンピック開催に伴う他球団の主催試合との兼ね合いで、5試合の開催となった。2022年は3試合を開催する予定。
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北海道日本ハムファイターズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 19:41 UTC 版)
「チャンステーマ」の記事における「北海道日本ハムファイターズ」の解説
チャンステーマ1原曲はさだまさしの『北の国から〜遥かなる大地より〜』。 演奏時に鳴子を使い、軽い振り付けも作られた。近年では試合終盤の大チャンス時で演奏される事が多い。 チャンステーマ2『わっしょい』(2000年~)原曲は森範行(後に橋上秀樹に流用)の応援歌。 東京ドームを本拠地としていた時代から存在していた日本ハムのチャンステーマ第1号。現在では主に大差をつけた際のダメ押し時に流れる。 チャンステーマ3原曲は映画『チキ・チキ・バン・バン』の主題歌。 日本プロ野球史上初めての男女別のパートが設けられているチャンステーマである。 応援コールは「打て、打て、○○(選手名)!」(最初は男声、追って女声)の後に「今だチャンスだ、○○!」(男女揃って)となる。 元々は関東限定であったが、現在は全国の球場で使用されるようになった。なお宮城球場ではトランペットが使用できないため、その演奏部分の歌詞が存在する。 大きなうた(宮城球場限定)原曲は中島光一作詞作曲の童謡。 チャンスコール(楽天生命パーク限定)オリジナルチャンステーマだが、音階はなくコール形式。上記の「チキ・チキ・バン・バン」と同様に、本曲も男女別のパートが存在する。最初は男声、追って女声が「行け行け行け行け行け○○」、「打て打て打て打て打て○○」とコールし、最後に男女そろって「いけいけそれゆけ、○○(選手名)〜!」と大声で叫ぶ。 それゆけぼくらのファイターズ(東京ドーム限定)東京本拠地時代の球団歌をチャンステーマ用にアレンジしたもの。北海道に移転した後、2007年より東京ドームでの試合のみ、日本ハムファイターズ時代の応援スタイルに戻し、現在もその応援スタイルを継続している事から2010年より作成された。クライマックスシリーズなどの重要な試合では他の球場でも使われることがある。 ジンギスカン(札幌ドーム限定)原曲はジンギスカンの同名楽曲。 札幌ドームの座席列ごとに「打て!」と叫ぶ回数が分けられている。 酔いどれマーチ(関東限定)原曲はザ50回転ズの同名楽曲。 『チキ・チキ・バン・バン』と同様に、男女別のパートが存在する。 関西限定チャンステーマ(2012年~。ナゴヤドームを含む)オリジナル曲。 西日本限定(関西以西)チャンステーマ(2015年~)オリジナル曲。
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北海道日本ハムファイターズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 19:41 UTC 版)
「チャンステーマ」の記事における「北海道日本ハムファイターズ」の解説
古い日記(レジェンドシリーズ2016限定)原曲は和田アキ子の同名楽曲。 同曲のリリース年が、球団が創設された年と同じ74年であることから、「レジェンドシリーズ2016」の期間中限定で使用された。
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北海道日本ハムファイターズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:43 UTC 版)
「サンテレビボックス席」の記事における「北海道日本ハムファイターズ」の解説
2014年にはデーゲーム1試合を中継。それまではリレー中継のみ実施(北海道テレビ制作協力)。2016年にはデーゲーム1試合を中継した。
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北海道日本ハムファイターズ(大谷翔平)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 10:56 UTC 版)
「指名打者」の記事における「北海道日本ハムファイターズ(大谷翔平)」の解説
大谷翔平が日本ハムに入団した2013年以降、投手として先発する試合以外で、野手として先発出場した経験は多かったが、2015年までは投手として打席に立ったのはセ・パ交流戦でDH制のない試合に限られていた。しかし2016年5月29日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で6番・投手として先発し、DH制のある試合では初めて登板中に打席に立った。その後、この年の公式戦では大谷が先発投手の試合でDHを使用しなかったケースが計7試合あった。この場合は西武のケースと異なり、大谷自身の打力に期待してDHを使用しないため打順は試合によってまちまちで、2016年7月3日の対福岡ソフトバンクホークス戦では1番・投手で先発し、1回表に投手登録の選手としてはプロ野球史上初の初回初球先頭打者本塁打を打っている。2017年は10月4日のオリックス・バファローズ戦の1試合のみで、パ・リーグでは指名打者制導入後初、2リーグ制後では1951年10月7日の藤村富美男以来の4番・投手で先発した。
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「北海道日本ハムファイターズ」の例文・使い方・用例・文例
- 北海道日本ハムファイターズ,福岡ダイエーホークス,広島東洋カープ,西武ライオンズが,アマチュア選手のドラフト会議で1巡目の選択をした。
- これらの投手の中には,北海道日本ハムファイターズのダルビッシュ有(ゆう)投手,読売ジャイアンツの上(うえ)原(はら)浩(こう)治(じ)投手,東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将(まさ)大(ひろ)投手らがいる。
- 1週間前に行われたプロ野球ドラフト会議で,4球団が斎藤投手を1位指名し,北海道日本ハムファイターズが彼との契約交渉権を獲得した。
- 斎藤佑(ゆう)樹(き)投手が12月9日に札幌ドームで記者会見を開き,北海道日本ハムファイターズに入団したことを発表した。
- 北海道日本ハムファイターズのダルビッシュ有(ゆう)投手もすべての基準を満たしていたため,選考委員会はこの2人の投手のどちらかに決めなければならなかった。
- 彼は北海道日本ハムファイターズで7年間つけていたのと同じ背番号11のユニフォームを着る予定だ。
- 4月28日,北海道日本ハムファイターズの稲(いな)葉(ば)篤(あつ)紀(のり)外野手(39)が東北楽天ゴールデンイーグルス戦で自身の通算2000本目となるヒットを打った。
- 11月3日,読売ジャイアンツが東京ドームで北海道日本ハムファイターズを4-3で破った。
- 北海道日本ハムファイターズの2012年ドラフト1位の大(おお)谷(たに)翔(しょう)平(へい)投手が1月9日,千葉県鎌(かま)ケ(が)谷(や)市(し)にある同球団の寮に到着した。
- 北海道日本ハムファイターズの大谷翔(しょう)平(へい)投手が全パの先発投手だった。
- 10月29日,広島市のマツダスタジアムで,北海道日本ハムファイターズが3度目の日本シリーズ優勝を果たした。
固有名詞の分類
日本のスポーツチーム | ASエルフェン狭山FC 横浜FC 北海道日本ハムファイターズ 松本山雅FC NTT西日本 |
札幌市の企業 | 横山製粉 銀嶺バス 北海道日本ハムファイターズ スタジオ座円洞 札幌駅立売商会 |
日本のプロ野球チーム | 北海道日本ハムファイターズ 中日ドラゴンズ 東北楽天ゴールデンイーグルス 東京ヤクルトスワローズ 千葉ロッテマリーンズ |
- 北海道日本ハムファイターズのページへのリンク