1988年の日本ハムファイターズ (1988ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1988年の日本ハムファイターズ の動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、高田繁 監督の4年目のシーズンであり、本拠地が後楽園球場 から東京ドーム に移転した最初のシーズンである。
概要
当年及び近年のシーズン成績
年
成績
リーグ
勝
敗
分
率
平均得点
平均失点
開幕時監督
1988
レギュラー敗退
3位
62
65
3
.488
1987
レギュラー敗退
3位
63
60
7
.512
1986
レギュラー敗退
5位
57
65
8
.467
1985
レギュラー敗退
5位
53
65
12
.449
1984
レギュラー敗退
6位
44
73
13
.376
1983
レギュラー敗退
3位
64
59
7
.520
1982
プレーオフ敗退
2位
67
52
11
.563
1981
日本シリーズ敗退
優勝
68
54
8
.557
1980
レギュラー敗退
3位
66
53
11
.555
1979
レギュラー敗退
3位
63
60
7
.512
1978
レギュラー敗退
3位
55
63
12
.466
前年4年ぶりにAクラスに浮上し、東京ドーム1年目に優勝を目指すチームは、トレードで元本塁打王の大島康徳 を中日 から、さらに新外国人ブライアン・デイエット を異例の4年契約で獲得した。ところが、開幕直前に前年35本塁打のトニー・ブリューワ が腰痛で帰国して1年を棒に振り、デイエットも右足の付け根を痛め、打線の破壊力が落ちたチームは5月以降下位に低迷。投手陣は西崎幸広 と松浦宏明 が共に15勝を挙げ最多勝、河野博文 も6勝止まりながら防御率1位と、チーム防御率はリーグ1位。対照的にチーム打率はリーグ最下位だったが、5月に加入したマイク・イースラー の活躍と、5月中旬から3番に定着した田中幸雄 の台頭もあり、チームは勝率5割超えこそなかったが3位を確保した。しかし、西武 と近鉄 の優勝争いに絡むことができず、高田監督はシーズン終了後辞任した。
レギュラーシーズン
[ 2]
1988年パシフィック・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
9月終了時
最終成績
1位
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
2位
近鉄
1.5
近鉄
4.5
近鉄
7.5
近鉄
5.0
近鉄
4.0
近鉄
1.5
近鉄
0.0
3位
ロッテ
2.0
ロッテ
8.0
日本ハム
11.5
日本ハム
8.5
日本ハム
12.0
日本ハム
9.0
日本ハム
12.5
4位
日本ハム
3.0
日本ハム
9.5
ロッテ
11.5
阪急
10.0
南海
13.0
阪急
12.5
阪急
15.0
5位
阪急
6.5
南海
10.0
南海
11.5
南海
10.5
阪急
13.0
南海
13.5
南海
17.5
6位
南海
8.0
阪急
13.0
阪急
15.0
ロッテ
11.0
ロッテ
15.0
ロッテ
14.5
ロッテ
21.0
[ 3] [ 4] [ 5] [ 6] [ 7] [ 8]
[ 1]
オールスターゲーム1988
できごと
選手・スタッフ
監督
コーチ
二軍監督・コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
^ 偵察メンバーの西村基史 と交代。
^ 偵察メンバーの柴田保光と交代。
^ スタメン発表時は左翼手。
^ 偵察メンバーの武田一浩 と交代。
^ 偵察メンバーの間柴茂有 (中堅手)と交代。
出典
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。