1990年の日本ハムファイターズ (1990ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1990年の日本ハムファイターズ の動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、近藤貞雄 監督の2年目のシーズンである。
概要
当年及び近年のシーズン成績
年
成績
リーグ
勝
敗
分
率
平均得点
平均失点
開幕時監督
1990
レギュラー敗退
4位
66
63
1
.512
1989
レギュラー敗退
5位
54
73
3
.425
1988
レギュラー敗退
3位
62
65
3
.488
1987
レギュラー敗退
3位
63
60
7
.512
1986
レギュラー敗退
5位
57
65
8
.467
1985
レギュラー敗退
5位
53
65
12
.449
1984
レギュラー敗退
6位
44
73
13
.376
1983
レギュラー敗退
3位
64
59
7
.520
1982
プレーオフ敗退
2位
67
52
11
.563
1981
日本シリーズ敗退
優勝
68
54
8
.557
1980
レギュラー敗退
3位
66
53
11
.555
近藤監督の1年目を5位で終えたチームは、主力投手の金沢次男 をヤクルト へ金銭トレードで放出するなど戦力を再編。打撃陣は切り込み隊長の島田誠 の衰えもあり、鈴木慶裕 が1番を打つことが多くなるなど、若返りが急速に進んだ。チームは前年優勝の近鉄 が開幕から出遅れたこともあり、夏場以降近鉄・オリックス と2位争いを繰り広げた。8月には2位に浮上したものの、投打の戦力が厚い西武 の独走を許し、9月23日には西武の胴上げを敵地・西武球場 で許した。結局Aクラス入りはならなかったものの4位に食い込み、シーズン勝ち越しで終了。投手陣では不動のエースとなった西崎幸広 や柴田保光 、松浦宏明 などに加えてこの年入団の酒井光次郎 がローテーションに入り、3年目の武田一浩 が抑えとして活躍するなど盤石で2ケタ勝利投手を多く輩出し、チーム防御率もリーグ2位と健闘したが打線の貧打に泣いた。打撃陣では鈴木や中島輝士 などの若手が台頭したが、かつての4番トニー・ブリューワ は成績を落とし年齢面もあって退団。オープン戦は不発で近藤監督から「4番として失格」と酷評されたマット・ウインタース が35本塁打を放ち、本塁打王争いの常連となった近鉄のラルフ・ブライアント や西武のオレステス・デストラーデ を脅かした。対戦成績ではオリックスに16勝10敗と勝ち越し、近鉄には13勝13敗と健闘した。シーズン終了後、古屋英夫 は現役続行を希望して自由契約となり阪神 へ、島田が地元球団のダイエー にトレードで移籍した。
レギュラーシーズン
[ 2]
1990年パシフィック・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
9月終了時
最終成績
1位
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
2位
ロッテ
2.5
オリックス
5.0
オリックス
4.5
オリックス
9.0
オリックス
16.5
オリックス
11.5
オリックス
12.0
3位
日本ハム
2.5
日本ハム
9.0
日本ハム
7.0
近鉄
11.0
日本ハム
16.5
日本ハム
13.5
近鉄
14.5
4位
オリックス
4.5
ロッテ
11.0
近鉄
12.0
日本ハム
13.5
近鉄
18.5
近鉄
15.5
日本ハム
16.5
5位
近鉄
6.0
近鉄
13.0
ロッテ
14.0
ロッテ
22.5
ロッテ
27.0
ロッテ
23.5
ロッテ
25.0
6位
ダイエー
8.5
ダイエー
19.0
ダイエー
22.5
ダイエー
31.0
ダイエー
35.5
ダイエー
35.0
ダイエー
40.0
[ 1]
オールスターゲーム1990
武田一浩
西崎幸広
田村藤夫
田中幸雄
できごと
選手・スタッフ
監督
コーチ
二軍監督・コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
表彰選手
ドラフト
脚注
注釈
出典
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。