2000年の日本ハムファイターズ (2000ねんのにっぽんハムファイターズ)では、2000年 の日本ハムファイターズ の動向をまとめる。
この年の日本ハムファイターズは、大島康徳 監督の1年目のシーズンである。
概要
上田利治 の退任を受けて、球団OBの大島康徳 が1994年 の引退以来、6年ぶりに監督としてユニフォームに袖を通した。大島は投手コーチに森繁和 、バッテリーコーチに田村藤夫 を招聘、中日 でともに戦った星野仙一 監督の背番号77にあやかるべく、自らも監督就任時に77を付けるなど、恩師の水原茂 同様、厳しさの中に温かさを持たせる野球を目指した。井出竜也 、小笠原道大 、片岡篤史 、シャーマン・オバンドー 、ナイジェル・ウィルソン 、田中幸雄 、野口寿浩 と続くビッグバン打線 は全盛期を迎えており、リーグ1位の177本塁打を放ち、チーム打率.278は12球団トップだった。また107盗塁もリーグ1位を記録した。一方の投手陣は、エースの岩本勉 をはじめ、金村暁 、関根裕之 、2年目の立石尚行 や建山義紀 がローテーションを担ったものの、防御率は軒並み4点を超え、打線の援護に助けられて勝つ試合が多く、後半は長年中継ぎを務めていた下柳剛 が先発に加わった。チーム防御率は前年を下回る4.70とリーグ5位だったものの、26完投はリーグ1位だった。最終的にダイエー 、西武 に次ぐ3位につけ、ダイエーには12勝15敗、西武には13勝14敗と健闘した。
チーム成績
レギュラーシーズン
オーダー変遷
開幕:4/1
5/2
6/1
7/1
8/1
9/2
1
一
小笠原道大
中
石本努
遊
田中幸雄
二
金子誠
左
石本努
中
井出竜也
2
中
石本努
一
小笠原道大
一
小笠原道大
一
小笠原道大
一
小笠原道大
一
小笠原道大
3
三
片岡篤史
三
片岡篤史
三
片岡篤史
三
片岡篤史
中
井出竜也
三
片岡篤史
4
遊
田中幸雄
左
オバンドー
左
オバンドー
左
オバンドー
三
片岡篤史
左
オバンドー
5
指
ウィルソン
指
ウィルソン
指
ウィルソン
右
島田一輝
右
島田一輝
右
島田一輝
6
左
フランクリン
遊
田中幸雄
二
金子誠
中
井出竜也
指
ウィルソン
指
ウィルソン
7
右
井出竜也
右
上田佳範
右
井出竜也
指
ウィルソン
二
金子誠
遊
田中幸雄
8
捕
野口寿浩
捕
野口寿浩
捕
野口寿浩
捕
野口寿浩
捕
野口寿浩
捕
野口寿浩
9
二
金子誠
二
金子誠
中
石本努
遊
奈良原浩
遊
奈良原浩
二
奈良原浩
投
岩本勉
投
建山義紀
投
新谷博
投
下柳剛
投
下柳剛
投
清水章夫
[2]
2000年パシフィック・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
最終成績
1位
日本ハム
--
西武
--
西武
--
ダイエー
--
西武
--
ダイエー
--
2位
西武
0.5
オリックス
ダイエー
0.0
西武
0.5
日本ハム
2.5
西武
2.5
3位
オリックス
ダイエー
2.0
日本ハム
1.5
オリックス
2.5
ダイエー
3.0
日本ハム
4.5
4位
ダイエー
2.0
日本ハム
4.0
オリックス
2.0
日本ハム
4.5
オリックス
6.0
オリックス
8.0
5位
近鉄
6.0
近鉄
7.0
近鉄
6.5
ロッテ
6.5
ロッテ
10.5
ロッテ
9.0
6位
ロッテ
9.0
ロッテ
8.0
ロッテ
8.0
近鉄
10.0
近鉄
14.0
近鉄
15.0
オールスターゲーム2000
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
関連項目
脚注
注釈
出典
1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。