1983年の日本ハムファイターズ (1983ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1983年の日本ハムファイターズ の動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、大沢啓二 監督の8年目のシーズンである。
概要
当年及び近年のシーズン成績
年
成績
リーグ
勝
敗
分
率
平均得点
平均失点
開幕時監督
1983
レギュラー敗退
3位
64
59
7
.520
1982
プレーオフ敗退
2位
67
52
11
.563
1981
日本シリーズ敗退
優勝
68
54
8
.557
1980
レギュラー敗退
3位
66
53
11
.555
1979
レギュラー敗退
3位
63
60
7
.512
1978
レギュラー敗退
3位
55
63
12
.466
1977
レギュラー敗退
5位
58
61
11
.487
1976
レギュラー敗退
5位
52
67
11
.437
1975
レギュラー敗退
6位
55
63
12
.466
1974
レギュラー敗退
6位
49
75
6
.395
1973
レギュラー敗退
5位
55
69
6
.444
過去2年間勝率1位(1981年 は優勝、1982年 は2位)のチームは2年ぶりの優勝を期待されたが、開幕ダッシュに失敗して西武 の独走を許した。5月末には西武に3タテを食らわせて6.5ゲーム差に縮めるものの、その直後に3連勝でお返しされた。夏場以降は阪急 との2位争いが続いたが9月以降は負けが込み、優勝の西武に20.5ゲーム離され結局3位で終了した。投手陣は前年20勝をあげて後期優勝(前年まではパ・リーグ は前期・後期の二期制だった)の立役者となった工藤幹夫 が右肩痛で8勝と、勝ち星が半減。それ以外の投手も工藤につられる様に成績を落とし、守護神の江夏豊 とリリーフで11勝をあげた川原昭二 しか頼れる投手がいなかったが、それでもチーム防御率は西武に次ぐ2位の3.82を記録した。打撃陣では二村忠美 が入団して新人王を獲得、柏原純一 ・島田誠 ・トミー・クルーズ なども例年通りの成績を残してチーム打率はリーグ2位、本塁打もリーグ3位と健闘した。ところが大沢監督がこの年限りで勇退し、新監督には植村義信 投手コーチが昇格した。シーズン終了後、1976年 に富田勝 とともに巨人 から移籍し投手陣の柱として活躍した高橋一三 が引退、江夏が柴田保光 との交換トレードで西武に移籍した。また4年連続で30本塁打以上と活躍し、1981年の優勝に貢献したトニー・ソレイタ も退団するなど戦力が弱体化し始め、翌年の最下位転落の一因となった。
レギュラーシーズン
1983年パシフィック・リーグ順位変動
順位
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
9月終了時
最終成績
1位
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
西武
--
2位
ロッテ
0.5
阪急
8.0
日本ハム
12.0
日本ハム
14.0
日本ハム
11.5
阪急
16.0
阪急
17.0
3位
阪急
2.5
日本ハム
8.5
阪急
12.0
阪急
14.5
阪急
15.0
日本ハム
18.0
日本ハム
20.5
4位
日本ハム
3.5
南海
9.0
南海
15.0
南海
16.0
近鉄
21.0
近鉄
26.0
近鉄
29.5
5位
南海
4.0
近鉄
11.0
近鉄
15.0
近鉄
16.5
南海
25.0
南海
28.5
南海
31.5
6位
近鉄
4.5
ロッテ
11.5
ロッテ
21.0
ロッテ
26.0
ロッテ
32.5
ロッテ
37.5
ロッテ
39.5
オールスターゲーム1983
できごと
選手・スタッフ
監督
一軍コーチ
二軍監督・コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
[ 2]
表彰選手
ドラフト
出典
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。