坂巻明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/01 09:02 UTC 版)
基本情報 | |
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国籍 | ![]() |
出身地 | 埼玉県草加市 |
生年月日 | 1955年5月12日(70歳) |
身長 体重 |
184 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1976年 ドラフト外 |
初出場 | 1982年4月10日 |
最終出場 | 1985年6月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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坂巻 明(さかまき あきら、1955年5月12日 - )は、埼玉県草加市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
二松學舍大附高では1年夏から4番・一塁手としてチームを東京都大会決勝戦まで導くが、日大一高の保坂英二の前に敗戦[2]。青山学院大学へ進学するが父の病により2年次に中退。実家の食料品店を手伝いながら、親戚の病院で臨床検査技師としても勤務した[3]。1976年オフに周囲の人の勧めで、入団テストを受け合格[3]。西井敏次とともにドラフト外で日本ハムファイターズに入団した[1]。
入団直後は打撃投手としての役割が多かったが、1980年には2軍で8勝を挙げ、チームのイースタン・リーグ優勝に貢献[3]。
その後もなかなか一軍出場の機会を得られず、1981年のオフには退団を申し出るが、球団に慰留され残留[3]。
1982年4月10日の南海戦で念願のプロ初登板を果たすと、1983年10月18日のロッテ戦でプロ初勝利を挙げた。翌84年にはローテーションに定着し7勝を挙げる[1]。同年8月にはチームの14連敗(球団ワースト、3引き分けを挟む)を止める完投勝利も挙げた。翌1985年シーズンは前年の蓄積疲労も重なり、肘の痛みを抱えながらの登板となったが、6月4日の西武戦で右肘を負傷し降板[3]。なお相手先発・郭泰源はこの試合でノーヒットノーランを達成している。その後はリハビリを続けるが、一軍復帰とはならず、1987年に自由契約。球団からはポストも用意されていたが、現役にこだわりロッテオリオンズにテスト入団。球団初となる背番号「0」を背負った。しかし一軍登板はなく1988年限りで現役を引退[1][4]スリークォーターからカーブ、フォーク、決め球はシュートボールを投げた。また投手でありながら打撃センスも良く、日本ハム時代には二軍でサヨナラ打を二回打っている[3]。
引退後は有藤道世の推薦でロッテの打撃投手、その後スコアラーとスカウトを往復し、査定担当や寮長を歴任。2018年限りで退団[5]。
現在は球界を離れ、孫たちと静かに暮らしている[3]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982 | 日本ハム | 15 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 183 | 40.1 | 40 | 5 | 27 | 0 | 2 | 19 | 1 | 0 | 27 | 25 | 5.63 | 1.66 |
1983 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 124 | 29.0 | 26 | 2 | 14 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 11 | 7 | 2.17 | 1.38 | |
1984 | 38 | 16 | 7 | 1 | 1 | 7 | 6 | 0 | -- | .538 | 721 | 173.0 | 163 | 19 | 64 | 2 | 2 | 77 | 0 | 0 | 73 | 64 | 3.33 | 1.31 | |
1985 | 10 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 3 | 2 | -- | .250 | 131 | 27.1 | 33 | 5 | 14 | 0 | 2 | 9 | 1 | 0 | 21 | 19 | 6.26 | 1.72 | |
通算:4年 | 72 | 24 | 9 | 1 | 1 | 9 | 10 | 2 | -- | .474 | 1159 | 269.2 | 262 | 31 | 119 | 2 | 6 | 115 | 2 | 0 | 132 | 115 | 3.84 | 1.41 |
記録
- 初登板:1982年4月10日、対南海ホークス前期1回戦(大阪スタヂアム)、6回裏に4番手で救援登板、2回2失点
- 初奪三振:同上、6回裏に香川伸行から
- 初先発:1982年8月8日、対ロッテオリオンズ後期5回戦(宮城球場)、4回2/3を2失点
- 初完投:1982年9月30日、対ロッテオリオンズ後期11回戦(川崎球場)、8回2/3を2失点(自責点1)で敗戦投手
- 初勝利・初先発勝利:1983年10月18日、対ロッテオリオンズ26回戦(川崎球場)、5回3失点(自責点2)
- 初完投勝利・初完封勝利:1984年6月6日、対ロッテオリオンズ10回戦(後楽園球場)
- 初セーブ:1985年4月6日、対ロッテオリオンズ1回戦(川崎球場)、7回裏2死に2番手で救援登板・完了、2回1/3を無失点
背番号
- 47 (1977年 - 1987年)
- 0 (1988年)※ロッテでは初の着用。翌年、高校の11年後輩にあたる新人・初芝清へと引き継がれた[6]。
- 90 (1989年 - 1991年)
- 100 (1992年 - 1994年)
脚注
- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、243ページ
- ^ '78プロ野球百科名鑑 日本スポーツ出版社
- ^ a b c d e f g 『週刊ベースボール 8月11日号』ベースボール・マガジン社〈思い出球人〉、2025年7月30日。
- ^ 翌1988年シーズンからは背番号「0」は、高校の後輩である初芝清に受け継がれた。
- ^ ロッテ坂巻寮長、井辺スカウトらスタッフ5人が退団 - 日刊スポーツ 2018年12月21日
- ^ 犬企画マンホール (2021年9月18日). “【背番号物語】ロッテ「#0」初芝清は「0なんて背番号じゃねえ!」と言われ…近年は異色の同姓リレー”. 週刊ベースボールONLINE. 2024年2月20日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 坂巻明 - NPB.jp 日本野球機構
固有名詞の分類
- 坂巻明のページへのリンク