1964年の東映フライヤーズ では、1964年の東映フライヤーズ における動向をまとめる。
この年の東映フライヤーズは、水原茂 監督の4年目のシーズンである。
概要
駒澤野球場 の閉場に伴い、明治神宮野球場を仮本拠地として使用していた東映は、国鉄スワローズ が明治神宮野球場 を正式に本拠地とした影響で、この年から、後楽園球場 を事実上の本拠地として使用し始めた(翌年から正式に本拠地)。またこの年は尾崎行雄 ・土橋正幸 ・嵯峨健四郎 の3投手が20勝を上げたものの、チームは成績不振で、7月までは西鉄 との4位争いが続いた。8月に4位に浮上すると終盤は東京 を抜いてAクラス入りし何とか逃げ切った。最後は全球団に勝ち越し前述の20勝投手を3人も出しながら、チームは3位に甘んじる珍現象になった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1964年パシフィック・リーグ順位変動
順位
3月終了時
4月終了時
5月終了時
6月終了時
7月終了時
8月終了時
最終成績
1位
西鉄
--
阪急
--
西鉄
--
阪急
--
南海
--
南海
--
南海
--
2位
南海
1.5
西鉄
1.0
阪急
0.0
南海
2.0
阪急
0.5
阪急
6.0
阪急
3.5
3位
阪急
2.5
南海
2.5
南海
2.0
東京
3.5
東京
8.5
東京
9.5
東映
5.5
4位
東京
東京
東京
3.0
西鉄
7.5
西鉄
10.5
東映
11.5
東京
6.0
5位
東映
4.0
東映
3.0
東映
6.0
東映
10.0
東映
11.5
西鉄
17.5
西鉄
19.5
6位
近鉄
4.5
近鉄
9.0
近鉄
10.0
近鉄
19.0
近鉄
23.0
近鉄
30.5
近鉄
28.5
[1]
オールスターゲーム1964
できごと
8月4日 - 嵯峨健四郎 が日生球場での対近鉄23回戦の7回表に三塁ゴロに倒れ、52打席連続無安打のパ・リーグタイ記録[2] 。
9月14日 - 秋田市八橋球場で行われた東映対西鉄ダブルヘッダー第一試合の29回戦で、東映がこの試合に中堅手として先発出場した西鉄の三好守 が試合前西鉄が提出した現役選手登録25名に入っていないと指摘。東映は連盟に提訴へ[3] 。
選手・スタッフ
監督
一軍コーチ
二軍監督・コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
[4] [5]
表彰選手
ベストナイン
選手名
ポジション
回数
張本勲
外野手
5年連続5度目
出典
^ a b “年度別成績 1964年 パシフィック・リーグ ”. 日本野球機構 . 2017年6月13日 閲覧。
^ 読売新聞1964年8月5日9面「嵯峨連続無安打タイ」読売新聞縮刷版1964年8月p111
^ 読売新聞1964年9月15日9面「未登録選手が出場」読売新聞縮刷版1964年9月p389
^ ベースボールマガジン2002夏季号 , ベースボールマガジン社, (2002), p. 123
^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7 。
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。