荒張裕司とは? わかりやすく解説

荒張裕司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/04 07:39 UTC 版)

荒張 裕司
日本ハム時代
(2012年3月16日、横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府高石市
生年月日 (1989-04-24) 1989年4月24日(35歳)
身長
体重
178 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手二塁手
プロ入り NPB / 2009年 ドラフト6位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

荒張 裕司(あらはり ゆうじ、1989年4月24日 - )は、大阪府高石市出身の元プロ野球選手捕手一塁手二塁手)。右投右打。

経歴

プロ入り前

高石市立高南中学校時代は、高石リトルシニアに在籍[1]日本航空第二高を経て、愛知学院大学に進学するも中退。

その後、2008年7月20日四国・九州アイランドリーグ徳島インディゴソックスに入団した。アイランドリーグ入りは、高校の先輩に当たる角中勝也からの勧めだったという[2]。2年目の2009年には正捕手に定着し、打率.301を記録。リーグベストナイン(捕手部門)を獲得した。

2009年10月29日プロ野球ドラフト会議北海道日本ハムファイターズから6位で指名を受け、11月9日に仮契約した。

日本ハム時代

2010年は、二軍で打率.296、1本塁打を記録。

2011年は打率.196、0本塁打と不振に終わる。同年10月8日に行なわれたファーム日本選手権では、故障者が続出するチームで二塁手として先発した[3]2013年には二軍で大谷翔平と3試合バッテリーを組み、その時の経験について「ストレートでも角度がついて低めに来て、あまり高めに浮かない。フォークボールも150キロ台なので、受け損なうとキャッチャーが怪我します。」と10年後に述べている[4]

2016年10月30日、記者会見で今季限りの引退を表明するとともに、東京消防庁の採用試験を受ける意向であることを明らかにした[5]。12月2日、自由契約公示された[6]。志願理由について、リトルリーグ時代の先輩で消防士になった人物がいたことや、「人から頼られる職業に就きたい」という思いがあることを述べている[7]

引退後

2017年に志望していた東京消防庁に合格した[8]。2019年2月2日放映の「スーパーJチャンネル」(テレビ朝日)では消防士の訓練生となっている姿が紹介され、消防士に進んだ理由の一つにで死去した母親の存在を挙げた[9]。2023年時点では大井消防署に勤務している[4]

選手としての特徴・人物

遠投110メートルの力強いスローイングが武器。

祖父に元近鉄バファロー大石雅昭がおり、徳島時代の背番号28は祖父の現役時代と同じであった[2]

詳細情報

年度別打撃成績

  • 一軍公式戦出場なし

独立リーグでの打撃成績
































2008 徳島 19 40 5 13 0 2 7 1 0 2 0 4 .325 .341
2009 80 292 33 88 3 33 39 20 10 4 0 11 .301 .366
通算:2年 99 332 38 101 3 35 46 21 10 6 0 15 .304 .364

背番号

  • 28 (2008年 - 2009年)
  • 60 (2010年 - 2016年)

脚注

関連項目

外部リンク





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